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≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,504 | 1 | 10 | 足利義澄が、新年の参賀式の為参内する。宴の後、細川政元は召し出されて、天盃を拝領した。西暦1,439年の細川持之以来の、非常に稀な事であった。政元は御礼に、万疋を進上した。 | |
| 1,504 | 5 | 2 | 細川政元が、薬師寺元一の摂津国守護代職を罷免しようとする。しかし、足利義澄の介入により取り止めとなった。 | |
| 1,504 | 5 | 3 | 薬師寺元一が、前日の御礼として、足利義澄に馬・太刀等を献上する。 | |
| 1,504 | 5 | 8 | 足利義澄が、細川政元の為に和歌会を催す。 | |
| 1,504 | 8 | 7 | 高野山に逃れていた赤沢朝経が、薬師寺元一の仲介によって、細川政元から宥免・召還される。 | |
| ≈ | 1,504 | 8 | 9 | 細川政元が、安富元家を召し返す。 |
| 1,504 | 8 | 24 |
以下2名が、周防国の大内義興に宛てて、足利義稙からの御内書への御礼を送る。 ①細川成之 ②細川澄元 |
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| 1,504 | 9 | 5 | 周防国に居る足利義稙が上洛するとの噂が京都で流れる。 | |
| ≈ | 1,504 | 9 | 8 | 安富元家が死去する。 |
| 1,504 | 9 | 29 |
上杉顕定が、上戸(現在の埼玉県川越市)に着陣する。其の後、川越城を攻撃したが落とせなかった。此の頃、山内上杉軍は以下に拠点を持ち、扇谷上杉軍に対抗していた。 ①白井城 ②鉢形城 ③上戸の出城 |
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| ≈ | 1,504 | 10 |
上杉顕定が、目標を江戸城に変え、仙波(現在の埼玉県川越市小仙波町周辺)から進軍し、白子(現在の埼玉県和光市)に布陣する。此れを受けて上杉朝良は、以下2名に救援を求めた。 ①韮山城に居た北条早雲 ②今川館(現在の静岡県静岡市葵区駿府城公園)に居た今川氏親 |
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| 1,504 | 10 | 10 | 夜、薬師寺長盛の参男寺町又三郎が、細川政元が自身に打手を差し向けるという情報を聞き付けた為、京都から逐電する。 | |
| 1,504 | 10 | 11 | 薬師寺元一が、自身の謀反が細川政元に露見した為、淀古城(現在の京都府京都市伏見区納所北城堀)に籠城し、西岡の武士四宮長能父子と共に挙兵する。細川澄元を管領に擁立する狙いが有った。細川京兆家にも、細川政元に背く者が多数発生した。政元は即座に、薬師寺長盛の弐男薬師寺長忠を、元一征伐の為に派遣した。 | |
| 1,504 | 10 | 12 | 下京の民衆が土一揆を起こす。徳政令の発布を要求し、土倉や酒屋を襲撃した。 | |
| 1,504 | 10 | 13 |
西岡被官衆の多くが薬師寺元一に呼応し、神足城(現在の京都府長岡京市東神足)にて挙兵する。細川政元は、此れを鎮圧する為に以下の人間等を派遣した。 ①上野元治 ②上野政益 ③安富元家の嫡男安富元治 ③内藤貞正 |
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| 1,504 | 10 | 13 | 下京の民衆が、下京の町を、借用書や質札を含めて焼き払う。 | |
| 1,504 | 10 | 13 |
以下4名率いる軍が、神足城に進軍する。 ①上野元治 ②上野政益 ③安富元治 ③内藤貞正 西岡被官衆が迎撃する形で合戦となった。所々が焼失し、合戦は翌日迄続いたが、西岡被官衆は敗北し、残党は淀古城に敗走した。 |
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| 1,504 | 10 | 14 | 赤沢朝経が、薬師寺元一に呼応し、京都から出奔する。 | |
| 1,504 | 10 | 16 |
西暦1,499年に赤沢朝経に敗れて以降河内国に没落していた以下2名が、大和国へ帰国する。 ①筒井順賢 ②成身院順盛 |
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| 1,504 | 10 | 17 |
神足城にて、薬師寺元一方と細川政元方の間で合戦が発生し、以下2名が討死する。
①寺町又三郎 ②安富元治 |
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| 1,504 | 10 | 17 |
第193世興福寺別当光慶と越智家全が、大和国人衆の和睦を図り、以下3名が、興福寺修南院にて会談を行う。 ①筒井順賢 ②成身院順盛 ③古市澄胤 |
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| 1,504 | 10 | 18 | 室町幕府が徳政令を発布する。此れは、下京の民衆の土一揆を受けたものであった。 | |
