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≈は「頃」を意味しています。
クリストファー・コロンブスは偉人では無い。
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 1,469 | 大友親繁が、第12代室町幕府筑後国守護に就任する。豊後国守護職との兼任となった。 | |||
| ≈ | 1,469 | 河野教通が、伊予国へ帰還する。 | ||
| ≈ | 1,469 | 1 | 後花園上皇が、足利義視征伐の為、東軍に治罰の院宣を発給する。此れを受けて足利義政は、自軍に足利義視征伐を命じた。 | |
| ≈ | 1,469 | 1 | 足利義政が、御料所である丹後国与謝郡(現在の京都府与謝郡伊根町・与謝野町、現在の京都府宮津市・京丹後市・福知山市)の分郡守護に摂津之親を任じる。此れにより摂津は、第19代室町幕府丹後国守護に就任した。又、間人(現在の京都府京丹後市丹後町)の門四郎家国が、李氏朝鮮に派遣された。 | |
| 1,469 | 1 | 5 | 西軍が、比叡山に使いを出して足利義視を迎え入れる。 | |
| 1,469 | 1 | 6 | 陶弘房が、京都の陣営にて死去する。大内政弘は京都にて従軍していた為、此の隙に豊前国・筑後国の賊徒等が蜂起した。其の後陶弘護は、大内政弘の命で加冠し、大内から「弘」の字を貰い元服した。斯うして弘護は、第8代陶家当主に就任した。 | |
| 1,469 | 1 | 7 | 延暦寺に立ち寄っていた足利義視が、山名宗全の屋敷に入る。此れにより足利は、西軍に寝返った。勢い付いた西軍は、足利を将軍とする「西幕府」を形成した。 | |
| 1,469 | 1 | 24 | 数日前に朝倉孝景が斯波義敏に降参したとの報が京都に齎される。 | |
| ≈ | 1,469 | 1 | 27 | 足利成氏が、足利義政の代官長尾景人の守備する下野国足利荘(現在の栃木県足利市)への攻撃を開始する。成氏は、足利義視が西軍に参加するのを待ち、攻撃の機会を窺っていた。 |
| 1,469 | 1 | 31 | 西軍が山科を襲撃する。武田信賢は、山科郷民と協力して此れを退けた。 | |
| 1,469 | 3 | 12 | 足利義政が、越前国人深町久清に対し、朝倉孝景に従い斯波義廉を討つ様命じる。足利は深町の知行の安堵を約束した。 | |
| ≈ | 1,469 | 5 | 大内政弘の要請により、足利義視の内書が鎮西・四国の諸大名に多数送付される。 | |
| ≈ | 1,469 | 5 | 武田信賢が、足利義政から丹後国を与えられ、第20代室町幕府丹後国守護に就任する。同時に、摂津之親の後任として、細川政国が、丹後国与謝郡の分郡守護に任じられた。 | |
| 1,469 | 5 | 4 | 山名是豊の息子の山名頼忠が、九日城(現在の兵庫県豊岡市九日市上町)を攻める。 | |
| 1,469 | 5 | 12 |
逸見真正が、以下の人間を丹後国に討ち入らせる。 ①粟屋賢家 ②温品氏 ③青江氏 此れを受けて細川政国も、天竺賢実率いる軍を丹後国へ差し向けた。細川勢は優位に戦いを進め、一色氏の勢力を宮津湾や府中(現在の京都府宮津市)に追い込むが、丹後国守護代延永直信率いる軍が、必死の防戦に努めた。 |
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| 1,469 | 5 | 30 | 谷ヶ堂(現在の京都府京都市西京区松室地家山)を本拠とする、野田泰忠率いる西岡被官衆が、西軍の鶏冠井政益率いる軍が籠城していた鶏冠井城を襲撃する。 | |
| ≈ | 1,469 | 6 |
六角高頼が、観音寺城奪還の為出陣する。此れを受けて室町幕府は、六角政堯の近江国守護職を罷免し、京極持清を第20代室町幕府近江国守護に据えた。此れに激昂した高頼は、観音寺城を奪還し、修復して籠城した。京極持清は、以下2名を観音寺城に派遣した。 ①多賀高忠 ②政堯 対する高頼は、以下3名を観音寺城と其の支城及び砦に配置し、東軍を撃退した。 ①山内政綱 ②伊庭貞隆 ③伊庭行隆 |
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| ≈ | 1,469 | 6 | 観音寺城に派遣された多賀高忠に代わり、武田信賢に京都の東口の確保が命じられる。武田は、瓜生山(現在の京都府京都市左京区一乗寺松原町)に北白川城を築かせた。 | |
| 1,469 | 6 | 2 |
西軍が、松尾(現在の京都府京都市西京区松尾谷松尾山町付近)の谷の城を落とす。又同日、以下と民家が焼失した。 ①西芳寺(現在の京都府京都市西京区松尾神ケ谷町) ②峰ヶ堂(現在の京都府京都市西京区御陵峰ケ堂) |
