西暦1473年は、4月15日に山名宗全が病死し、6月6日に細川勝元が死去した年である。宗全の死後、西陣南帝は西軍諸将によって追放され、和睦交渉は山名政豊が、勝元の死後は細川政元が引き継いだ。又12月11日には河野教通が第17代室町幕府伊予国守護に就任し、12月13日には上杉政真が五十子にて戦死して上杉定正が第11代扇谷上杉家当主に就任した。

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年月日 出来事
1,473 ボローニャでモンテ・ディ・ピエタが設立される。
1,473 ボローニャでモンテ・ディ・ピエタが廃業する。
1,473 大友親繁が隠居し、自身の嫡男大友政親に家督を譲る。此れにより、大友家の両統迭立の廃止はより強固なものとなった。政親は、足利義政から偏諱を賜り、第16代大友家当主に就任した。
1,473 以下2名の嫡男として、今川氏親が、駿府今川館(現在の静岡県静岡市葵区駿府城公園付近)にて生誕する。
①今川義忠
②伊勢盛定の娘北川殿
1,473 1 1 小早川煕平が死去する。此れを受けて足利義視は、煕平の所領を小早川弘景に与える御内書を発した。
1,473 4 15 山名宗全が病死する。其の後西陣南帝は、西軍諸将によって追放された。和睦交渉は、山名政豊が引き継いだ。
1,473 5 9 以下2名が和睦交渉を行う。
①細川勝元
②山名政豊
しかし、畠山義就が承知せず不調に終わった。
1,473 5 19 足利義視が、一条兼良に進退を相談する書簡を送る。
1,473 6 6 細川勝元が死去する。和睦交渉は細川政元が引き継いだ。
1,473 6 8 足利義政が、細川勝元の死去を受けて、吉川元経等に忠節を求める。
1,473 8 28 室町幕府が、河野教通に、賀茂別雷神社(現在の京都府京都市北区上賀茂本山)領菊万荘(現在の愛媛県今治市菊間町地区)の神用未進を督促する。
1,473 10 21 小早川弘景が、高山城へ向けて出発する。
1,473 10 21 京極政経が、第24代室町幕府近江国守護に就任する。
1,473 11 22 東軍の沼田小早川方の浦平五が、高山城にて討死する。
1,473 11 26 小早川元平が、室町幕府の命により、西軍に与する者を成敗し、領内に陣取る近国の兵を退散させる。
1,473 12 11 河野教通が、足利義政からの伊予国守護職の補任状を受け取る。此れにより河野は、第17代室町幕府伊予国守護に就任した。
1,473 12 13 第10代扇谷上杉家当主上杉政真が、五十子(現在の埼玉県本庄市)にて戦死する。政真には子供が居なかった為、太田道灌や重臣達が評議した結果、政真の叔父である上杉定正を扇谷上杉家当主に迎える事になった。此れにより定正は、第11代扇谷上杉家当主に就任した。