西暦1479年は、細川義春率いる軍が阿波国から伊予国に侵攻し、村上氏・忽那氏等の水軍が細川率いる軍の補給路や退路を断った年である。侵攻を受けて河野通春と河野教通は一時和睦し、河野通生が神途城に籠城して指揮を取り、細川は阿波国へ潰走したが、其の後通春と教通は再び争う事となった。京都では3月6日に花の御所の再建が、5月17日に土御門内裏の修繕が開始され、12月頃には足利義尚が政務を執り始めた。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,479 大内政弘の命により、筥崎宮(現在の福岡県福岡市東区箱崎)にて釣鐘が造られ、功績が刻まれる。
1,479 細川成之の弐男細川義春率いる軍が、阿波国から伊予国に侵攻する。此れを受けて以下2名は、一時和睦した。
①河野通春
②河野教通
河野通生は、神途城(現在の愛媛県松山市猿川)に籠城して指揮を取り、浅海氏等が馳せ参じた。又、以下等の水軍が、細川率いる軍の水軍の補給路や退路を断ち、此れにより細川は、諸城の攻略を果たせない儘、阿波国へ潰走した。
①村上氏
②忽那氏
其の後、通春と教通は再び争う事となった。
1,479 3 6 花の御所の再建が開始される。
1,479 5 17 土御門内裏の修繕が開始される。
1,479 8 6 西陣南帝が、国人等に送られて、越後国から越中国を経由して越前国北ノ庄(現在の福井県福井市)に入る。其の後西陣南帝は、奥州へ下向し自身を「熊沢現覚坊」と称し、身分を秘匿した。
≈ 1,479 9 北畠政郷が、上意を違えたという理由により、伊勢国守護職を罷免される。此れにより、伊勢国が一色義春の手に戻った。
≈ 1,479 12 足利義尚が、以下を行い、政務を執り始める。
①御判始
②評定始
③御前沙汰始
しかし、依然として足利義政が実権を握っており、父子間に確執が生じた。