西暦1401〜1500年は、室町幕府の足利将軍家が日御座の御剣を新調し中山王国と交流を持った時代である。河野教通と河野通春の間で伊予国の内紛が激化し、応仁の乱が勃発した。コロンブスが新大陸に到達し先住民を虐殺、大航海時代が幕を開けた。

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≈は「頃」を意味しています。

コロンブスの先住民大量殺人に関する電子書籍 クリストファー・コロンブスは偉人では無い。
年月日 出来事
1,468 野田泰忠が、京都から出て行く西軍を攻撃する為、上植野城(現在の京都府向日市上植野町北小路)に布陣する。
1,468 小早川弘景が沼田荘高山城(現在の広島県三原市高坂町)を攻撃する。
1,468 1 播磨国を統治していた宇野政秀が、諸役免除等の文書を発給する。
1,468 1 此の時点で、九州の諸国は以下の状態であった。
①豊前国:大内氏が支配(大友氏が申し請うていた)
②筑前国:少弐氏が支配(大友氏が狙っていた)
③筑後国:菊池氏が支配(大友氏が狙っていた)
④肥前国西部:平戸氏が支配
⑤肥前国東部:千葉氏が支配
1,468 1 河野教通等が、以下2ヶ所に禁制を掲げる。
①三島神社(現在の愛媛県今治市大三島町宮浦の大山祇神社)
②善応寺
1,468 1 8 京極持清が、六角高頼方の高野瀬城(現在の滋賀県犬上郡豊郷町高野瀬)を落城させる。
1,468 1 17 河野通春が、摂津国を進発するに当たり、東寺に祈祷を依頼する。
1,468 1 24 以下が放火により焼失する。
①建仁寺塔頭
②八坂神社の多宝塔・大門
1,468 2 大内政弘が、分国からの援軍を得て摂津国一帯を荒らし、西軍摂津国守護として、摂津国欠郡(住吉郡(現在の大阪府大阪市)・東生郡(現在の大阪府大阪市))を拠点として、軍事的占領を行う。
1,468 3 6 河野教通が、忽那通光に、通光の兄忽那通賢の所領を継がせ、忽那島の東浦検断職と通光の一跡の所領等を安堵する。
1,468 4 初代古河公方足利成氏と西軍諸将の間で攻守同盟が締結される。足利義視が此れを承認した。
1,468 4 細川勝元に金品によって勧誘され、東軍に属していた、侍所所司代多賀高忠配下の目付の骨皮道賢が、300名余の足軽を率い、下京の焼き討ち作戦の為出陣する。稲荷山(現在の京都府京都市伏見区稲荷山官有地)の伏見稲荷大社(現在の京都府京都市伏見区深草藪之内町)に布陣した。稲荷山の在る京都南部は貧困街であった。
1,468 4 9 烏丸通・北大路通(現在の京都府京都市北区小山上総町付近)にて、大内政弘と、東軍の以下2名が交戦する。
①毛利豊元
②小早川煕平
1,468 4 10 骨皮道賢率いる軍が、七条を放火する。
1,468 4 13 朝倉孝景率いる軍が、以下2名が布陣する醍醐(現在の京都府京都市伏見区醍醐東大路町付近)・山科を襲撃する。
①赤松政則
②武田信賢
赤松・武田は退却した。
1,468 4 13 以下の人間が率いる30,000名の軍が、骨皮道賢の布陣していた稲荷山を包囲し、襲撃する。
①山名宗全
②斯波義廉
③朝倉孝景
④畠山義就
⑤大内政弘
多勢に無勢で、敗北を悟った骨皮は、女装して板輿に乗り、逃走を図った。しかし見破られ、朝倉が骨皮を斬首し、稲荷山に火を放った。骨皮の首級は三条河原(現在の京都府京都市中京区大橋町)に梟首され、以下の落首が張り出された。
昨日まで稲荷廻し道賢を今日骨皮と成すぞかはゆき
(昨日まで稲荷山で威張り散らして暴れ廻っていた道賢が、今日は骨と皮になって殺されてしまった。折角女装までして可愛かったのに、お気の毒様)
かはゆきは「哀れ」「可愛い」の2つの意味が掛かっている。
1,468 4 17 京極持清の嫡男京極勝秀が、六角高頼の居城である観音寺城(現在の滋賀県近江八幡市安土町石寺)を襲撃する。此の時以下2名は京都に居り、代わりに留守居役の家老伊庭行隆が迎撃した。
①六角