| 1,504 | 10 | 21 | 香西元長が、下京や京都近郊の村々の住民に、半済を条件として、薬師寺元一征伐の兵を募る。 | |
| 1,504 | 10 | 22 | 上杉朝良に呼応した北条早雲が、稲毛(現在の神奈川県川崎市多摩区登戸・宿河原・生田・菅稲田堤・枡形周辺)に到着する。其の後枡形山(現在の神奈川県川崎市多摩区枡形)に布陣した。元々扇谷上杉家は、江戸城の他にも、初沢城(現在の東京都八王子市初沢町)に拠点を持っていたが、其れ等の中間地点である枡形山に北条が進出し、川越城を含めて、山内上杉軍が包囲される形となった。其の為上杉顕定は、江戸城攻撃を中止し、扇谷上杉軍の手薄な多摩川上流から相模国に進出しようとし、立河原(現在の東京都立川市柴崎町)に布陣した。 | |
| 1,504 | 10 | 23 |
以下の人間が神足城を落城させる。 ①上野元治 ②上野政益 ③内藤貞正 ④香西元長 ⑤山内就綱 ⑥伊庭貞隆 ⑦柳本長治 ⑧武田衆 ⑨波多野元清 ⑩近郷の土一揆勢 薬師寺元一方の与力四宮長能父子及び西岡被官衆は、淀古城に逃亡した。 |
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| 1,504 | 10 | 24 |
以下の人間を含む1,000名余が、淀古城へ向けて出陣する。 ①薬師寺長忠 ②上野元治 ③上野政益 ④内藤貞正 ⑤香西元長 ⑥山内就綱 ⑦伊庭貞隆 ⑧柳本長治 ⑨武田衆 ⑩波多野元清 ⑪近郷の土一揆勢 |
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| 1,504 | 10 | 26 |
以下の人間が、淀古城を落城させる。 ①薬師寺長忠 ②上野元治 ③上野政益 ④内藤貞正 ⑤香西元長 ⑥山内就綱 ⑦伊庭貞隆 ⑧柳本長治 ⑨武田衆 ⑩波多野元清 ⑪近郷の土一揆勢 四宮長能父子は自害した。薬師寺元一は、逃亡しようとした所を香西に捕縛され、細川政元の指示で京都に護送された。 |
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| 1,504 | 10 | 26 | 赤沢朝経が、槙島城から没落し、行方不明となる。 | |
| 1,504 | 10 | 27 | 此の日から4日間、今川氏親率いる軍が、続々と枡形山に到着する。 | |
| 1,504 | 10 | 27 |
薬師寺元一が、自身の建立した一元寺(現在の京都府京都市上京区南舟橋町)にて切腹させられる。薬師寺は、以下の辞世の句を詠み「我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、此の寺も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし」と言い、切腹した。 地獄には よき我が主の在るやとて 今日思ひ立つ 旅衣かな (あの世には良い主が居るそうだから、今日思い切って旅に出てみよう) 我が主は、若衆との掛詞となっており「地獄にもいい若衆がいるから、先に旅立って下見しておいてやるよ」と、細川政元を地獄へ誘う意味が込められていた。又薬師寺は、若衆と発音する様家臣に指示していた。 |
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| 1,504 | 11 | 2 |
以下3名率いる軍が、枡形山を出発する。 ①上杉朝良 ②北条早雲 ③今川氏親 |
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| 1,504 | 11 | 3 |
12時頃、以下3名率いる軍が、立河原に到着する。 ①上杉朝良 ②北条早雲 ③今川氏親 其の後、山内上杉軍と交戦した。広い範囲での激しい戦闘となり、山内上杉軍は2,000騎余を失い、夕方には敗北が決定的となった。夜、上杉顕定は鉢形城に敗走した。 |
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| 1,504 | 11 | 26 | イサベル1世(カスティーリャ女王)が崩御し、フェルナンド2世(アラゴン王)とイサベル1世(カスティーリャ女王)の娘フアナ(カスティーリャ女王)が即位する。フアナ(カスティーリャ女王)の夫であるフェリペ1世(カスティーリャ王)は共同王を主張し、カスティーリャに進出する。 | |
| ≈ | 1,504 | 12 |
以下2名が、帰還の為鎌倉に向かう。 ①北条早雲 ②今川氏親 其の後2名は、熱海で静養し、韮山城で法要を行った。そして今川は、北条と別れ、今川館へと帰還した。 |
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| ≈ | 1,504 | 12 | 第10代室町幕府越後国守護上杉房能が、自身の兄である上杉顕定の敗戦を聞き、越後国守護代長尾能景率いる援軍を鉢形城に差し向ける。其の後長尾は、顕定と合流した。 | |
| ≈ | 1,504 | 12 | 上杉顕定率いる山内上杉軍が、北条早雲・今川氏親の帰還によって守備が手薄となった川越城を攻撃する。山内上杉軍は、扇谷上杉軍を追い払い、立河原付近を押さえた。 | |
| 1,504 | 12 | 4 | 病により言語不明瞭で狂乱状態となった壬生雅久が、文庫の文書を売り払う。書筐の中は、殆ど書物が残っていなかった。 | |