西暦1,385年は、明から三王国の使者へ船と印が下され、ポルトガルでは王位が定まった年である。2月10日、亜蘭砲が中山王国として11度目、師惹が南山王国として4度目、模結習が北山王国として3度目の進貢を明に対し行い、此の際3名は初代明皇帝朱元璋から、亜蘭砲が海船1隻、師惹が駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習が駝紐鍍金銀印を賜った。駝紐鍍金銀印は駱駝を象った摘みを持つ鍍金の銀印であり、明が周辺の君主へ与える印である。南山と北山が之を受けた事は、西暦1373年1月23日に中山王国が中山王の称号と暦や船を得たのと同じ承認を、両者も得た事を意味する。西暦1371年の海禁令の下では船そのものが交易の元手であり、海船の下賜は往還を続けよという明の側の意思でもあった。4月6日にはコルテス(身分制議会)がコインブラ(現在のポルトガル)で召集され、ブルゴーヌ朝の王ペドロ1世の庶子且つアヴィス騎士団総長のジョアン1世に王位が授けられる。カスティーリャ王国トラスタマラ朝の王フアン1世は、妻の王位を主張し、フランスの騎兵隊や彼に従うポルトガル貴族の軍と共にポルトガルへと侵攻した。6月頃には亜蘭砲・師惹・模結習の3名が帰還している。8月14日、ジョアン1世とフアン1世の間で、アルジュバロータ(現在のポルトガルのアルコバサ)にてポルトガル王位を巡る戦闘が行われ、フアン1世の軍が敗北してジョアン1世のポルトガル王位が確立された。11月頃、察度の使者の亜蘭砲が進貢の為明へ向けて出港する。此の船は翌西暦1386年2月3日に中山十二度目の進貢を果たし、同年12月22日には南山の耶師姑が馬30頭を貢物として納める。ポルトガルは西暦1348年に黒死病の流行が及んだ地であり、此の年に定まった王統の下で、後に海へ乗り出して行く事となる。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,385 2 10 以下3名が明に対し進貢を行う。
①亜蘭砲(中山王国として11度目)
②師惹(南山王国として4度目)
③模結習(北山王国として3度目)
この際3名は、初代明皇帝朱元璋から以下を賜った。
①亜蘭砲(海船1隻)
②師惹(駝紐鍍金銀印、海船1隻)
③模結習(駝紐鍍金銀印)
1,385 4 6 コルテス(身分制議会)がコインブラ(現在のポルトガル)で召集され、ブルゴーヌ朝の王ペドロ1世の庶子且つアヴィス騎士団総長のジョアン1世に王位が授けられる。カスティーリャ王国トラスタマラ朝の王フアン1世は、妻の王位を主張し、フランスの騎兵隊や彼に従うポルトガル貴族の軍と共にポルトガルへと侵攻した。
1,385 6 以下3名が帰還する。
①亜蘭砲
②師惹
③模結習
1,385 8 14 ジョアン1世とフアン1世の間で、アルジュバロータ(現在のポルトガルのアルコバサ)にてポルトガル王位を巡る戦闘が行われる。結果、フアン1世の軍が敗北し、ジョアン1世のポルトガル王位が確立された。
1,385 11 察度の使者の亜蘭砲が、進貢の為、明へ向けて出港する。
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