②六角の陣代山内政綱
1,468 4 23 伊庭行隆が、観音寺城を開城する。
1,468 4 23 京極勝秀が甲賀郡に侵攻し、六角高頼方の小佐治為重を攻撃する。
1,468 5 1 河野通政が、長隆寺(現在の愛媛県松山市の忽那諸島中島)に畠を寄進する。
1,468 5 2 丹波国宮田荘(現在の兵庫県丹波篠山市)に就いて、此れ迄通り知行を認めるとの足利義政の御内書が下される。此れは、依頼を受けた女中で摂津満親の娘の春日局による訴訟が以前から行われていた為である。
1,468 5 18 六角高頼方の山内政綱が、六角政尭が築城させた長光寺城(現在の滋賀県近江八幡市長光寺町)を落城させる。
1,468 6 3 松田貞頼を始めとする15名が、布施貞基に対し、以下の内容の意見状が御前沙汰にて発給される。
近年、御判神領に就いて、本来の領主が訴訟を起こし、返還されるべきかどうかが争われています。訴状を精査したところ、道理に基づいて判断するならば、仮令神領であっても、元々一般の者に返還された前例が有るのかどうかが問題となります。もし其の様な前例が有るのであれば、証文の内容に従い、正しく裁定すべきです。
1,468 6 8 河野通春が、東寺に温泉郡味酒郷(現在の愛媛県松山市味酒町)内上方地頭職を安堵する。
1,468 6 12 斯波義敏の軍勢が、朝倉孝景勢を越前国から追い出す。
1,468 6 24 大沢重胤が以下の主旨の内容を記す。
私は公用で京都に居り、各地に散在する田地に就いて、義賢を通じて公方に申し上げるべき事である。此れを心得ておく様にとの旨を、新兵衛督局に対し、山科言国の書簡によって申し伝えた。近頃は大小の案件を問わず特に問題は無いが、もし何か申し上げるべき事が有れば、速やかに言上する様にとの事である。広橋綱光・飯尾之種・飯尾為信が申し上げた。
1,468 7 六角高頼に代わり、六角政堯が第19代室町幕府近江国守護に就任する。
1,468 7 6 京極勝秀が病死する。
1,468 7 23 武田信賢勢が、吉田神社(現在の京都府京都市左京区吉田神楽岡町)に兵を展開する。
1,468 7 23 西軍が以下等に火を放つ。
①吉田神社
②浄蓮華院(現在の京都府京都市伏見区深草鞍ケ谷)
③吉田村(現在の京都府京都市左京区)
1,468 8 14 長隆寺所蔵の綸旨院宣六波羅下知状が紛失した事が証明される。
1,468 8 21 西軍が、青蓮院・民家を焼失させる。
1,468 8 22 西軍が以下を焼失させる。
①聖護院(現在の京都府京都市左京区聖護院中町)
②法勝寺(現在の京都府京都市左京区岡崎法勝寺町)
1,468 8 23 若狭武田氏被官逸見繁経率いる軍が、東山に出陣する。
1,468 8 24 西軍が清閑寺(現在の京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町)を破壊する。
1,468 8 30 光明峯寺(現在の京都府京都市東山区今熊野南谷町)が焼失する。
1,468 8 31 逸見繁経率いる軍が、山科郷・勧修寺(現在の京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町)から深草(現在の京都府京都市伏見区)に掛けてを襲撃する。
1,468 9 丹後国の西軍が嵯峨に布陣する。
1,468 9 10 西軍が上御霊神社を焼失させる。
1,468 9 12 東軍が以下を焼失させる。
①泉涌寺(現在の京都府京都市東山区泉涌寺山内町)
②妙法院(現在の京都府京都市東山区妙法院前側町)
1,468 9 19 伊勢貞親が朝倉孝景に対し、東軍に勧誘する書簡を送る。此の書簡を読んだ朝倉は、目を疑った。以降足利義政は、細川勝元と共に、西軍勢力の切り崩し工作を行なった。
1,468 9 20 東軍が仁和寺を焼失させる。
1,468 9 23 西軍が大覚寺(現在の京都府京都市右京区嵯峨大沢町)と民家を焼失させる。又同日、以下の寺も焼失した。
