西暦1,493年は、室町幕府の実権が細川政元の手に移り、東国では北条早雲が伊豆へ足を踏み入れた年である。3月3日、足利義稙は畠山義豊配下の越智家栄・古市澄胤が寺社本所領を侵略しているとの理由で畠山義豊征伐の為出陣し、畠山政長・斯波義寛・赤松政則・大内政弘等が参陣したが、細川政元は反対して出陣しなかった。義稙率いる軍は4月15日頃から高屋城を包囲したが、5月7日夜、細川政元は遊初軒に足利義澄を迎え入れて挙兵し、足利義澄の征夷大将軍擁立と畠山政長の河内国守護職罷免を発表した。日野富子も細川支持を表明し、諸将は次々と細川方へ転じ、6月6日には畠山義豊・赤松政則率いる40,000名が正覚寺城を包囲、6月9日に正覚寺城が落城して畠山政長は嫡男畠山尚順を紀伊国へ逃した上で切腹した。捕縛された足利義稙は龍安寺に幽閉され、6月19日には日野富子が盛らせた毒に苦しみながら一命を取り留め、8月11日夜、嵐の中を上原元秀の屋敷から脱走して越中国へ下向、放生津にて神保長誠に迎えられ「越中公方」を樹立した。10月27日には古市澄胤が、惣国の解体と守護による統治に反対する山城国人衆の籠城する稲八妻城を陥落させている。11月19日、北条早雲率いる軍が堀越御所を夜襲し、足利茶々丸は守山方面へ逃亡、北条は韮山城を居城と定めた。海の向こうでは、3月15日にクリストファー・コロンブスがパロス・デ・ラ・フロンテーラへ帰着してフェルナンド2世とイサベル1世に航海の報告を行い、9月25日には17隻1,500名でカディスを出港、11月にイスパニョーラ島へ上陸して植民地「イサベラ」を築いた。

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年月日 出来事
1,493 使者が周防国の大内館に派遣される。使者は、文庫等が破損した件に就いて、大内義興に修繕費用の援助を依頼した。
1,493 1 クリストファー・コロンブスが、スペイン王室に航海の報告をする為に、39名のスペイン人を植民として其の砦に残し、インディオを6名連れて、酋長ガカナガリックから受け取った金銭と其の他お土産を持って、ニーニャ号に乗船してスペインへ向けて出発する。
1,493 1 1 足利義稙が、金剛寺の陣を払い、京都へ向けて出発する。
1,493 2 畠山政長が、自身の敵対する第17代室町幕府河内国守護畠山義豊の征伐を足利義稙に依頼する。政長は、畠山義就の死を河内国奪回の機会と捉えていた。
1,493 2 此の時点で神保長誠は、中風を患い、越中国にて療養を強いられていた。
1,493 3 此の頃、大友義右は軍船の建造を進めていた。
1,493 3 3 足利義稙が、畠山義豊配下の以下2名が寺社本所領を侵略しているとの理由により、畠山義豊征伐の為出陣する。
①越智家栄
②古市澄胤
以下の人間等も参陣した。
①畠山政長(先陣、牧(現在の京都府久世郡久御山町御牧地区)に布陣)
②畠山政長の嫡男畠山尚順
③畠山政近
④斯波義寛(後陣、薪(現在の京都府京田辺市薪地区)に布陣)
⑤赤松政則(山崎に布陣)
⑥大内政弘
⑦大内義興
⑧武田元信(薪に布陣)
⑨土岐成頼
⑩葉室光忠(先陣)
⑪細川義春(後陣)
⑫根来寺(現在の和歌山県岩出市根来)衆
