西暦1,456年は、伊予国守護職が河野通春から細川勝元の手に渡り、瀬戸内の荘園経営にも細川の影響が及んだ年である。村上治部進が、東寺から、弓削島荘(現在の愛媛県上島町)の所務請負の話を持ち掛けられる。此の時点で弓削島荘は、安芸国小泉家・讃岐国山路家・能島村上家の2つの家系という4家が支配していた。村上は、所務請負を引き受けるに当たり、条件として細川勝元の折紙を要求した。小泉家や山路家が、細川の家人である為である。但村上は、能島村上家に対しては、細川の折紙を要求している事は口外しない様釘を刺した。2月5日、室町幕府が河野通春の伊予国守護職を罷免し、細川勝元を第14代室町幕府伊予国守護に任命する。此れにより細川は、土佐国守護職との兼任となり、又、予州家が河野氏宗家に対して優勢となった。6月10日には村上治部進が、弓削島荘の状況に就いての書簡を東寺地蔵堂に提出し、4家による支配と、其の内小泉家と山路家が細川勝元に奉公する面々である事を報告している。10月15日、細川勝元が村上治部進に、有名無実となっていた弓削島荘の知行を命じる御内書を発給し、併せて年貢を送る様命じた。10月20日には東寺公文所が村上治部進に細川勝元の御内書を送り、之に従って弓削島所務を厳密に行う様伝えている。12月頃、大内教弘が、門松や祇園会に筥崎松を伐採・使用する事を禁止した。伊予国守護職は西暦1449年2月頃に河野通春が第11代として就き、西暦1450年9月24日に河野教通が第12代へ再任され、西暦1453年6月頃に細川勝元の手で通春が第13代へ改補されて来た職であり、此の年は其の細川自身が第14代として据わった事になる。西暦1455年4月12日の畠山持国の死去で教通の後ろ盾が衰えた後、通春を推して来た細川が守護職そのものを手にした形である。東寺の荘園の請負に細川の折紙が求められた点も、瀬戸内の島々に細川の力が届いていた事を示している。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,456 村上治部進が、東寺から、弓削島荘(現在の愛媛県上島町)の所務請負の話を持ち掛けられる。此の時点で弓削島荘は、以下の4家が支配していた。
①安芸国小泉家
②讃岐国山路家
③能島村上家の2つの家系
村上は、所務請負を引き受けるに当たり、条件として、細川勝元の折紙を要求した。小泉家や山路家が、細川の家人である為である。但村上は、能島村上家に対しては、細川の折紙を要求している事は口外しない様釘を刺した。
1,456 2 5 室町幕府が、河野通春の伊予国守護職を罷免し、細川勝元を第14代室町幕府伊予国守護に任命する。此れにより細川は、土佐国守護職との兼任となり、又、予州家が河野氏宗家に対して優勢となった。
1,456 6 10 村上治部進が、弓削島荘の状況に就いての書簡を東寺地蔵堂に提出する。以下2点等が報告された。
①弓削島荘は以下の4家が支配している。
❶小泉家
❷山路家
❸能島村上家の2つの家系
②①の内、小泉家と山路家は細川勝元に奉公する面々である。此の頃、河野教通は、重見通実と共に野間郡菊万(現在の愛媛県今治市菊間町地区)に逃れた。
1,456 10 15 細川勝元が、村上治部進に、有名無実となっていた弓削島荘の知行を命じる御内書を発給する。又細川は、村上に弓削島荘の年貢を送る様命じた。
1,456 10 20 東寺公文所が、村上治部進に、細川勝元の御内書を送る。東寺公文所は、村上に対し、此の御内書に従って弓削島所務を厳密に行う様伝えた。
1,456 12 大内教弘が、門松や祇園会に筥崎松を伐採・使用する事を禁止する。
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