西暦1,504年は、畿内と関東で大きな争乱が相次いだ年である。京では、細川政元が薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとした事等を背景に、薬師寺元一が細川澄元の管領擁立を狙って淀古城で挙兵した(薬師寺元一の乱)。細川政元は薬師寺長忠を派遣し、神足城・淀古城を相次いで攻め落とした。10月27日、捕らえられた薬師寺元一は自らが建立した一元寺で切腹し、辞世の句を残した。10月12日には下京の民衆が徳政令を求めて土一揆を起こし、土倉や酒屋を襲撃した為、室町幕府は10月18日に徳政令を発布した。関東では、山内上杉家の上杉顕定が川越城や江戸城に迫り、扇谷上杉家の上杉朝良が北条早雲と今川氏親に救援を求めた。11月3日の立河原の戦いで山内上杉軍は大敗し、上杉顕定は鉢形城へ敗走した。海外では、11月26日にカスティーリャ女王イサベル1世が崩御し、娘フアナが王位を継ぎ、其の夫フェリペ1世が共同王を主張してカスティーリャに進出した。

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年月日 出来事
1,504 1 10 足利義澄が、新年の参賀式の為参内する。宴の後、細川政元は召し出されて、天盃を拝領した。西暦1,439年の細川持之以来の、非常に稀な事であった。政元は御礼に、万疋を進上した。
1,504 5 2 細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。しかし、足利義澄の介入により取り止めとなった。
1,504 5 3 薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。
1,504 5 8 足利義澄が、細川政元の為に和歌会を催す。
1,504 8 7 高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。
1,504 8 9 細川政元が、安富元家を召し返す。
1,504 8 24 以下2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。
①細川成之
 ②細川澄元
1,504 9 5 周防国に居る足利義稙が上洛するとの噂が京都で流れる。
1,504 9 8 安富元家が死去する。
1,504 9 29 上杉顕定が、上戸(現在の埼玉県川越市)に着陣する。其の後、川越城を攻撃したが落とせなかった。此の頃、山内上杉軍は以下に拠点を持ち、扇谷上杉軍に対抗していた。
①白井城
②鉢形城
③上戸の出城
1,504 10 上杉顕定が、目標を江戸城に変え、仙波(現在の埼玉県川越市小仙波町周辺)から進軍し、白子(現在の埼玉県和光市)に布陣する。此れを受けて上杉朝良は、以下2名に救援を求めた。
①韮山城に居た北条早雲
②今川館(現在の静岡県静岡市葵区駿府城公園)に居た今川氏親
1,504 10 10 夜、薬師寺長盛の参男寺町又三郎が、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けた為、京都から逐電する。
1,504 10 11 薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。
1,504 10 12 下京の民衆が土一揆を起こす。徳政令の発布を要求し、土倉や酒屋を襲撃した。
1,504 10 13 西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城(現在の京都府長岡京市東神足)にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に以下の人間等を派遣した。
①上野元治
②上野政益
③安富元家の嫡男安富元治
③内藤貞正
1,504 10 13 下京の民衆が、下京の町を、借用書や質札を含めて焼き払う。
1,504 10 13 以下4名率いる軍が、神足城に進軍する。
①上野元治
②上野政益
③安富元治
③内藤貞正
西岡被官衆が迎撃する形で合戦となった。所々が焼失し、合戦は翌日迄続いたが、西岡被官衆は敗北し、残党は淀古城に敗走した。
1,504 10 14 赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。
1,504 10 16 西暦1,499年に赤沢朝経に敗れて以降河内国に没落していた以下2名が、大和国へ帰国する。
①筒井順賢
②成身院順盛
1,504 10 17 神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、以下2名が討死する。 ①寺町又三郎
②安富元治
