西暦1451年は、第11次遣明船10隻が出発し、因島村上家・来島村上家・能島村上家が予州家方に寝返り、赤沢朝経が信濃国にて生誕した年である。三家の寝返りを受けて河野教通率いる軍は来島城を攻撃して落城させ、7月頃には河野教通が小早川盛景等の支援により、河野通春に呼応した城郭20ヶ所余を奪取した。朝経は後に細川政元に仕え、足利義政の弓道師範となった。

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年月日 出来事
1,451 日明貿易の一環で、第11次遣明船10隻が出発する。6号船は、大友親繁が仕立てた。
1,451 村上吉資を含む以下の三家が、予州家方に寝返る。
①因島村上家
②来島村上家
③能島村上家
此れを受けて河野教通率いる軍は、来島村上家の本拠地である来島城(現在の愛媛県今治市来島)を攻撃し、落城させた。
1,451 赤沢経隆の嫡男赤沢朝経が、信濃国にて生誕する。朝経は後に家督を継いだが、以下の糾法的伝を広める為、家督を自身の嫡男赤沢政経に譲り、経隆・経隆の息子赤沢幸純と共に、上洛した。
①弓(弓術)
②馬(馬術・流鏑馬等)
③礼(武家礼法)
其の後朝経は、細川政元に仕え、小笠原流の弓術を細川に伝授し、其の縁で、足利義政の弓道師範となり、武者所も兼任した。
1,451 5 11 室町幕府が、以下2名に対し、伊予国へ渡り河野教通を支援する様督促する。
①杉原伯耆守
②小早川盛景
≈ 1,451 7 河野教通が、以下の支援により、河野通春に呼応した城郭20ヶ所余を奪取する。
①小早川盛景
②重見通実
③森山氏
④竹原盛景
⑤益田兼堯
⑥吉川三郎
⑦周布次郎
小早川・重見・森山氏・竹原は連携して、通春方の抵抗勢力を制圧した。又、益田は吉田(現在の愛媛県宇和島市)で、吉川・周布は鐘挊尾・味酒(現在の愛媛県松山市)にて戦功を挙げた。教通は、小早川の尽力に対して謝意を表し、其の功績を室町幕府に報告した。重見は、宇和郡の大野氏と喜多郡の森山氏の連合体制が出来上がった旨を、小早川等に伝えた。
1,451 7 24 室町幕府が、小早川盛景の部下の戦功を賞する。
1,451 8 15 室町幕府が、益田兼堯の吉田での戦功を賞する。
≈ 1,451 8 小早川煕平が、伊予国三島七島内下島(現在の広島県呉市の大崎下島)を、自身の嫡男小早川敬平に譲る。
1,451 9 14 重見通実が、以下2名に対し、河野通春征伐の為の合力を依頼する。
①杉原伯耆守
②小早川盛景
1,451 9 20 室町幕府が、以下3名の鐘挊尾・味酒での戦功を賞する。
①益田兼堯
②吉川三郎
③周布次郎