①天龍寺(現在の京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)
②臨川寺(現在の京都府京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)
③宝幢寺(現在の京都府京都市左京区上高野釜土町)
1,468 9 23 細川勝元が、西軍の留守を狙い、船岡山城(現在の京都府京都市北区紫野北舟岡町)を三方から攻めて落城させる。
1,468 10 丹波国の東軍が、丹後国に侵入し、西軍を破る。
1,468 10 8 足利義視が、足利義政の説得により帰洛する。しかし北条早雲は其の儘伊勢国に留まり、其の後、招聘を受けていた自身の妹北川殿の夫である今川義忠の下へ行った。其の後義視は、義政に対し、西軍との講和を望んでいた日野富子の兄日野勝光の排斥を訴えた。しかし義政は聞き入れず、細川勝元も、義視の訴えに懸念を示した。
1,468 10 18 六角高頼の重臣で陣代の山内政綱が、弓削(現在の滋賀県蒲生郡竜王町)にて、細川勝元方の三井信高を討ち取る。
1,468 11 足利義政が、伊勢貞親を幕政に復帰させる。此れにより、義政と足利義視は対立した。
1,468 11 細川勝元が、大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第、注進によって充て行う旨のお触れを出す。大友親繁・大友政親父子は、以下の国に侵攻を開始した。
①豊前国
②筑前国
③肥前国
又足利義政は親繁に、以下の国にも侵入する様命じた。
①長門国
②周防国
1,468 11 6 野田泰忠率いる山城国西岡(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の被官衆が、寺戸城(現在の京都府向日市寺戸町古城)に布陣し、鶏冠井城(現在の京都府向日市鶏冠井町御屋敷)を攻撃する。
1,468 11 28 斯波義敏が越前国を略掌握し、斯波義廉が苦境に立たされる中、東軍の働き掛けにより、朝倉孝景が、自身の嫡男朝倉氏景と配下の兵を京都に残し、以下の自身の弟3名と共に、越前国へ下向する。
①朝倉経景
②朝倉景冬
③朝倉光玖
此れは義敏に反撃する為と周囲は理解していた。
1,468 12 河野通春が、河野教通に以下の主旨の書簡を送る。
応仁の乱は延々と続くと思いますが、西軍へご同心頂けるのでしょうか。先年大内方からも依頼が有った筈ですが、其の後お返事を頂いておりません。足利義政殿・足利義視殿の双方が将軍となられた今、其の命令には変わりはありません。此度の摂津国の合戦により、私は守護に補任されましたが、家名を上げる上では、私と教通殿の何方がなっても同じだと思います。
1,468 12 13 弓削にて、信濃守が討死し、三沢彦四郎に太刀一振が与えられる。此の戦いに於いて、六角高頼方の山内政綱に敗れた以下2名は、軍備を整えた。
①京極持清
②六角政堯
此の戦いで以下が全焼した。
①瑞光寺(現在の滋賀県蒲生郡竜王町弓削)
②七堂伽藍
1,468 12 14 山内政綱が近江国に帰国する。そして、観音寺城の防備を固めた。
1,468 12 18 以下2名が、六角高頼方の守山城(現在の滋賀県守山市守山)を落城させる。
①京極持清
②六角政堯
1,468 12 六角政堯方が、垣見(現在の滋賀県東近江市)にて、六角高頼方を破る。
1,468 12 21 以下2名率いる軍が観音寺城へ侵攻する。
①京極持清
②六角政堯
山内政綱は持ち堪える事が出来ず、火を放って敗走した。
1,468 12 23 足利義視に仕えていた有馬元家が、足利義政の命を受けた赤松政則によって殺害される。
1,468 12 26 有馬元家が殺害された事で身の危険を感じた足利義視が、延暦寺へ向けて逃走する。
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