西暦1503年は、細川澄元を細川政元の養子に迎える約定が取り付けられ、第214代ローマ教皇アレクサンデル6世が毒殺された年である。1月23日には足利義澄が足利義稙の死を願う自筆の願文を石清水八幡宮に奉納し、6月14日には阿波国に入った薬師寺元一等が細川成之と約定を取り付けた。毒殺は8月18日の事で、枢機卿達に飲ませようとした致命的な薬による物であった。

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年月日 出来事
1,503 1 5 足利義澄が、第10代室町幕府越後国守護上杉房能に対し、以下の内容の御内書を発する。
伊勢盛種が知行している越後国松山保(現在の新潟県十日町市松代地区・松之山地区)の件に就いて、伊勢が直接支配しているにも拘らず、代官と称して、上杉殿の被官人である長尾輔景が強引に入部したとの事、驚き呆れております。よって、伊勢を下向させましたので、きちんと処罰を加え、元通り問題の無い様にして頂ければ、誠に結構な事です。詳しくは細川政元が申し伝えるでしょう。
1,503 1 23 足利義澄が、足利義稙の死を願う自筆の願文を、石清水八幡宮に奉納する。義澄は、分裂した足利家を認めず、義稙を今出川姓で呼んだ。
1,503 3 24 足利義澄が真木島(現在の京都府宇治市)に下向する。細川政元の饗応を受けた。
1,503 3 27 足利義澄が帰洛する。
≈ 1,503 4 赤沢朝経が、伊庭貞隆の援軍として近江国に入る。其の後、六角高頼の籠城する音羽城(現在の滋賀県蒲生郡日野町音羽)を包囲した。
1,503 6 14 以下3名等が阿波国に入る。
①薬師寺元一
②上野政益
③波々伯部盛郷
3名等は、細川成之と、第10代室町幕府阿波国守護を務めた細川義春の弐男細川澄元を細川政元の養子に迎える約定を取り付け、京都に戻った。
1,503 7 11 伊庭貞隆の後ろ盾である細川政元の仲介により、以下2名が和睦する。
①六角高頼
②貞隆
此の際、貞隆の息子伊庭六郎が、六角と対面した。此の頃、赤沢朝経は、京都に帰還した。細川が和睦に回った為、貞隆は兵を引き、以下2名は間も無くして、京都に逃れ、細川を頼った。
①六郎
②山内就綱
1,503 8 18 第214代ローマ教皇アレクサンデル6世が、枢機卿達に飲ませようとした致命的な薬によって毒殺される。
1,503 8 22 安富元家の与力で兵庫津代官の高橋光正が、細川政元の命により殺害される。安富は此れを不服とし、遁世した。後任として、赤沢朝経が兵庫津代官に就任した。
1,503 10 24 足利義澄が真木島に下向する。足利は細川政元に、上洛する様説得した。
1,503 11 5 細川政元が上洛する。以降家臣を遠ざける等、細川の言動に異常が見られる様になった。