西暦1,416年は、内裏の火災の中で天皇自らが陣頭に立ち、琉球からの進貢も続いた年である。1月頃に末吉大親が、2月頃に慈空禅師と本部大親が中山王国に帰還した。同じ2月頃、他魯毎の使者郭義才と尚思紹王の使者韓完義が、それぞれ進貢の為明へ向けて出港している。2月25日、三五郎亹が永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し中山王国として60度目の進貢を行い、此の際三五郎亹は海船を賜った。5月6日には郭義才が明に対し南山王国として28度目の進貢を行い、冊封に対し謝意を示し、同じ日に韓完義も中山王国として61度目の進貢を行っている。6月頃に三五郎亹が中山王国へ帰還した。7月25日、仙洞御所が炎上する。紫宸殿も危険な状態に陥った。第101代天皇称光天皇は、自ら日御座の御剣を帯び、紫宸殿の防火を指揮した。其れを見て感動した周囲の人々が、屋根に上り火の粉を防ぎ、紫宸殿は類焼を免れた。10月頃、郭義才が南山王国へ、韓完義が中山王国へ帰還している。日御座の御剣は西暦1238年4月4日に清涼殿から盗まれ、西暦1278年11月28日の内裏の火災では損傷して山城国の刀工粟田口国吉が焼き直し、西暦1331年10月22日の光厳天皇の践祚では剣爾渡御の儀に代用され、西暦1392年11月19日には後亀山天皇から後小松天皇へ三種の神器と共に遷され、西暦1402年11月14日には足利義満が新しい内裏の落成を祝って新調し献上した守り刀である。百三十八年前の火災では守られる側に在った剣が、此の年は天皇の腰に在って火から御所を守る側へ回った事になる。郭義才が示した謝意は、前年の西暦1415年4月28日に汪応祖の崩御が報じられて冊封が請われた事への返礼に当たる。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,416 1 末吉大親が中山王国に帰還する。
1,416 2 慈空禅師が中山王国に帰還する。
1,416 2 本部大親が中山王国に帰還する。
1,416 2 他魯毎の使者郭義才が、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,416 2 尚思紹王の使者韓完義が、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,416 2 25 三五郎亹が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、中山王国として60度目の進貢を行う。此の際三五郎亹は、海船を賜った。
1,416 5 6 郭義才が、明に対し、南山王国として28度目の進貢を行う。此の際郭義才は、冊封に対し謝意を示した。
1,416 5 6 韓完義が、明に対し、中山王国として61度目の進貢を行う。
1,416 6 三五郎亹が中山王国に帰還する。
1,416 7 25 仙洞御所が炎上する。紫宸殿も危険な状態に陥った。第101代天皇称光天皇は、自ら日御座の御剣を帯び、紫宸殿の防火を指揮した。其れを見て感動した周囲の人々が、屋根に上り火の粉を防ぎ、紫宸殿は類焼を免れた。
1,416 10 郭義才が南山王国に帰還する。
1,416 10 韓完義が中山王国に帰還する。
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