西暦1,490年は、東山文化を体現した将軍が世を去り、其の山荘が寺となった年である。1月27日に足利義政が病死し、遺言により遺骨は西指庵に納められた。此の時点で東山殿は内外を黒漆で塗り終えた状態であり、3月頃に完成して東山山荘全体が寺とされ「慈照院」と名付けられ、4月頃には義政の菩提を弔う為「慈照寺」として禅寺に改められ、相国寺の末寺として創始された。5月16日、日野富子が小川殿を足利義澄に与える事を決定すると、日野が細川政元と内談して義澄を征夷大将軍に擁立しようとしているという噂が立ち、6月6日には足利義視が小川殿を日野の居室を除いて全て破却し、日野の所領も奪っている。7月22日、足利義稙が第10代室町幕府征夷大将軍に就任し、細川政元は判始の為に1日だけ第28代管領に就任した後、室町幕府から距離を置き始めた。義稙は寺社本所領の返還を条件に六角高頼を赦免して近江国守護に復職させたが、11月頃、六角氏の内衆・国人衆が返還を拒否し、義稙の権威は損なわれた。欧州では、ヴェネツィアで飛脚問屋を営んでいたフランチェスコ・デ・タシス1世がマクシミリアン1世と郵便契約を結び、郵便制度を設立して郵便馬車を走らせている。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,490 クリストファー・コロンブスの航海計画がエルナンド・デ・タラベラを中心とする諮問委員会で否決される。其の後更にコロンブスは審議を願い出たが、1ヶ月も経たぬ内に否決された。
1,490 ヴェネツィアで飛脚問屋を営んでいたフランチェスコ・デ・タシス1世がマクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)から命じられ郵便契約を結び、郵便制度を設立し郵便馬車を走らせる。
1,490 フランチェスコ・デ・タシス1世とフランチェスコの兄ヤネット・デ・タシス、フランチェスコの甥ジョヴァンニ・バッティスタがマクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)から郵便主任を命じられる。さらにマクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)の長男であるフェリペ1世(カスティーリャ王)が、フランチェスコに対しブルゴーニュ(現在のフランスのマルヌ県)とネーデルラント(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルク)物資輸送の機構改革を命じた。
1,490 1 27 足利義政が病死する。足利義視は、其の後の法事の席で「兄弟の仲は元々良かったが、人の言動で疎遠になった。美濃国で私は或る僧を出世させる様要望したが、周囲の僧達に反対された。しかし義政殿が『義視の言う事だから』と反対を押し切った。私は此れを聞いて頷き、一笑した」という主旨の発言をした。義政の遺言により、遺骨は西指庵に納められた。此の時点で東山殿は、内外を黒漆で塗り終えた状態であった。
1,490 3 東山殿が完成する。東山山荘全体を寺とし「慈照院」と名付けられた。
1,490 4 足利義政の菩提を弔う為に、東山殿を「慈照寺」として禅寺に改められ、相国寺の末寺として創始される。
1,490 5 16 日野富子が、小川殿を足利義稙の従兄弟の足利義澄に与える事を決定する。此れにより、日野が細川政元と内談して義澄を征夷大将軍に擁立しようとしているという噂が立った。
1,490 6 6 足利義視が小川殿を、日野富子の居室を除き、全て破却する。又足利は、日野の所領も奪った。
1,490 7 22 足利義稙が、第10代室町幕府征夷大将軍に就任する。細川政元は、此の日の判始の為、1日だけ第28代管領に就任し、以降は室町幕府から距離を置き始めた。足利義視は准后宣下を受け、政務を担った。伊勢貞宗も、父の伊勢貞親が暗殺を企てた義稙が征夷大将軍に就任した事で、身の危険を感じ政所執事を辞任し、隠居した。其の後義稙は、六角氏が押領していた寺社本所領の返還を条件として六角高頼を赦免し、第27代室町幕府近江国守護として復職させた。
1,490 11 六角氏の内衆・国人衆が、寺社本所領の返還を拒否する。此れにより、足利義稙の権威は損なわれた。
1,490 11 19 日野良子が死去する。
1,490 12 足利義視が腫物を患う。
1,490 12 18 以下の人間が文庫の屋根の南側を葺く。
①静円房
②三郎五郎
③七郎三郎
翌日は北側を葺く予定であるとした。
1,490 12 19 文庫の屋根が葺かれる。
1,490 12 21 文庫の屋根に、前日に明静房が受け取りに行って持って来た粟田口(現在の京都府京都市東山区・左京区)から買い入れた瓦が載せられる。又、文庫内の棚等を修繕し、番匠が作業に来て、河原者は壁土を塗った。更に、南側の廂等の外側に在った竹垣等が破損していた為、此の日から茂加利を結び始めた。東側は元々茂加利であったが、結び直した。北側の棚も、柱や壁に垂木を入れて補強する為、棚を破却した。櫃も同様に破損していた為、此の日修理が為された。其の後、土が崩れ落ちていたので、土を補充した。文庫の南東や南廂の竹垣が朽ちて壊れ、櫃を十数個取り出した所、文書は湿って損傷していた。又同年、以下2名等の尽力により、葺と板戸の修繕が行われた。
①宗祇
②細川政元
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