以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,494 | 越智家栄が修理大夫に任じられる。 | |||
| ≈ | 1,494 | 北条早雲が、今川氏親軍を率い、遠江国へ侵攻を開始する。そして、大井川から遠江国中部(現在の静岡県磐田市付近)に掛けてを制圧した。 | ||
| 1,494 | 天方城(静岡県周智郡森町問詰)主天方通季が、今川氏親方に降伏する。以降天方は、今川に臣従した。 | |||
| 1,494 | 3 | 5 |
官務壬生晴富が以下の主旨の内容を記す。 文庫の修繕を行うに当たり、従来は諸国からの段銭・棟別銭或いは御倉からの納銭・御物の寄付等によって、毎回厳重な対応が為されて来ました。しかし近年、其の様な措置が十分に行われず、土壁が崩れ落ち、庫内の柱が腐って朽ち、外からも内からも透けて見える状態となり、文書は日を追う毎に朽ちて損傷していました。西暦1,494年2月20日に強風が吹き、仮屋が倒れてしまった為、風雨により益々漏湿が酷くなり、言葉に尽くせない程の惨状です。諸家の文籍は全て紛失し、文庫に残された物は天下の明鏡として備えておくべき物であったにも拘らず、此の様な事態に至って滅失してしまうのは、誠に嘆かわしい限りです。 |
|
| 1,494 | 6 | 金鉱とアジアへの経路を探索していたクリストファー・コロンブス一行が、成果を上げる事が出来ず引き返す。 | ||
| ≈ | 1,494 | 6 | 大友政親派の重臣で筑後国詰郡代の田原親宗が、府内(現在の大分県大分市)に侵攻する。大友義右を追放するのが狙いであった。しかし義右は此れを撃破し、田原は敗走した。 | |
| 1,494 | 9 | 14 | 上杉定正が、山内上杉家の上杉顕実の守備する関戸城(現在の東京都多摩市桜ヶ丘)を攻撃する。関戸城は陥落した。 | |
| 1,494 | 9 | 15 | 小田原城主で扇谷上杉家方の大森氏頼が死去する。此の頃上杉定正は、北条早雲の軍を相模国・武蔵国へ招き入れていた。 | |
| ≈ | 1,494 | 9 | 30 | クリストファー・コロンブス一行がイサベラに上陸する。しかし植民同士が仲違いしていた。 |
| ≈ | 1,494 | 10 | 大内政弘が、中風の悪化により、大内義興に家督を譲り隠居する。 | |
| 1,494 | 10 | 22 | 扇谷上杉家方の三崎城(現在の神奈川県三浦市城山町)主三浦時高が死去する。其の後相模三浦家は家督争いの混乱に陥り、最終的に三浦義同が、第11代相模三浦家当主に就任した。 | |
| 1,494 | 10 | 20 |
足利義稙が、放生津城(現在の富山県射水市中新湊)に移り挙兵する。以下2名の打倒を宣言し、全国の諸将に檄を飛ばした。 ①足利義澄 ②細川政元 そして、以下の人間が呼応した。 ①畠山義統 ②朝倉貞景 ③上杉房定 ④富樫稙泰 ⑤大友政親 |
|
| 1,494 | 10 | 27 | 北条早雲が、上杉定正の援軍として、上杉顕定の本拠である鉢形城攻撃を意図し、武蔵国高見原(現在の埼玉県比企郡小川町高見)に出陣する。 | |
| ≈ | 1,494 | 10 | 30 |
以下2名が、上杉顕定と荒川を挟んで高見原で対陣する。 ①上杉定正 ②北条早雲 |
| ≈ | 1,494 | 11 | 細川義春が、山城国人衆を味方に付け、伊勢貞陸を山城国守護職から追い落とそうとする。細川政元は此れを認めなかったが、古市氏による南山城支配が揺らぎ始めた。 | |
| 1,494 | 11 | 2 | 上杉定正が、荒川を渡河しようとした際に落馬して死去する。北条早雲は退却した。定正の後継として、定正の生前に養子となっていた定正の弟上杉朝昌の息子である上杉朝良が家督を継いだ。定正には嫡子が居なかった。 | |
| 1,494 | 12 | 25 | 細川政元に山城国守護職就任を阻まれ怒った細川義春が、阿波国に向けて京都を出発する。 | |