西暦1415年は、ヤン・フスが火刑に処せられ、ポルトガル王国アヴィス朝の王ジョアン1世がマリーン朝のセウタを占領した年である。1月6日には足利義持が中山王国へ向けて書簡を記し、4月28日には郭是佳結制が北京で汪応祖の崩御を報告して冊封を請うた。8月21日朝、ジョアン1世は息子のエンリケ王子と45,000名の部隊を率いてサン・アマロ海岸に上陸し、日暮れまでにセウタは占領された。

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年月日 出来事
≈ 1,415 1 他魯毎の使者郭是佳結制が、進貢の為、明へ向けて出港する。
≈ 1,415 1 三五郎亹が中山王国に帰還する。
1,415 1 6 第4代室町幕府征夷大将軍足利義持が、中山王国へ向けて書簡を記す。慈空禅師が此れを受け取った。
≈ 1,415 2 慈空禅師が中山王国に帰還する。
≈ 1,415 2 本部大親が中山王国に帰還する。
≈ 1,415 2 尚思紹王の使者南風原大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。此の際攀安知の使者リュウインも同乗した。
1,415 4 28 郭是佳結制が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、南山王国として27度目の進貢を行う。此の際、汪応祖が崩御した事を報告し、冊封を請うた。
1,415 5 27 以下2名が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に進貢を行う。
①南風原大親(中山王国として58度目)
②リュウイン(北山王国として16度目)
リュウインは海船を賜った。
≈ 1,415 6 尚思紹王の使者慈空禅師が日本へ向けて出港する。
≈ 1,415 6 尚思紹王の使者本部大親が李氏朝鮮へ向けて出港する。勝連按司の船で向かった。
≈ 1,415 6 尚巴志の使者末吉大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。
≈ 1,415 7 郭是佳結制が南山王国に帰還する。
1,415 7 6 ヤン・フスが火刑に処せられる。
1,415 8 21 朝、ポルトガル王国アヴィス朝の王ジョアン1世が、マリーン朝のセウタ(現在のモロッコに隣接するスペインの自治都市)への奇襲襲撃の為、息子のエンリケ王子と200隻の船で運ばれた45,000名の部隊を率いて、サン・アマロ海岸に上陸した。セウタの守備隊を油断を突いて攻撃し、日暮れまでに町は占領された。
1,415 9 28 末吉大親が、永楽帝の居る北京へ出向き、明に対し、中山王国として59度目の進貢を行う。
≈ 1,415 10 以下2名が帰還する。
①南風原大親
②リュウイン
≈ 1,415 11 尚思紹王の使者三五郎亹が、進貢の為、明へ向けて出港する。其の際、冊封使の為の船を送って行った。