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≈は「頃」を意味しています。
クリストファー・コロンブスは偉人では無い。
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 1,478 | 第212代ローマ教皇シクストゥス4世の許可により、カスティーリャ地方(現在のスペイン中心部)以外で、スペインに於いて異端審問所が設置される。 | |||
| 1,478 | 陶弘護が、筑前国守護代に就任する。周防国守護代職と兼務する事となった。 | |||
| ≈ | 1,478 | 1 | 一条兼良が京都に戻る。其の後一条は、足利義尚に政道や和歌等を教えた。足利は、翌年頃から盛んに歌会を主催した。 | |
| 1,478 | 1 | 15 | 河野通春が、三島神社に禁制を掲げる。 | |
| 1,478 | 1 | 18 |
大友政親が以下の内容を記す。 当方の調停により合戦は止んだが、少弐方が仁保盛安を殺害した為、国中が正体無き成り行きとなった。内藤氏に与した族は遺恨を止めたが、九州大乱の元になりかねない。 |
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| 1,478 | 1 | 26 | 大内政弘が周防国へ帰国する。其の際陶弘護は、柳井津(現在の山口県柳井市)にて大内を出迎え、富田保(現在の山口県周南市富田)の自身の屋敷で持て成した。大内は「国が平穏無事であったのは其方のお蔭である」と感謝し、大内と陶は義兄弟の契りを交わした。陶は、夜は大内政弘の寝所で控え、昼は饗応した。 | |
| ≈ | 1,478 | 3 | 一色義遠が、文書で三河国を放棄する。又、尾張国知多郡も東軍に没収された為、義遠は、一色政具等と共に槇島城(現在の京都府宇治市槇島町薗場付近)に入った。 | |
| ≈ | 1,478 | 4 | 吉見信頼が大内政弘に謝罪し、和睦を求める。大内は此れを認めた。大内は、陶弘護に筑前国を任せ、陶は忠節を尽くした。 | |
| 1,478 | 8 | 8 | 足利義政が、足利義視を赦免する。しかし義視は、美濃国に留まり続けた。 | |
| 1,478 | 9 | 23 |
大内政弘が、大内義豊に以下等を預け、知行させる。 ①豊前国宇佐郡 ②豊前国京都郡二塚(現在の福岡県行橋市) |
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| ≈ | 1,478 | 10 |
大内政弘が、以下の国へ遠征を行う。 ①豊前国 ②筑前国 陶弘護は先駆けとして戦った。 |
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| 1,478 | 10 | 20 |
大内政弘率いる軍が、太宰府にて少弐政資率いる軍を破る。少弐達は散り散りとなった。此れを受けて、以下を始めとする人間が、大内の下に祝言を述べる為にやって来た。 ①城井俊明 ②周防国分寺住持 ③馬ヶ岳城城督右田弘量 ④佐田忠景 ⑤仲間盛秀 ⑥彦山座主頼有 ⑦頼有の息子帥律師 |
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| 1,478 | 10 | 28 | 此の日から3日間、陶弘護が、頼有の計略により捕らえられた仁保弘名の首級を、博多土井町(現在の福岡県福岡市博多区店屋町)の称名寺の門前に梟首する。 | |
| 1,478 | 10 | 31 |
大内政弘が、西暦1,469年8月頃以来、周防国・長門国へ亡命していた以下の国の被官に対し、兵糧料として周防国・長門国の寺社領を半済としていたものを、米銭・借物の返済を免除する徳政令を出す。 ①豊前国 ②筑前国 |
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| 1,478 | 11 | 4 | 大内政弘が、西暦1,469年以降周防灘を渡って長門国へ逃れていた筑後国の被官・国人に対し、米銭借物の返済を免除する徳政令を出す。 | |
| 1,478 | 11 | 11 | 箱崎の民衆が、大内政弘が足利家に対する貢納として、博多と同じく筥崎地下にも1,000貫文を賦課し、進納すべき旨の請文を、博多に居た大内政弘に提出する。 | |
| 1,478 | 11 | 20 |
以下2名が、和気郡(現在の愛媛県松山市)にて交戦する。 ①河野通春 ②河野通秋 通春は、大内政弘に支援を求めた。大内は、以下に援軍を送らせた。 ①呉 ②能美(現在の広島県江田島市) ③蒲刈(現在の広島県呉市) |
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| 1,478 | 12 | 8 | 西陣南帝が、京都から東海を経由して、甲斐国の小石沢(現在の山梨県笛吹市石和町小石和)の観音寺に入る。 | |
| 1,478 | 12 | 26 | 大友親繁に与えられていた豊前国守護職が、大内教幸に与えられる。しかし少弐氏が競望した為、大内家と少弐家の対立は継続した。又此の頃、少弐政資を支援した大友氏は、少弐氏と不仲になった。 | |