西暦1,443年は、後南朝の一党が三種の神器の一部を奪った年である。ハングル文字が発明される。足利義視が出家した。上杉持朝の参男上杉定正が生誕している。1月頃には第15代管領畠山持国が、少弐教頼・大友持直・大内教幸の落所を早急に訪ねて治罰を与えよという命を、大友一族の志賀親賀・志賀親昌に下した。10月16日、後南朝に与する一党が内裏を襲撃し、三種の神器の内、天叢雲剣と八尺瓊勾玉を奪って比叡山に逃れる。天叢雲剣と八尺瓊勾玉は、西暦1337年1月23日に後醍醐天皇が本物の三種の神器を足の付いた行器へ入れて吉野へ運び、西暦1392年11月19日に後亀山天皇から後小松天皇へ遷されて京へ戻った品である。西暦1416年7月25日には仙洞御所の炎上に際して称光天皇が日御座の御剣を帯びて紫宸殿の防火を指揮しており、神器を守る側に立って来た内裏が、此の年は襲われる側となった。南朝の血を引く者達が神器そのものを再び手にしようとした此の一件は、西暦1392年の皇統の合一が譲国の儀を経ずに行われた事への不満が、半世紀を経ても消えていなかった事を示している。畠山持国の命は、前年の西暦1442年4月頃に千手城・馬見城で合戦を起こした大内教幸等を追討の対象として名指しするものである。足利義視は西暦1439年3月3日に足利義教と義教の側室小宰相局の間に生まれた義教の拾男であり、生誕から四年で僧籍へ入った事になる。ハングル文字は、西暦1283年に第3代スコータイ王朝王ラームカムヘーンがクメール文字を参考にタイ文字の基となる文字を作ったのと同じく、自らの言葉を書き表す為に新たな文字が作られた例に当たる。奪われた八尺瓊勾玉は西暦1457年12月18日、嘉吉の乱で没落した赤松氏の遺臣の夜襲によって奪い返される。大内教幸等の処断を命じられた大友一族では、翌西暦1444年に大友親繁が第15代当主として豊後国守護職に補任され、長く続いた両統迭立が終わる。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / 韓国の旧暦 / 日本の旧暦 / ヒジュラ暦 / フランス革命暦 / ソビエト連邦暦

≈は「頃」を意味しています。

皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー
年月日 出来事
1,443 ハングル文字が発明される。
1,443 足利義視が出家する。
1,443 上杉持朝の参男上杉定正が生誕する。
1,443 1 第15代管領畠山持国が、以下3名の落所を早急に訪ねて治罰を与えよという命を大友一族の志賀親賀・志賀親昌に下す。
①少弐教頼
②大友持直
③大内教幸
1,443 10 16 後南朝に与する一党が、内裏を襲撃し、三種の神器の内以下を奪い、比叡山に逃れる。
①天叢雲剣
②八尺瓊勾玉
皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー