西暦1482年は、吉見信頼が陶弘護を刺殺し、足利義政が命じた山荘造営が浄土寺にて着手された年である。刺殺は6月13日の事で、吉見信頼は大内館での宴会にて吉見家の家宝の短刀である鵜噬を用いて陶弘護を刺殺し、内藤弘矩が直様吉見を斬殺した。山荘造営の着手は2月21日の事で、7月28日には足利義政が足利義尚に政務を譲る意思を表明し、8月28日には河野通春が居城の港山城にて病没した。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,482 2 21 足利義政が命じた山荘造営が、浄土寺(現在の京都府京都市左京区浄土寺地区)にて着手される。
≈ 1,482 4 小笠原元長が、大内政弘に拝謁する。其の際陶弘護は「武門にある以上、武芸を極めるのは当然であり、武は弓矢を以って要とする。今日、天下の弓矢の道は小笠原を以って規範とするものである」として、小笠原に師事し、奥義を学んだ。
≈ 1,482 4 西暦1,475年11月26日に仁保弘名から池永彦次郎に打ち渡された津隈荘40町の内20町が、大内政弘から毛利弘元に預けられる。
≈ 1,482 6 吉見信頼が、自身の弟の吉見頼興に家督を譲る。此れにより頼興は、第9代石見吉見家当主となった。又此の頃信頼は、大内政弘に拝謁した。
1,482 6 13 吉見信頼が、大内館(現在の山口県山口市大殿大路)での宴会にて、陶弘護を吉見家の家宝の短刀である鵜噬を用いて刺殺する。大内義興の家臣で長門国守護代の内藤弘矩は、直様吉見を斬殺した。吉見頼興は、陶家の報復を予見し、吉見家の書物を処分したが、報復は行われなかった。
1,482 6 14 大内政弘が、陶弘護が吉見信頼と共に死去した事は残念無念であるとの主旨の書簡を右田弘詮に送る。
1,482 6 25 足利義尚主催の「将軍家百番歌合」が開催される。以下の人間等が詠人として参加し、飛鳥井雅親が判者を務めた。
①足利
②二条持通
③近衛政家
1,482 7 28 足利義政が、足利義尚に政務を譲る意思を表明する。
≈ 1,482 8 足利義尚主催の「十五番歌合」が開催される。以下の人間等が詠人として参加し、飛鳥井雅親が判者を務めた。
①足利
②二条持通
③近衛政家
1,482 8 28 河野通春が、居城の港山城にて病没する。
1,482 9 23 足利義尚主催の「将軍家将軍家千首歌合」が開催される。