義稙は此の日、八幡(現在の京都府)まで進軍し、善法律寺(現在の京都府八幡市八幡馬場)に布陣した。細川政元は、義豊は、畠山義就と異なり、室町幕府に対して表立って敵対的な行動は取っていなかったとして反対し、出陣しなかった。しかし、出陣前の祝宴では義稙を饗応した。伊勢貞宗も反対に回った。同日筒井は、郡山城(現在の奈良県大和郡山市城内町)を落城させた。又、義稙に呼応して福住から筒井党を率いて挙兵した筒井の後見人の成身院順盛は、越智・古市方の小城を次々と落城させた。更に、京都に亡命していた十市遠清も義稙に呼応し、矢田(現在の奈良県大和郡山市)から長安寺(現在の奈良県大和郡山市)に進軍し、十市郷(現在の奈良県橿原市)まで攻勢を掛け矢木市(現在の奈良県橿原市)を焼き払った。対立する大友政親・大友義右に於いては、政親が足利義澄を支持し、義右は義稙を支持した。
1,493 3 12 足利義稙率いる軍が、正覚寺城(現在の大阪府大阪市平野区加美正覚寺)に布陣する。
1,493 3 13 クリストファー・コロンブス一行がリスボン(ポルトガル)に到着する。
1,493 3 14 足利義稙方の斎藤氏が、畠山義豊方との合戦の末、藤井寺に打ち入る。
1,493 3 15 クリストファー・コロンブス一行がパロス・デ・ラ・フロンテーラに到着する。フェルナンド2世(アラゴン王)とイサベル1世(カスティーリャ女王)に航海の報告を行い、両王は直ちに2度目の航海を促した。
1,493 3 17 十市遠清が、越智家栄方の反撃に遭い、宇陀(現在の奈良県)に敗走する。
1,493 4 伊勢貞陸が、第31代室町幕府山城国守護に就任する。
1,493 4 1 足利義稙率いる軍が、以下を征圧する。
①野崎城(現在の大阪府大東市野崎)
②犬田城(現在の大阪府枚方市印田町)
1,493 4 6 細川政元の密使が、越智家栄の下を訪れる。細川のクーデター計画を知った越智・古市澄胤は喜んだ。
1,493 4 9 葉室光忠が藤井寺に出陣する。
1,493 4 9 足利義稙方が、雪宮城(現在の大阪府羽曳野市軽里付近)を落城させる。城衆4名を殺害した。
1,493 4 12 足利義稙方と畠山義豊方の合戦が発生し、以下の畠山方の拠点が焼ける。
①誉田城
②道明寺(現在の大阪府藤井寺市)
畠山は、自身の軍勢を高屋城(現在の大阪府羽曳野市古市)に引き入れた。
1,493 4 15 足利義稙率いる軍が、畠山義豊の居城である高屋城を包囲し、攻撃を開始する。
1,493 4 16 此の日の時点で、足利義稙率いる軍の配置は以下であった。
①足利義稙(正覚寺)
②畠山政長(行基の宮(現在の大阪府羽曳野市古市の白鳥神社付近))
③畠山尚順(大田若林(現在の大阪府羽曳野市)・野遠(現在の大阪府堺市北区)・野々瀬(現在の大阪府松原市北新町の布忍神社付近)、越中国・安芸国・石見国の衆を率いた)
④遊佐長直(藤井寺)
⑤斎藤・紀伊国の衆(藤井寺の西の野)
⑥斯波義寛(国府(現在の大阪府藤井寺市))
⑦大内政弘(丹下(現在の大阪府大阪市平野区長吉長原付近))
⑧赤松政則(南庄(現在の大阪府堺市堺区))
⑨武田元信(八尾)
1,493 5 7 夜、細川政元が、遊初軒(現在の京都府京都市上京区)に足利義澄を迎え入れて保護した上で、挙兵する。更に細川は、以下2点を発表した。
①足利を征夷大将軍として擁立する
②畠山政長の河内国守護職を罷免する
1,493 5 8 細川政元率いる軍が、足利義稙の屋敷や寺院を襲撃する。以下等が破壊された。
①三宝院
②曇花院(現在の京都府京都市右京区嵯峨北堀町)
③慈照寺
又、日野富子は細川支持を表明し、義稙に付いていた諸将は、足利義澄に従う様記した伊勢貞宗の密書を受け取った。
1,493 5 10 以下3名率いる軍が堺に入り、細川政元に付く。
①斯波義寛
②武田元信
③細川尚春
1,493 5 13 足利義澄が還俗する。
