西暦1439年は、足利義視が生誕し、河野教通が越智維通征伐の為細川持常率いる軍に合流した年である。義視は3月3日に足利義教と側室小宰相局の間に生誕した義教の拾男で、4月5日には正親町三条実雅の養君となった。河野教通は5月10日に西園寺公広と共に吉野山に到着し、最終的に維通の弟越智次郎は自決し、維通は討ち取られた。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,439 3 3 以下2名の間に、足利義視が生誕する。
①足利義教
②義教の側室小宰相局
義視は、義教の拾男に当たる。
1,439 3 9 飯尾貞連が、河野教通に、足利持氏征伐の為、美濃国で待機して指令を受ける様要望する書簡を送る。
1,439 4 5 足利義視が、正親町三条実雅の養君となる。
1,439 5 10 以下2名が、越智維通征伐の為、細川持常率いる軍に合流し、吉野山に到着する。
①河野教通
②西園寺公広
河野は此の頃、以下の主旨の書簡を其々1通ずつ受け取っていた。
①現地に結集した諸国の軍勢の間で喧嘩口論が有り、不慮の災禍が起こる危険が有るから厳重に注意せよ。
②吉野発向に就いては、細川成之と協議せよ。
最終的に、維通の弟越智次郎は自決し、維通は討ち取られた。
≈ 1,439 7 河野教通が、伊予国へ帰郷する。