西暦1483年は、コロンブスがジョアン2世に願い出た航海計画を数学者委員会が拒否し、足利義政が完成したばかりの東山殿常御所に移った年である。此の拒否は西暦1483年頃の出来事で、計画は大西洋を西回りしてアジアへと到達するものであった。足利義政の移居は7月31日の事で、義政は日野富子と別居し、8月1日には後土御門天皇から東山殿の称号を賜った。

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年月日 出来事
≈ 1,483 クリストファー・コロンブスが第4代アヴィス王朝の王ジョアン2世に、大西洋を西回りしてアジアへと到達する航海計画を願い出るが、審議した数学者委員会が此れを拒否する。
1,483 2 20 足利義尚主催の「将軍家詩歌合」が開催される。詩は近衛政家等が詠み、歌は以下の人間等が詠人として参加した。衆議により判定を行った。
①後土御門天皇
②後土御門天皇の第一皇子後柏原天皇
③足利義尚
④二条持通
⑤近衛政家
⑥中院通秀
1,483 4 15 大内政弘が、伊勢神宮参詣者への餞別を禁止する。
1,483 5 4 足利義尚が内裏に参内する。此の日内裏で歌会が開催され、以下の人間が詠んだ歌を含む、神明に奉納する諏訪法楽30首が披露された。
①後土御門天皇
②後柏原天皇
③足利義政
1,483 5 23 河野教通が、以下の寺の書類の紛失に関し、証判を与える。
①国分寺
②法華寺(現在の愛媛県今治市桜井甲)
1,483 6 25 河野教通が、仙遊寺(現在の愛媛県今治市玉川町別所甲)に禁制を掲げ、寺領を安堵する。
1,483 7 31 足利義政が、完成したばかりの「東山殿常御所」に移り、日野富子と別居する。足利は依然として実権を握り続け、確執は続いた。
1,483 8 1 足利義政が、後土御門天皇から東山殿の称号を賜る。
1,483 11 24 三条西実隆が、足利義尚が撰定した私撰和歌集「新百人一首」を足利の下で見る。新百人一首は、藤原定家が撰定した小倉百人一首から漏れた歌人の歌を各和歌集から100首撰定したものであった。更に足利は同年、以下の歌人を結集して和歌打聞「撰藻鈔」の編纂に乗り出した。
①姉小路基綱
②三条西
③飛鳥井雅親
④宗祇
⑤二階堂政行
⑥三条西の門人細見宗高