1,493 5 13 以下2名が誉田城に入り、細川政元に付く。
①赤松政則
②細川義春
1,493 5 16 細川政元が、以下3名を足利義稙・畠山政長征伐の為、河内国に派遣する。
①細川元治
②丹波国守護代上原元秀
③安富元家
1,493 5 21 畠山政長方の籠城していた廿山城(現在の大阪府富田林市)が落城する。
1,493 5 21 大和国の畠山政長方の国人である以下が、相次いで自焼没落する。
①筒井氏:筒井城(現在の奈良県大和郡山市筒井町)を自焼し、東山内(現在の奈良県山辺郡山添村・宇陀郡曽爾村・宇陀郡御杖村・宇陀市・奈良市柳生町・生駒市東山町・桜井市)へ没落
②十市氏:十市城(現在の奈良県橿原市十市町)を自焼し、東山内へ没落
③箸尾氏:箸尾城(現在の奈良県北葛城郡広陵町弁財天)を自焼し、多武峰へ没落
1,493 5 21 此の日から2日間、藤井寺にて、足利義稙方と細川政元方の間で戦闘となる。結果、以下2名は畠山尚順を破った。
①上原元秀
②安富元家
尚順は、正覚寺城へ退却し、以下の人間等と合流した。
①足利義稙
②畠山政長
③遊佐長直
1,493 6 3 根来寺衆を率いる足利義稙方の斎藤氏が、正覚寺城に到着する。正覚寺城南口に構えていた安富元家方の誉田氏は、直様斎藤氏の下へ向かった。
1,493 6 5 赤松政則率いる軍が、堺付近にて根来寺衆を破る。
1,493 6 5 上原元秀率いる軍が、天王寺から正覚寺城の西に進軍し、足利義稙方と合戦する。其の後上原は、天王寺木村邊に戻り、逗留した。
1,493 6 6 細川政元が派遣した以下2名率いる40,000名の軍勢が、畠山政長等が籠城する足利義稙の本陣である正覚寺城を包囲する。
①畠山義豊
②赤松政則
1,493 6 6 上原元秀が、畠山義豊から河内国17ヶ所を拝領する。
1,493 6 8 夕方、以下2名率いる軍が、正覚寺城に総攻撃を仕掛ける。
①畠山義豊
②赤松政則
1,493 6 9 正覚寺城が落城する。畠山政長は、畠山尚順を紀伊国へ逃した上で切腹した。政長の部下の越中衆も後に続いた。尚順は虎口を脱出し、紀伊国で再挙を図る事となった。遊佐長直は討ち取られ、以下2名は捕縛され、上原元秀に降伏した。
①足利義稙
②葉室光忠
越中国の神保家・椎名家は、此の政変により打撃を受けた。
1,493 6 13 上原元秀が、細川政元の命により、葉室光忠を処刑する。
1,493 6 15 上原元秀が、足利義稙を伴い京都へ帰還する。此の際足利は、古い板輿に乗せられ、6名の近臣を付ける事しか許されなかった。そして足利は、多数の見物人の居る中で、龍安寺(現在の京都府京都市右京区龍安寺御陵ノ下町)に幽閉された。
1,493 6 19 夜、足利義稙の夕食に毒が盛られる。毒を盛らせたのは日野富子であった。食した足利は、苦悶の末、薬によって一命を取り留めた。
1,493 7 足利義澄が、以下2名の敵討ちとして、足利茶々丸の近くに城を持つ北条早雲に対し、茶々丸征伐を命じる。
①円満院
②足利潤童子
北条は下調べを行い、茶々丸が横暴を振るい、足利政知の時からの堀越公方の重臣達と上手くいっておらず、領民が疲弊している事や、堀越御所(現在の静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内)の内情を掴み、内部工作を行なった。
1,493 7 越智家栄が、細川政元方に味方した功により伊賀守に任じられる。
1,493 7 1 足利義稙の身柄が、龍安寺から上原元秀の屋敷に移される。
