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≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,489 | フランチェスコ・デ・タシス1世がマクシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)の郵便物の無料配達を請け負う。 | |||
| 1,489 | 大友政親の異母弟である日田親胤が、肥後国にて謀反を起こす。此の時政親は上洛中であった。此れは、大友親繁の五男大友親治によって鎮圧され、親治は、政親・大友義右を助けた。間も無くして、大聖院宗心が義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言した。此れを信じた義右は激怒し、政親と再び対立した。 | |||
| 1,489 | 1 | 7 |
第28代北野天満宮松梅院院主禅予が、以下の主旨の内容を記し、飯尾為規・清元定の捺印が為される。 壬生家の掘削の件に関し、西京の散所は掘削すべきであるとの御奉書が出された。其処で現地に百姓が派遣されたが難渋した。其の為、年貢の浪費や煩いにはならないと説得し、早く掘削する様下知の仰せが出されたので、此の通り伝達する。 |
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| 1,489 | 4 | 2 | 山荘造営の一環である「東山殿(現在の京都府京都市左京区銀閣寺町)」が上棟される。 | |
| 1,489 | 4 | 16 | 足利義尚の病が重篤な状態となる。 | |
| 1,489 | 4 | 26 |
10時、足利義尚が、近江国鈎の陣中にて死去する。水と酒しか受け付けない状態であった。義尚は臨終に際し、足利義政に対し以下の辞世の句を詠んだ。 ①ながらへば人の心も見るべきに露の命ぞはかなかりけり (もし長く生きる事が出来れば、他人の心も良く見極められる様になるだろうに、露のような命は儚いものだ) ②もしほ草あまの袖師の裏波にやどすも心あり明の月 (藻塩草が海人の袖を濡らす裏波に宿るように、心にも有明の月のような明るさがある) ③出づる日の余の国までも鏡山と思ひしこともいたづらの身や (昇る日の向こうの遠い国々までも、鏡山の様に美しいと思っていた事も、結局は無駄な身の上だった) 遺体は以下2名に譲られ、凱旋将軍の様な隊列で以って京都に帰還した。 ①細川政元 ②日野富子 其の後日野は、足利義視が出家する事を条件に、足利義稙を次期征夷大将軍に決定した。 |
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| 1,489 | 5 | 10 | 足利義尚の葬儀が執り行われる。葬儀に際して、遺体の腐臭を防ぐ目的で、口・目・鼻に水銀が注入された。日野富子は、此の葬儀に於いて莫大な資金提供を行い、足利との最後の別れの際、裳階の中で、声を惜しまず咽び泣いた。周囲の者も涙した。其の後足利は等持院に葬られた。義尚の後継として、足利義政が政務に復帰した。 | |
| 1,489 | 5 | 12 | カスティーリャ王国が、クリストファー・コロンブスが王室に謁見する際、宿泊費を王国側で負担する通達を出す。 | |
| 1,489 | 5 | 13 |
以下4名が上洛する。 ①足利義視 ②足利義稙 ③土岐成頼 ④斎藤妙純 元々は足利義尚の葬儀に参列する予定であったが、細川政元の反対に遭い、葬儀後の上洛となった。其の後、義視の娘の居る通玄寺(現在の京都府京都市中京区曇華院前町)に入った。 |
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| 1,489 | 5 | 19 | 足利義視が、日野富子の住む小川殿に移る。 | |
| 1,489 | 5 | 27 | 足利義視が、通玄寺にて出家する。 | |
| 1,489 | 8 | 12 | 横川景三の勧めで、如意ヶ嶽(現在の京都府京都市左京区鹿ケ谷菖蒲谷町)の山の斜面に白布を持って大文字を作らせ、東求堂から見て字の形を決めて斜面に掘らせた75ヶ所の火床に積み上げた松の割木に一斉に点火し、足利義尚の精霊を送る。此れは五山送り火の始まりとなった。 | |
| ≈ | 1,489 | 9 | 足利義政が、中風を再発させて倒れ、左半身不随となる。 | |
| 1,489 | 11 | 14 |
以下2名が足利義政と対面する。 ①足利義視 ②足利義稙 |
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