西暦1501年は、細川政元が隠居を宣言して撤回し、ペドロ・アルヴァレス・カブラルがリスボンに帰還した年である。宣言は3月6日、撤回は5月10日の事で、細川は足利義澄の慰留の使者にも領国に下向すると言い放ち、丹波国神吉へ下向した後に槇島城に入ったが、足利が訪ねて説得した。帰還は6月23日の事で、西暦1500年3月9日に13隻で出発したものの、帰還したのは僅か4隻であった。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
≈ 1,501 薬師寺元一が、摂津国守護代で薬師寺長盛の兄である薬師寺元長の養子となる。元長は子供が居なかった。又元一は、細川政元の偏諱を受けた。
1,501 以下2名が、浜松荘と其の拠点である曳馬城(現在の静岡県浜松市中区元城町)を巡って争っていた。
①今川氏親の支持を受けた飯尾賢連
②斯波義達の支持を受けた大河内貞綱
最終的に、今川が大河内を追い落とし、飯尾が浜松荘代官に任じられた。
1,501 1 16 ペドロ・アルヴァレス・カブラルが、ポルトガルへ向けて出港する。
≈ 1,501 2 17 此の頃、細川政元が、出仕しなくなり、細川と足利義澄の不和が表面化し始める。其の後細川は、出仕を再開したものの、足利との溝は埋まらなかった。
1,501 3 1 ヴァスコ・ダ・ガマが香辛料をポルトガルに持ち帰る。
1,501 3 1 フェリペ1世(カスティーリャ王)が、フランチェスコ・デ・タシス1世をブルゴーニュとネーデルラントの郵便主任に就任させる。
1,501 3 6 細川政元が、安富元家の宿所に赴き、隠居を宣言する。細川は其処に留まった。足利義澄は慰留の使者を遣わせたが、細川は領国に下向すると言い放った。
1,501 3 27 細川政元が、丹波国神吉(現在の京都府南丹市八木町神吉)へ下向する。其の後細川は、槇島城(現在の京都府宇治市槇島町薗場)に入った。
1,501 5 10 足利義澄が、槇島城に居る細川政元を訪ね、説得する。細川は隠居を撤回した。
1,501 6 23 ペドロ・アルヴァレス・カブラルがリスボンに帰還する。西暦1,500年3月9日に13隻で出発したものの、此の日帰還したのは僅か4隻であった。
1,501 7 1 細川政元が、即位礼を望んでいる後柏原天皇に対し「朝廷に於いて即位礼を執り行うのは無益な事です。仮令儀式を行っても、実質が伴わなければ、人々は天皇として認めないでしょう。即位礼を行わずとも、私は後柏原殿を天皇と認めています。従って、末代となった今、即位式を執り行うのは不相応な事です。手続きを進めようとしても、結局は無駄に終わるでしょう」という主旨の発言をする。此の時の朝廷は財政難で、儀式を行う余裕が無かった。
1,501 12 28 神保長誠が、越中国にて病没する。