1,493 7 2 畠山義豊が、以下の人間を始めとする2,000名余を率いて上洛する。
①遊佐就家
②誉田正康
③甲斐庄氏
1,493 7 4 畠山義豊が室町幕府に出仕し、第17代室町幕府河内国守護に就任する。同時に、越智氏も1,000名余を率いて上洛し、室町幕府に出仕した。
1,493 7 24 細川政元等により、足利義稙の小豆島への配流が決定される。
1,493 8 11 夜、嵐の中、数名の近臣を連れた足利義稙が、神保長誠の配下の手配により、上原元秀の屋敷から脱走し、京都を脱出する。其の後足利は、近江国を経由して越中国へ下向し、放生津(現在の富山県射水市)にて神保長誠に迎えられた。神保は、同地の正光寺を改装し、将軍の御座所とした。斯うして足利が樹立した政権は「越中公方」と呼ばれた。以降神保は、細川政元方の畠山基家の越中国侵攻を何度も撃退し、軍事力を誇示する一方、金や献上品を京都に送り、足利の征夷大将軍復帰に尽力した。
1,493 9 25 クリストファー・コロンブスが17隻1,500名でイスパニョーラ島を植民地にする為に、カディス(現在のスペインのアンダルシア州)を出港する。今回はコロンブスの父ペドロ・デ・ラス・カサス、バルトロメ・デ・ラス・カサスも同行した。
1,493 10 クリストファー・コロンブス一行が小アンティル諸島中の一島に上陸し「ドミニカ島」と命名する。
1,493 10 北条早雲が、自身の居城である興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)にて足利茶々丸征伐の作戦を練る。そして、以下からの援軍を得て、足利潤童子を支持していた伊豆国人を味方に付け、500名の軍勢で出陣した。
①今川氏親
②葛山氏
③上杉定正
1,493 10 11 越中国の足利義稙勢が、細川政元の派遣した軍勢を破る。此れにより足利は、越中国全域を掌握し、周辺の諸将からの支持を集め、九州の大友政親等の遠方の大名も支持した。
1,493 10 17 伊勢貞陸によって、古市澄胤が以下2ヶ所の守護代に任じられる。
①綴喜郡
②相楽郡
此れによって古市は、山城国を攻撃する大義名分を得た。
1,493 10 21 古市澄胤が、山城国への侵攻を開始する。越智氏と古市氏の不和により、古市氏の単独侵攻となった。
1,493 10 27 古市澄胤が、惣国の解体と守護による統治に反対する山城国人衆の籠城する稲八妻城(現在の京都府相楽郡精華町北稲八間城山付近)を陥落させる。
1,493 11 クリストファー・コロンブス一行がイスパニョーラ島に上陸する。其の後、金の採掘の為にタイノ族を酷使し、抵抗する者を虐殺した。数十万から百万名程いた同島のタイノ族は50年後には数百名に減少し、後に絶滅した。
1,493 11 クリストファー・コロンブス一行が前回の航海での植民39名が全滅していた為、モンテ・クリスティ(現在のドミニカ)の近くに植民地を再建し「イサベラ」と名付ける。其の後金鉱とアジアへの経路の探索を開始した。
1,493 11 19 北条早雲率いる軍が、伊豆国の兵が手薄になるタイミングを計って堀越御所を夜襲する。足利茶々丸は、上杉顕定や上杉を支持する伊豆国人等と共に応戦した。北条は戦いを優位に進め、足利は堀越御所を捨て、守山(現在の静岡県伊豆の国市中條付近)方面に逃亡した。北条は、韮山城(現在の静岡県伊豆の国市韮山)を居城に定めた。
1,493 12 22 大友親繁が死去する。
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