1,504 10 17 第193世興福寺別当光慶と越智家全が、大和国人衆の和睦を図り、以下3名が、興福寺修南院にて会談を行う。
①筒井順賢
②成身院順盛
③古市澄胤
1,504 10 18 室町幕府が徳政令を発布する。此れは、下京の民衆の土一揆を受けたものであった。
1,504 10 21 香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。
1,504 10 22 上杉朝良に呼応した北条早雲が、稲毛(現在の神奈川県川崎市多摩区登戸・宿河原・生田・菅稲田堤・枡形周辺)に到着する。其の後枡形山(現在の神奈川県川崎市多摩区枡形)に布陣した。元々扇谷上杉家は、江戸城の他にも、初沢城(現在の東京都八王子市初沢町)に拠点を持っていたが、其れ等の中間地点である枡形山に北条が進出し、川越城を含めて、山内上杉軍が包囲される形となった。其の為上杉顕定は、江戸城攻撃を中止し、扇谷上杉軍の手薄な多摩川上流から相模国に進出しようとし、立河原(現在の東京都立川市柴崎町)に布陣した。
1,504 10 23 以下の人間が神足城を落城させる。
①上野元治
②上野政益
③内藤貞正
④香西元長
⑤山内就綱
⑥伊庭貞隆
⑦柳本長治
⑧武田衆
⑨波多野元清
⑩近郷の土一揆勢
薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。
1,504 10 24 以下の人間を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。
①薬師寺長忠
②上野元治
③上野政益
④内藤貞正
⑤香西元長
⑥山内就綱
⑦伊庭貞隆
⑧柳本長治
⑨武田衆
⑩波多野元清
⑪近郷の土一揆勢
1,504 10 26 以下の人間が、淀古城を落城させる。
①薬師寺長忠
②上野元治
③上野政益
④内藤貞正
⑤香西元長
⑥山内就綱
⑦伊庭貞隆
⑧柳本長治
⑨武田衆
⑩波多野元清
⑪近郷の土一揆勢
四宮長能父子は自害した。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。
1,504 10 26 赤沢朝経が、槙島城から没落し、行方不明となる。
1,504 10 27 此の日から4日間、今川氏親率いる軍が、続々と枡形山に到着する。
1,504 10 27 薬師寺元一が、自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられる。薬師寺は、以下の辞世の句を詠み「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。
地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな
(あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう)
我が主は、若衆との掛詞となっており「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。又薬師寺は、若衆と発音する様家臣に指示していた。
1,504 11 2 以下3名率いる軍が、枡形山を出発する。
①上杉朝良
②北条早雲
③今川氏親
1,504 11 3 12時頃、以下3名率いる軍が、立河原に到着する。
①上杉朝良
②北条早雲
③今川氏親
其の後、山内上杉軍と交戦した。広い範囲での激しい戦闘となり、山内上杉軍は2,000騎余を失い、夕方には敗北が決定的となった。夜、上杉顕定は鉢形城に敗走した。
1,504 11 26 イサベル1世(カスティーリャ女王)が崩御し、フェルナンド2世(アラゴン王)とイサベル1世(カスティーリャ女王)の娘フアナ(カスティーリャ女王)が即位する。フアナ(カスティーリャ女王)の夫であるフェリペ1世(カスティーリャ王)は共同王を主張し、カスティーリャに進出する。
1,504 12 以下2名が、帰還の為鎌倉に向かう。
①北条早雲
②今川氏親
其の後2名は、熱海で静養し、韮山城で法要を行った。そして今川は、北条と別れ、今川館へと帰還した。
1,504 12 第10代室町幕府越後国守護上杉房能が、自身の兄である上杉顕定の敗戦を聞き、越後国守護代長尾能景率いる援軍を鉢形城に差し向ける。其の後長尾は、顕定と合流した。
1,504 12 上杉顕定率いる山内上杉軍が、北条早雲・今川氏親の帰還によって守備が手薄となった川越城を攻撃する。山内上杉軍は、扇谷上杉軍を追い払い、立河原付近を押さえた。
1,504 12 4 病により言語不明瞭で狂乱状態となった壬生雅久が、文庫の文書を売り払う。書筐の中は、殆ど書物が残っていなかった。
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