西暦1,450年は、官文庫の造営費用を巡る朝廷と室町幕府の折衝が進み、伊予国では河野教通が守護に返り咲いた年である。1月13日、大宮長興が、大宮家の文庫を造営する事を朝廷に申し入れ、朝廷から室町幕府に文庫造営を命じて貰う様訴えた。6月30日には大宮長興が、文庫の修繕や宿所を整備する為の費用として昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有り、其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出された事、播磨国と丹波国に就いては守護職が請け負い執り仕切る様にとの指示が有って播磨国の費用として当日100疋が届いた事、担当は飯尾之種と飯尾之清の両名で、初回である為先ず130貫文が直接送られて到着した事を述べ、喜ばしい事だと語っている。9月14日の時点では、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であり、大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ていた為、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねたが、使者は尾張国へまだ下向していなかった。11月25日には官文庫の修繕費用として、段銭500貫文が尾張国から届けられている。伊予国では、8月20日に足利義政が吉川経信に対し伊予国へ渡り河野教通を支援する様命じ、9月24日には室町幕府が小早川盛景にも同様に命じると共に、足利義政は河野を第12代室町幕府伊予国守護として再任させた。大宮長興は西暦1431年に左大史へ任じられながら官務には届かず、西暦1445年3月頃に幕府へ訴えて官務を得ながら同年12月頃に壬生晨照へ奪い返され、西暦1449年11月頃に再び奪還した人物であり、此の年は家職の争いが文庫という設えと其の財源を巡る折衝へ広がった事になる。朝廷の家が要る費用を諸国の段銭から賄うという形は、朝廷の実務が幕府の徴税の仕組みに支えられていた事を示している。伊予国では西暦1449年2月頃に河野通春が細川勝元の支援で第11代室町幕府伊予国守護に就いたばかりであり、一年余りで守護職が教通の手へ戻った。西暦1444年4月22日の小早川煕平等への援助命令に続き、幕府が中国地方の国人へ重ねて教通の支援を命じている点も、此の争いが伊予国の内だけで収まらなくなっていた事を物語る。

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年月日 出来事
1,450 1 13 大宮長興が、大宮家の文庫を造営する事を朝廷に申し入れ、朝廷から室町幕府に文庫造営を命じて貰う様訴える。
1,450 2 7 室町幕府が、伊予国宇和郡等を河野教通に返付する。
1,450 6 30 大宮長興が「私の文庫の修繕や宿所を整備する為の費用として、昨年公家が請け負っていた徴収金を武家から出す様にとの命令が有った。そして、其の管理を第17代管領畠山持国に委ねる旨の御教書が出された。播磨国と丹波国に就いては、守護職が請け負い執り仕切る様にとの指示が有り、播磨国の費用として本日100疋が届いた。此れを担当するのは飯尾之種と飯尾之清の両名である。今回は初回なので、先ず130貫文が私の所に直接送られる事となり、本日到着した。此れは喜ばしい事だ」という主旨の発言をする。
1,450 8 20 足利義政が、吉川経信に対し、伊予国へ渡り河野教通を支援する様命じる。
1,450 9 14 此の時点で、文庫の修理及び宿所の上層部の移住の為の費用として、諸国の段銭を目安に徴収する事が命じられる予定であった。大宮長興だけでなく壬生晨照からも官文庫修繕が出ており、足利義政自身が畠山持国に管理を委ねた。しかし、使者が尾張国へまだ下向していなかった。
1,450 9 24 室町幕府が、小早川盛景に、伊予国へ渡り河野教通を支援する様命じる。又足利義政は、河野を第12代室町幕府伊予国守護として再任させた。
1,450 11 25 官文庫の修繕費用として、段銭500貫文が尾張国から届けられる。
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