西暦1453年は、コンスタンティノープルがメフメト2世によって陥落され、東ローマ帝国が滅亡した年である。陥落は5月29日の事で、6月頃には細川勝元が足利義政の意向を聞かず、御教書・奉書を偽造して河野通春を第13代室町幕府伊予国守護として改補し、京都から伊予国へ帰国する河野を村上吉資が援助した。大内教弘が当主を務める大内氏が日明貿易に参加し、以降細川家と競合した。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,453 大内教弘が当主を務める大内氏が、日明貿易に参加する。以降細川家と競合した。
1,453 5 16 西園寺公広が、歯長寺(現在の愛媛県西予市宇和町伊賀上)住持昌宗に、永長郷(現在の愛媛県西予市宇和町永長)成俊名等の旧領を返付する。
1,453 5 27 細川勝之が、安芸国の小泉興平に対し、越智郡大島(現在の愛媛県今治市)の地頭職等を安堵する。
1,453 5 29 東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が第7代オスマン帝国スルタンのメフメト2世によって陥落され、東ローマ帝国が滅亡する。
≈ 1,453 6 細川勝元が、足利義政の意向を聞かず、御教書・奉書を偽造して、河野通春を第13代室町幕府伊予国守護として改補する。其の後河野は、京都から伊予国へ帰国したが、其の際、村上吉資が河野を援助した。細川の此の行動は、足利との対立を生み、細川は管領職を辞任しようとした。しかし、足利の慰留により、思い留まった。
1,453 6 21 細川勝元が、村上吉資に対し、河野通春の伊予国への帰国の際に援助した事を賞する御教書を発する。