西暦1,332年は、後醍醐天皇が島へ流され、楠木正成が畿内で盛り返した年である。1月25日、鎌倉幕府が尊良親王を土佐への流罪とする判決を下す。4月2日、後醍醐天皇と公卿千種忠顕が隠岐島へ流され、佐々木貞清が用意した「黒木御所」に幽閉された。4月3日には尊良親王の土佐への流罪も執行されている。4月28日、楠木正成は湯浅宗藤が領地の阿弖河荘から人夫500名に兵糧を運び込ませると聞きつけ、其の道中を強襲して兵糧を奪い、空になった俵に武器を入れて自軍の兵を警護に成り済まさせ、下赤坂城へ入り込んだ。為す術無く湯浅は湯浅党と共に降伏して城は開城し、楠木が下赤坂城を奪い返す。5月頃には和泉・河内が制圧され、5月5日に幕府は倒幕計画の関係者の処分を終えて事態の収束を宣言した。然し6月14日の渡辺橋(大阪府大阪市北区堂島)では、300名を囮に住吉・天王寺の伏兵で包囲するという楠木の作戦に六波羅探題が嵌まり、大勢が討たれて京都へ敗走している。6月25日に日野資朝が佐渡にて処刑され、6月26日には日野俊基が葛原ヶ岡(現在の源氏山公園・神奈川県鎌倉市扇ガ谷)で斬首、7月12日には佐々木道誉が鎌倉へ護送中の北畠具行を柏原にて処刑した。10月10日、北条高時は倒幕勢力が畿内で拡大している事を受け、300,000名から成る追討軍を鎌倉から派遣する。日野資朝は西暦1324年10月7日に六波羅探題へ出頭し、西暦1325年9月頃に佐渡島へ送られて以来八年目の最期であり、日野俊基は西暦1331年6月5日に吉田定房が密告した計画の主導者として問われた者である。追討軍を発した北条高時は、西暦1323年11月頃に寿福寺で十三回忌供養が営まれた北条貞時の跡を継いだ得宗であり、処分の終結を宣言した其の年の内に楠木が勢いを増した事は、幕府が事態を収め切れていなかった事を示している。翌西暦1333年2月4日には楠木が天王寺で六波羅探題を破り、各地の挙兵が幕府の瓦解へと進んで行く。

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年月日 出来事
1,332 1 25 鎌倉幕府が尊良親王を土佐への流罪とする判決を下す。
1,332 4 2 以下2名が隠岐島へ流される。佐々木貞清が用意した「黒木御所」に幽閉された。
①後醍醐天皇
②公卿千種忠顕
1,332 4 3 尊良親王の京都から土佐への流罪が執行される。
1,332 4 28 下赤坂城に兵糧が少なく、湯浅宗藤が領地の阿弖河荘(現在の和歌山県有田郡有田川町)から人夫500名に兵糧を夜に持ち込ませる事を聞きつけた楠木正成が、その道中を強襲して兵糧を奪い、空になった俵に武器を入れ自軍の兵に警護に成り済まさせ、城内に入る。為す術無く湯浅は、湯浅氏宗家を中心とする紀伊国の武士団である湯浅党と共に降伏し下赤坂城が開城、楠木が下赤坂城を奪い返した。以降湯浅は楠木に従軍する事となった。
1,332 5 楠木正成が和泉(現在の大阪府)・河内(現在の大阪府東大阪市)を制圧する。これを受け和泉・河内から急使が京都に送られ、今にも楠木が京都へ攻め上がる状態であると報告され洛中が大騒ぎとなった。
1,332 5 5 鎌倉幕府が倒幕計画の関係者の処分を終え、事態の収束を宣言する。
1,332 5 23 光厳天皇が「正慶」に代始改元する。
1,332 6 10 楠木正成が住吉(現在の大阪府大阪市)・天王寺(現在の大阪府大阪市)に侵攻し、渡辺橋(大阪府大阪市北区堂島)の南側に布陣する。
1,332 6 13 六波羅探題が以下2名を軍奉行とし、5,000名を率いさせ天王寺へ向かわせた。
①高橋又四郎
②隅田通治
1,332 6 13 楠木正成が2,000名の軍勢を以下の三手に分ける。
①渡辺橋(300名)
②住吉
③天王寺
1,332 6 14 六波羅探題が渡辺橋に進軍する。楠木正成の軍300名しかそこにはいなかった為、容易に撃破出来ると考え、六波羅探題は橋を渡り始めた。これは楠木の作戦で、自身は囮として六波羅探題を引き付け、前日に住吉・天王寺に展開した兵と共に六波羅探題を包囲する作戦であった。これが成功し、六波羅探題は大勢が討たれ、残りは京都へ敗走した。
1,332 6 25 日野資朝が佐渡にて処刑される。
1,332 6 26 日野俊基が葛原ヶ岡(現在の源氏山公園・神奈川県鎌倉市扇ガ谷)で斬首される。
1,332 7 11 夜、北畠具行と佐々木道誉が談笑する。
1,332 7 12 佐々木道誉が北畠具行を鎌倉へ護送する道中、幕命により柏原(現在の滋賀県米原市)にて北畠を処刑する。剃髪後の斬首であった。
1,332 8 11 六波羅探題に楠木正成征伐を命じられた宇都宮公綱が、700名の兵を率い京都を出発する。
1,332 8 19 夜、宇都宮公綱が京都へ兵を引く。
1,332 8 20 朝、楠木正成が天王寺に入る。
1,332 8 24 楠木正成が住吉大社に馬3頭を献上する。
1,332 8 25 楠木正成が天王寺(現在の四天王寺)を参拝し、宿老の僧に聖徳太子著「未来記」を見せて欲しいと頼み、老僧は「本来は容易くお見せできませんが、特別にご覧に入れましょう」と金軸の書一巻を楠木に見せた。楠木は「後醍醐天皇が再び帝位に着く日もそう遠くない」と解釈した。そして楠木は老僧に以下を献上した。
①黄金の太刀
②鎧一領
③馬
1,332 10 10 北条高時が、倒幕勢力が畿内で拡大している事を受け300,000名から成る追討軍を鎌倉から派遣する。
1,332 12 肥前国彼杵郡江串村の豪族江串入道が土佐から逃亡した尊良親王を迎え入れる。千綿(現在の長崎県東彼杵郡東彼杵町)を経由して木庭(現在の佐賀県鹿島市山浦)に匿った。
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