西暦1441年は、第6代室町幕府播磨国守護赤松満祐が自身の屋敷に足利義教を招いて暗殺し、河野教通が予州家当主河野通春の征伐を開始した年である。征伐の開始は8月14日頃の事で、河野教通は室町幕府の命を受けて、嘉吉の乱での赤松家征伐に於いて遅参した事を理由としている。9月25日には山名持豊と河野教通等が城山城を攻撃し、赤松満祐は一族69名とともに自害した。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,441 7 12 第6代室町幕府播磨国守護赤松満祐が、自身の屋敷に足利義教を招き、暗殺する。
1,441 7 28 以下2名等が、赤松満祐征伐の為、播磨国へ向けて京都を出発する。
①河野教通
②西園寺公広
≈ 1,441 8 14 河野教通が、室町幕府の命を受けて、嘉吉の乱での赤松家征伐に於いて遅参した事を理由に、予州家当主河野通春の征伐を開始する。
1,441 9 25 以下2名等が、城山城(現在の兵庫県たつの市新宮町下野田)を攻撃する。
①山名持豊
②河野教通
赤松満祐は、自身の嫡男赤松教康や赤松則繁を逃し、一族69名とともに自害した。