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≈は「頃」を意味しています。
破傷風ワクチンと称した避妊・堕胎ワクチンの接種キャンペーンがケニアで行われた。
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,331 | 現在の中国河北省で黒死病が流行する。 | |||
| 1,331 | 6 | 5 | 吉田定房が日野俊基の主導する倒幕計画の存在を鎌倉幕府の六波羅探題へ密告する。 | |
| ≈ | 1,331 | 8 | 六波羅探題の命を受けた六角時信が、後醍醐天皇の息のかかった延暦寺衆徒と唐崎(現在の滋賀県大津市)にて戦闘し破れる。 | |
| 1,331 | 9 | 11 | 後醍醐天皇が元号を「元徳」から「元弘」へ改元する。また、鎌倉幕府にも詔書を下したが幕府・持明院統はこれを認めず元徳を使い続けた。 | |
| 1,331 | 9 | 26 | 後醍醐天皇が自身の直系に皇位を継承させる為の倒幕計画が鎌倉幕府に漏れた為、女装し四条隆資等と共に京を脱出する。 | |
| 1,331 | 9 | 26 | 後醍醐天皇が送り込んだ天皇に変装した花山院師賢が延暦寺にて「天皇ここにあり」と宣言する。延暦寺は以前後醍醐天皇第三皇子の護良親王を天台座主として迎え入れる等の根回しを受けていた為、僧兵は後醍醐天皇側に就いた。 | |
| 1,331 | 9 | 29 |
後醍醐天皇一行が以下を経由して笠置山(京都府相楽郡笠置町)に入る。 ①東大寺(現在の奈良県奈良市雑司町) ②金胎寺(現在の京都府相楽郡和束町原山) 後醍醐天皇は、三種の神器の内以下を携帯し、八咫鏡は内侍所に置いて来ていた。 ①天叢雲剣 ②八尺瓊勾玉 |
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| 1,331 | 10 | 3 |
後醍醐天皇が比叡山にいない事に気付いた鎌倉幕府が六波羅探題検断方の以下の2名に平等院(現在の京都府宇治市)に向かわせ、75,000名の兵を集める。 ①糟屋宗秋 ②隅田通治 |
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| 1,331 | 10 | 3 | 高橋又四郎が抜け駆けし、300名を引き連れて笠置山に攻め入ったが、後醍醐天皇の軍に攻め入られ、木津川で溺死する者や馬・鎧も捨て、戦わずして敗走し白昼の京都へ戻る。 | |
| 1,331 | 10 | 4 | 六波羅探題が糟谷宗秋・隅田通治を大将とし、7,500名で笠置山を包囲し攻撃を始める。仁王堂まで進軍した際、錦の御旗を掲げた足助重範が荒尾九郎と弟の荒尾弥五郎を弓で射て奮戦した。後醍醐天皇側の兵は3,000名余であったが、笠置山は天然の要塞であった為善戦する事となる。 | |
| 1,331 | 10 | 13 | 鎌倉幕府軍が下赤坂城(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)を包囲し、攻撃を開始する。これに対し楠木正成が後醍醐天皇の倒幕計画に応じ、500名の軍勢で籠城し挙兵する。また、弟の楠木正季と橘正遠に300名を預けて近くの山に布陣させていた。 | |
| 1,331 | 10 | 20 | 幕府の使者が関東申次西園寺公宗に光厳天皇の践祚を申し入れる。 | |
| 1,331 | 10 | 22 | 慣例により後伏見上皇の詔によって、両統迭立から、三種の神器の無い儘持明院統の光厳天皇が初代北朝天皇として践祚する。剣爾渡御の儀では、日御座の御剣が代用された。以降、後伏見上皇は院政を開始した。また、後醍醐天皇一派の倒幕計画には大覚寺統全体が関与したわけではないとして、大覚寺統嫡流から皇太子を輩出し両統迭立を維持すべきとの理由により、持明院統の同意の下に木寺宮康仁親王が皇太子に選出された。 | |
| 1,331 | 10 | 30 | 夜、風雨の中鎌倉幕府軍の陶山義高等が笠置山に放火した事によって後醍醐天皇側は総崩れとなり、笠置山が陥落する。しかし護良親王は落ち延び、下赤坂城に逃げ込んだ。 | |
| 1,331 | 10 | 31 | 後醍醐天皇が鎌倉幕府軍に捕らえられる。 | |
| ≈ | 1,331 | 11 | 2 | 下赤坂城の兵糧が底を尽きる。 |
| 1,331 | 11 | 3 | 尊良親王が鎌倉幕府軍に捕らえられ佐々木道誉の預かりとなる。 | |
| 1,331 | 11 | 4 |
朝廷が後醍醐天皇に対し、以下の返還を打診する。 ①天叢雲剣 ②八尺瓊勾玉 |
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| 1,331 | 11 | 5 |
朝廷の使者が、後醍醐天皇から以下を受け取る。 ①天叢雲剣 ②八尺瓊勾玉 |
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| 1,331 | 11 | 6 |
後醍醐天皇が廃され、光厳天皇に以下が渡される。 ①天叢雲剣 ②八尺瓊勾玉 慣例により、以下の3名が此れ等の検知を行い、神器の破損が判明したが「其の体相違無し」との回答を得る。 ①四条隆蔭 ②三条実継 ③冷泉定親 |
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| 1,331 | 11 | 8 | 西園寺公宗が拘禁中の後醍醐天皇の本人確認を行う。その際後醍醐天皇は西園寺公宗に一連の倒幕計画の件は「天魔の所為」であるから寛大な措置で許してくれる様鎌倉幕府への取り次ぎを訴えた。この事について花園上皇は「歎息すべき事なり」と所感を記した。 | |
| 1,331 | 11 | 10 | 尊良親王が鎌倉幕府から検知を受ける。 | |
| 1,331 | 11 | 13 | 光厳天皇が二条富小路内裏(現在の京都府京都市中京区桝屋町)に遷幸する。 | |
| 1,331 | 11 | 21 | 夜、楠木正成が大穴に下赤坂城の戦で戦死した焼死体を20〜30体入れて、下赤坂城を放棄し鎌倉幕府軍に奪わせた。鎌倉幕府軍は大穴の焼死体を楠木正成一族と思い込み、翌月関東に引き揚げた。しかし実際には楠木は落ち延びていた。幕府は下赤坂城を攻略した戦功により、湯浅宗藤に地頭職を与え、赤坂城の守備を命じた。 | |