西暦1459年は、忽那通賢に対し名田等が宛行われ、畠山政久が死去して畠山政長が後継者となった年である。3月14日に宛行われたのは桑原の枝重の名田と行正の名田等で、6月30日には河野氏宗家が忽那通賢に対し、河野郷・発安の所領・得能氏の所領といった当知行地と寺家・社家等を安堵している。政久の死去は10月頃の事で、政長を支持した遊佐長直・神保長誠・成身院光宣の3名は政長に従順し仕えた。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,459 3 14 河野通生が、忽那通賢に対し、以下等が宛行われる。
①桑原(現在の愛媛県松山市)の枝重の名田
②行正の名田
1,459 6 30 河野氏宗家が、忽那通賢に対し、以下の当知行地と寺家・社家等を安堵する。
①河野郷(現在の愛媛県松山市北条付近)
②発安の所領
③得能氏の所領
≈ 1,459 10 畠山政久が死去する。後継者は、以下3名の支持により、畠山政長となった。
①遊佐長直
②神保長誠
③成身院光宣
遊佐・神保・成身院は、政長に従順し仕えた。