西暦1,464年は、実子の居ない足利義政が弟を後継者に迎え、後の大乱の火種が仕込まれた年である。富樫泰高が隠居し、富樫成春の嫡男で泰高の大甥の富樫政親が家督を継ぐ。此れにより政親は、第15代加賀国守護(南半国守護)に就任した。8月25日、河野通秋が忽那通賢に対し、忽那島(現在の愛媛県松山市野忽那)の東分検断職を安堵している。10月30日には大内教弘が、善応寺(現在の愛媛県松山市善応寺甲)に禁制を掲げた。11月1日、河野通秋が病没する。河野教通の息子河野通宣が後を継ぎ、通宣は教通と行動を共にした。12月11日には畠山政長が第19代管領に就任し、同日室町幕府は、相国寺の僧承勲を遣わせ、大内教弘に河野通春征伐を命じている。12月23日、足利義視が、実子の居ない足利義政に請われて還俗し、義政の後継者となる事が決定され、12月30日に義視は還俗して正親町三条実雅の今出川の屋敷に移住した。足利義視は西暦1439年3月3日に足利義教と側室小宰相局の間に生まれ、西暦1443年に出家した人物であり、二十年余りを僧籍で過ごした後に将軍家の後継へ据えられた事になる。移り住んだ先が正親町三条実雅の屋敷であった点も、西暦1439年4月5日に義視が実雅の養君となった縁に因る。畠山政長は西暦1459年10月頃に畠山政久の跡を継いだ当主であり、西暦1455年4月12日の畠山持国の死去で家督を得た畠山義就と並び立つ立場に在った。河野通秋は西暦1457年に河野教通の弟として養子となり家督を譲られた人物であり、其の死により宗家の家督は教通の息子通宣へ移っている。大内教弘への征伐命令は、翌西暦1465年に其の教弘が突如河野通春を支援するという形で覆される事となる。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / 韓国の旧暦 / 日本の旧暦 / ヒジュラ暦 / フランス革命暦 / ソビエト連邦暦

≈は「頃」を意味しています。

皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー
年月日 出来事
1,464 富樫泰高が隠居し、富樫成春の嫡男で泰高の大甥の富樫政親が家督を継ぐ。此れにより政親は、第15代加賀国守護(南半国守護)に就任した。
1,464 8 25 河野通秋が、忽那通賢に対し、忽那島(現在の愛媛県松山市野忽那)の東分検断職を安堵する。
1,464 10 30 大内教弘が、善応寺(現在の愛媛県松山市善応寺甲)に禁制を掲げる。
1,464 11 1 河野通秋が病没する。河野教通の息子河野通宣が後を継いだ。通宣は、教通と行動を共にした。
1,464 12 11 畠山政長が、第19代管領に就任する。同日室町幕府は、相国寺の僧承勲を遣わせ、大内教弘に、河野通春征伐を命じた。
1,464 12 23 足利義視が、実子の居ない足利義政に請われて還俗し、義政の後継者となる事が決定される。
1,464 12 30 足利義視が還俗し、正親町三条実雅の今出川の屋敷に移住する。
皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー