西暦1,451年は、伊予国の争いに瀬戸内の水軍と中国地方の国人が本格的に関与した年である。日明貿易の一環で、第11次遣明船10隻が出発した。6号船は、大友親繁が仕立てている。又此の年、村上吉資を含む因島村上家・来島村上家・能島村上家の三家が予州家方に寝返り、此れを受けて河野教通率いる軍は、来島村上家の本拠地である来島城(現在の愛媛県今治市来島)を攻撃して落城させた。5月11日には室町幕府が杉原伯耆守・小早川盛景に対し、伊予国へ渡り河野教通を支援する様督促している。7月頃、河野教通は小早川盛景・重見通実・森山氏・竹原盛景・益田兼堯・吉川三郎・周布次郎の支援により、河野通春に呼応した城郭20ヶ所余を奪取した。小早川・重見・森山氏・竹原は連携して通春方の抵抗勢力を制圧し、益田は吉田(現在の愛媛県宇和島市)で、吉川・周布は鐘挊尾・味酒(現在の愛媛県松山市)にて戦功を挙げている。教通は小早川の尽力に対して謝意を表し、其の功績を室町幕府に報告した。重見は、宇和郡の大野氏と喜多郡の森山氏の連合体制が出来上がった旨を小早川等に伝えている。室町幕府は7月24日に小早川盛景の部下の戦功を、8月15日に益田兼堯の吉田での戦功を、9月20日には益田兼堯・吉川三郎・周布次郎の鐘挊尾・味酒での戦功を賞した。8月頃には小早川煕平が、伊予国三島七島内下島(現在の広島県呉市の大崎下島)を自身の嫡男小早川敬平に譲っている。9月14日には重見通実が杉原伯耆守・小早川盛景に対し、河野通春征伐の為の合力を依頼した。村上三家は瀬戸内の海路を握る水軍であり、其の寝返りは西暦1449年7月頃に河野教通方として佐礼城を攻略した村上吉資が敵方へ回った事を意味する。大友親繁は西暦1444年に第15代大友家当主となり大友家の両統迭立に終止符を打った人物であり、家中を束ねた後に遣明船を仕立てる立場へ進んだ事になる。遣明船は西暦1371年に朱元璋が海禁令を発して以来、明との交易が国と国との遣り取りへ絞られた中で開かれた回路である。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,451 日明貿易の一環で、第11次遣明船10隻が出発する。6号船は、大友親繁が仕立てた。
1,451 村上吉資を含む以下の三家が、予州家方に寝返る。
①因島村上家
②来島村上家
③能島村上家
此れを受けて河野教通率いる軍は、来島村上家の本拠地である来島城(現在の愛媛県今治市来島)を攻撃し、落城させた。
1,451 5 11 室町幕府が、以下2名に対し、伊予国へ渡り河野教通を支援する様督促する。
①杉原伯耆守
②小早川盛景
1,451 7 河野教通が、以下の支援により、河野通春に呼応した城郭20ヶ所余を奪取する。
①小早川盛景
②重見通実
③森山氏
④竹原盛景
⑤益田兼堯
⑥吉川三郎
⑦周布次郎
小早川・重見・森山氏・竹原は連携して、通春方の抵抗勢力を制圧した。又、益田は吉田(現在の愛媛県宇和島市)で、吉川・周布は鐘挊尾・味酒(現在の愛媛県松山市)にて戦功を挙げた。教通は、小早川の尽力に対して謝意を表し、其の功績を室町幕府に報告した。重見は、宇和郡の大野氏と喜多郡の森山氏の連合体制が出来上がった旨を、小早川等に伝えた。
1,451 7 24 室町幕府が、小早川盛景の部下の戦功を賞する。
1,451 8 15 室町幕府が、益田兼堯の吉田での戦功を賞する。
1,451 8 小早川煕平が、伊予国三島七島内下島(現在の広島県呉市の大崎下島)を、自身の嫡男小早川敬平に譲る。
1,451 9 14 重見通実が、以下2名に対し、河野通春征伐の為の合力を依頼する。
①杉原伯耆守
②小早川盛景
1,451 9 20 室町幕府が、以下3名の鐘挊尾・味酒での戦功を賞する。
①益田兼堯
②吉川三郎
③周布次郎
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