西暦1325年は、鎌倉幕府が日野俊基を冤罪、日野資朝を佐渡島への流罪とする判決を下した年である。3月23日の判決の後、両名は6月21日に東使長崎泰光と南条宗直に捕縛され、7月8日に鎌倉へ拘禁された。8月16日には後醍醐天皇が倒幕計画の真犯人を探し出す様命じる主旨の書簡を幕府に送り、9月頃に資朝は佐渡島へ流罪となった。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,325 2 20 第95代天皇花園上皇が以下の鎌倉幕府の仮決定を知る。
①日野資朝・日野俊基の倒幕計画は冤罪
②日野資朝の佐渡島への流罪
③日野俊基は無罪
④祐雅法師の追放
資朝は有罪とは言えないが無罪とも言えないと言う理由により流罪となった。
1,325 3 23 鎌倉幕府が日野俊基を冤罪、日野資朝を佐渡島への流罪とする判決を下す。
1,325 6 21 鎌倉から上洛していた東使長崎泰光と南条宗直が、日野資朝・日野俊基を捕縛する。
1,325 7 8 日野資朝・日野俊基が鎌倉に拘禁される。後醍醐天皇の側近だったので、鎌倉幕府は世の誹りや後醍醐の怒りを憚り、拷問はせずに侍所へ軟禁した。
1,325 8 16 後醍醐天皇が鎌倉幕府に対し倒幕計画の真犯人を探し出す様命じる主旨の書簡を送る。
≈ 1,325 9 日野資朝が佐渡島へ流罪となる。