以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,492 | 1 | 2 | イベリア半島最後のムスリムの拠点グラナダが、フェルナンド2世(アラゴン王)とイサベル1世(カスティーリャ女王)により陥落される。 | |
| ≈ | 1,492 | 2 | クリストファー・コロンブスがエルナンド・デ・タラベラを中心とする諮問委員会に対し航海計画の再審議を願い出る。しかし1ヶ月も経たぬ内に否決され、其の事実をフェルナンド2世とイサベル1世により知らされ、アラゴン王国へ向けてグラナダを出発した。 | |
| ≈ | 1,492 | 2 | アラゴン王国の財務大臣ルイス・ド・サンタンヘルがイサベル1世と面会し、サンタンヘルは「此の航海計画の援助費用は、此の航海で得られるであろうものに比べると少なく、費用は自分が都合する」と言った。其の後イサベル1世は考えを変え、フェルナンド2世の同意を得て、コロンブスの提案を実施する事を決定した。イサベル1世は急使を送り、1,000,000マラベティを援助するので、コロンブスを呼び戻す様命じた。 | |
| 1,492 | 2 | 25 | 細川政元が、畠山義豊の使者と接触する。 | |
| 1,492 | 3 | フェルナンド2世(アラゴン王)とイサベル1世(カスティーリャ女王)がユダヤ人追放令を出す。少なくとも100,000名のユダヤ人がポルトガルに逃れた。しかし、ポルトガル王ジョアン2世は、僅かな例外を除き、8ヶ月の滞在しか許さず、それを超えて滞在する者は奴隷の身分に落とした。また、フランドル(旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部)や地中海沿岸にも散っていった。オスマン帝国はセファルディム(スペイン、ポルトガルに定住していた離散したユダヤ人)の商人たちを歓迎し、積極的に受容した結果、首都イスタンブルやガリラヤ湖畔のサフェドなどにセファルディムの大規模な共同体が形成され、在地のユダヤ人集団を凌駕するようになる。しかも、こうした商人たちは「スルタンの臣民」としてイタリア諸都市にも到来し、地中海商業に大きな役割を果たすようになった。 | ||
| ≈ | 1,492 | 4 |
安富元家が六角高頼方の牢人衆による奇襲を受け、敗走する。此れを受けて足利義稙は、以下の人間に援軍を命じた。 ①赤松政則 ②武田元信 ③斯波義寛 更に、以下の人間が安富の下に派遣された。 ①浦上則宗 ②織田敏定 ③逸見弾正 |
|
| ≈ | 1,492 | 4 | 前年から豊前国にて悪銭が流布している事を背景に、取り締まりを強化する旨のお触れ書きが出される。更に、此れを知らないと申す者が在れば、其処の給主・地下役人の落ち度である為、給地・役職を没収せよと、郡代・段銭奉行に命じ、請書を提出させた。 | |
| 1,492 | 4 | 17 |
クリストファー・コロンブスが、フェルナンド2世及びイサベル1世とサンタ・フェ(現在のスペインのアンダルシア州グラナダ県)にて以下の協約を結び、コロンブスの航海計画が承認され、イサベル1世(カスティーリャ女王)がバックアップする事となった。 ①コロンブスは発見された土地の終身提督となり、此の地位は相続される。 ②コロンブスは発見された土地の副王及び総督の任に就く。 ③各地の統治者は3名の候補をコロンブスが推挙し、此の中から選ばれる。 ④提督領から得られた全ての純利益の内10%はコロンブスの取り分とする。 ⑤提督領から得られた物品の交易に於いて生じた紛争は、コロンブスが裁判権を持つ。 ⑥コロンブスが今後行う航海に於いて費用の1/8をコロンブスが負担する場合、利益の1/8をコロンブスの取り分とする。 そしてルイス・デ・サンタンヘルが中心となってイサベル1世が戴冠用宝玉を担保に供出する事を防ぎつつ資金調達された結果、以下の内訳で航海の為の資金が集まった。 ①サンタンヘル:1,140,000マラベディ ②警察組織サンタ・エルマンダーの経理担当:フランチェスコ・ピネリ:260,000マラベディ ③アラゴン王国:350,000マラベディ ④コロンブス:250,000マラベディ(ルイス・デ・ラ・セルダやセビリアの銀行家ベラルディ等から借金) |