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| 1,469 | 6 | 2 | 畠山義就率いる軍が、谷ヶ堂を攻め落とす。西岡被官衆は丹波国へ逃亡した。 | |
| 1,469 | 6 | 13 |
西幕府が、大野氏・河野通春に対し、以下2名の征伐を命じる御教書を発する。 ①河野通秋 ②河野通光 |
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| 1,469 | 6 | 30 | 朝倉孝景が、深町久清に加勢を依頼する。朝倉は深町に、知行の安堵を約束した。 | |
| 1,469 | 7 | 24 |
西軍が以下に攻め込む。 ①摂津国 ②丹波国 |
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| 1,469 | 7 | 28 |
以下2名が、丸岡城(現在の京都府亀岡市余部町古城)の防備に当たる。 ①野田泰忠 ②細川勝元方の安富又次郎 |
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| 1,469 | 8 | 9 | 伊勢貞親が朝倉孝景に対し「『貴方の側に参じて忠誠を尽くすべき』とのご意向を述べられ、実に立派な事でございます。では、御内書を書いて下さい」という主旨の書簡を送る。 | |
| 1,469 | 8 | 17 |
東軍が以下の寺を焼失させる。 ①清水寺 ②六道珍皇寺(現在の京都府京都市東山区小松町) ③建仁寺(現在の京都府京都市東山区大和大路通四条下る小松町) |
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| 1,469 | 8 | 18 |
東軍が籠城していた安照寺城(現在の大阪府高槻市真上町)が西軍に落とされる。此れにより、野田泰忠の下に、以下2名の抱えている忍頂寺城(現在の大阪府茨木市)が苦戦しているとの報告が入った。 ①薬師寺長忠 ②四宮長能 |
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| ≈ | 1,469 | 9 |
延永直信率いる軍が、山名宗全の命で但馬国から駆け付けた以下2名率いる援軍と共に、普甲寺(現在の京都府宮津市小田)に布陣する。 ①垣屋宗忠の息子垣屋平右衛門尉 ②垣屋出雲守 そして、細川勝元方の天竺賢実等と交戦し、天竺を討った。 |
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| 1,469 | 9 | 1 | 京極持清方が、六角高頼方の押立城(現在の滋賀県東近江市下里町)を落城させる。 | |
| 1,469 | 9 | 2 | 大内政弘率いる軍が、東軍に帰順した池田氏の居城である池田城(現在の大阪府池田市城山町)を落城させる。 | |
| ≈ | 1,469 | 9 | 6 | 京極持清方が、六角高頼方の梁瀬城(現在の滋賀県東近江市五個荘簗瀬町)を落城させる。 |
| 1,469 | 9 | 8 |
武田信賢勢の以下2名が、丹後国へ攻め入る。 ①逸見繁経 ②粟屋元隆 しかし、一色氏被官で丹後国守護代の延永直信が此れを退けた。 |
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| 1,469 | 9 | 23 | 京極持清方の多賀高忠が、六角高頼方の山内政綱の守備する金剛寺城(現在の滋賀県近江八幡市)を攻め、落城させる。近江国甲賀郡佐治荘(現在の滋賀県甲賀市甲賀町小佐治付近)の佐治城を本拠とする佐治氏は、山内に付いて活躍したものの、部下の戦死者を多数出し、佐治為重の息子も戦死した。 | |
| 1,469 | 9 | 25 | 多賀高忠が、慈恩寺城(現在の滋賀県近江八幡市)に於いて、六角高頼方を破る。 | |
| 1,469 | 10 | 1 | 多賀高忠が、観音寺城下石寺に於いて、六角高頼方を破る。多賀高忠率いる軍は、観音寺城を落城させ、其の後東軍は、六角高頼を追撃した。多賀は足利義政から感状を受け取った。 | |
| 1,469 | 11 | 18 | 興福寺の新供衆が、三国湊の件に関し、朝倉孝景に書簡を送る。 | |
| 1,469 | 11 | 19 |
池田城に居た大内政弘率いる軍が、以下2名の率いる大軍を前に、兵庫の確保に失敗する。 ①山名是豊 ②宇野政秀 |
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| 1,469 | 11 | 25 | 大内政弘率いる軍が池田城を出発する。此の頃野田泰忠は丹波国に居た。 | |
| 1,469 | 12 | 24 |
南朝皇胤の末裔を称する兄弟が、以下2ヶ所で蜂起する。 ①吉野(西陣南帝(兄)が蜂起) ②熊野(西陣南帝の弟が蜂起) |
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