西暦1505年は、川越城が開城し、大和国衆一揆が結成され、今川氏親の指示により今橋城が築城された年である。開城は4月頃の事で、上杉顕定率いる軍に包囲された上杉朝良は降伏し、出家させられて菅谷館に幽閉され、上杉朝興が第13代扇谷上杉家当主に就任した。大和国衆一揆の結成は3月9日の事で、筒井方8名と越智方4名の計12名が春日大社に起請文を捧げて和睦を誓い、筒井は越智の娘を妻に迎えた。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,505 アフリカ大陸からイスパニョーラ島への黒人奴隷の連行を開始する(黒人奴隷貿易)。
1,505 今川氏親が、中御門宣胤の娘寿桂尼を正室に迎える。此れにより今川は、朝廷との繋がりを得、此の頃から修理大夫を称し始めた。
1,505 今川氏親の指示により、牧野古白の手によって、今橋城(現在の愛知県豊橋市今橋町)が築城される。三河国西部に勢力を伸ばして来た松平長親に備える事を意図していた。
1,505 赤沢朝経が、細川政元から赦免され、山城国上三郡守護代に就任する。
≈ 1,505 1 以下2名率いる軍が、初沢城を落城させる。
①上杉顕定
②長尾能景
≈ 1,505 1 以下2名が和睦する。
①畠山義英
②畠山尚順
河内国を南北に分けて半国ずつ領有する事とし、義英が河内国北半国守護、尚順が河内国南半国守護に就任した。
1,505 1 18 フェリペ1世(カスティーリャ王)がフランチェスコ・デ・タシス1世と、リール(現在のフランスのノール県)にあるブルゴーニュ会計検査院を通じ毎年12,000ルーブルの委託金を支払う郵便事業契約を結び、フランチェスコ・デ・タシス1世がカスティーリャ王国の郵便網建設と郵便事業を担う事となった。契約内容として、ブリュッセル(現在のベルギー)を起点とし、以下の3都市を結ぶ三叉路の郵便網を構築する事であった。また、フランチェスコ・デ・タシス1世は商用郵便と旅行業も認められており、この郵便網を用いて国費が投じられてはいたがタシス家の経営により商用利用されていた。
①インスブルック(現在のオーストリアのチロル州)
②パリ
③トレド(スペイン宮廷)
1,505 1 31 以下2名率いる軍が、真田城(現在の神奈川県平塚市真田)を落城させる。
①上杉顕定
②長尾能景
此れは、小田原城-川越城の北条家と扇谷上杉家の同盟ラインを崩すのを狙ってのものであり、目的を達成した。
1,505 3 9 以下12名が、春日大社(現在の奈良県奈良市春日野町)に起請文を捧げ、和睦を誓い「大和国衆一揆」が結成される。
①筒井方
❶成身院順盛
❷筒井順賢
❸十市遠治
❹箸尾為国
❺布施行国
❻布施高田清房
❼楢原栄遠
❽倶尸羅氏
②越智方
❶越智家令
❷万歳則定
❸吐田遠光
❹岡政行
此れに伴い筒井は、越智の娘を妻に迎えた。
≈ 1,505 4 上杉顕定率いる軍が、川越城を包囲する。上杉朝良は降伏し、川越城は開城した。顕定は、朝良を出家させて菅谷館(現在の埼玉県比企郡嵐山町菅谷)に幽閉し、家督を自身の甥の上杉朝興に譲らせ扇谷上杉家当主とする事を扇谷上杉家の家臣達に強要した。此れにより朝興は、第13代扇谷上杉家当主に就任した。
≈ 1,505 12 赤沢朝経が河内国へ出陣する為大和国を通過する旨の通知が、大和国衆一揆に齎される。此れに反対した大和国衆一揆は、以下の人間による連判状を作成した。
①筒井順賢
②十市遠治
③箸尾為国
④布施行国
⑤楢原栄遠
⑥越智家令
⑦万歳則定
⑧吐田遠光
⑨片岡氏
≈ 1,505 12 赤沢朝経が、畠山義英の居城である誉田城を攻撃する。第9世本願寺宗主実如が、細川政元の要請に応えて加賀国に居る門徒達の中から動員した1,000名も加わっていた。此の攻撃に至った背景として、義英と畠山尚順の和睦が有った。此れを受けて義英は、周防国に居る足利義稙に、畠山尚順と共に義稙の上洛に尽力する事を誓う旨の書簡を送り、感状を与えられた。