|
| 1,492 | 4 | 25 |
約4,000名の六角氏の牢人衆と以下4名率いる室町幕府軍が、梁瀬河原(現在の滋賀県東近江市五個荘簗瀬町付近)にて交戦する。 ①浦上則宗 ②織田敏定 ③安富元家 ④逸見弾正 室町幕府軍は、7,800名の軍勢で戦った。逸見は武田元信の命で加勢したが、山上に陣取ったまま見物していた。安富は、浦上・織田を凌ぐ活躍を見せた。六角高頼は、飯道寺(現在の滋賀県甲賀市水口町三大寺)へ敗走した。其の後六角は、京極氏館(現在の滋賀県米原市上平寺)を本拠とする京極高清と手を結び、室町幕府軍を撹乱させようとした。 |
|
| 1,492 | 5 | 10 | 今小路が伊勢神宮を参拝する。 | |
| ≈ | 1,492 | 6 |
以下2名が、守山(現在の滋賀県)に着陣する。 ①斯波義寛 ②山名豊時 |
|
| ≈ | 1,492 | 6 | 武田元信が、小南(現在の滋賀県野洲市)に着陣する。 | |
| 1,492 | 8 | 3 |
クリストファー・コロンブス一行87名が、イサベル1世(カスティーリャ女王)の資金提供を受け、以下の3隻の船でパロス・デ・ラ・フロンテーラを出港する。 ①サンタ・マリア号 ②ニーニャ号 ③ピンタ号 |
|
| ≈ | 1,492 | 9 | 26 |
草津にて、武田元信の軍の陣中で以下2名が争う。 ①青地長綱 ②逸見弾正 逸見は討たれかけたが、助けられ、負傷しただけで済んだ。 |
| ≈ | 1,492 | 10 |
京極高清が、以下2ヶ所に出陣する。 ①市原谷(現在の滋賀県甲賀市甲南町市原) ②八風峠口(現在の滋賀県東近江市・三重県三重郡菰野町) |
|
| ≈ | 1,492 | 10 | 赤松政則が、芝原(現在の滋賀県東近江市)に到着する。其の後赤松は、京極高清勢を破り、甲津畑(現在の滋賀県東近江市)へ進軍した。京極勢は北方に退却した。 | |
| 1,492 | 10 | 12 | 未明、クリストファー・コロンブス一行がヨーロッパから大西洋を横断し、サン・サルバドル島(現在のバハマ)に到達する。 | |
| 1,492 | 10 | 26 | クリストファー・コロンブス一行がキューバに上陸する。 | |
| ≈ | 1,492 | 11 | 足利義稙が、三井寺から金剛寺へ向けて進軍する。 | |
| ≈ | 1,492 | 11 | 六角高頼が伊勢国へ逃亡する。しかし其の後、坂下(現在の三重県亀山市関町)にて、北畠材親率いる軍に敗れた。 | |
| 1,492 | 12 | 6 | クリストファー・コロンブス一行が、モール・サン・ニコラ(現在のハイチの北西県)に上陸する。コロンブスは、此の島を「スペインのように美しい」という理由で「イスパニョーラ島」と名付ける。一行は停泊する所々で、先住民タイノ族から歓迎を受けた。 | |
| 1,492 | 12 | 25 | サンタ・マリア号がカパイシャン(現在のハイチの北県)で座礁する。先住民であるマリアン王国のガカナガリック酋長の助けを借りて、サンタ・マリア号を解体し、使える木材と載せていた大砲を使って小さな砦を築き、クリスマスの日にちなんでナヴィダード(誕生)と名付けた。 | |