以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,497 | ヴェネツィア共和国が、元老院令により、マラーノ(イベリア半島で止む無くキリスト教に改宗したユダヤ人の蔑称)に対し2ヶ月以内の退去とその間の商業取引の禁止を規定し、マラーノと取引したヴェネツィア商人に対し、罰則規定を設ける。 | |||
| 1,497 | 初代テューダー朝王ヘンリー7世公認の下、ジョン・カボット、セバスチャン・カボット親子が、ブリストル港の商人の資金によってアジアへの航路探検に出発する。 | |||
| ≈ | 1,497 | 1 | 大内義興が、室町幕府から少弐家の征伐を命じられる。 | |
| 1,497 | 1 | 16 |
大内義興が、以下の人間を始めとする20,000騎余を率いて、九州へ向けて出陣する。 ①陶興房(大将) ②吉見頼興 ③熊谷膳直 ④小早川弘平 ⑤仁保護郷 ⑥杉弘依 ⑦内藤氏 |
|
| 1,497 | 3 | 19 | マヌエル1世が、ポルトガル国内に在住する全ユダヤ教徒に対し、形式的なキリスト教への強制改宗を行い、内心での信仰の調査は20年間猶予する事となった(後に延長され、マヌエル1世の治世下では調査は行われていない)。商業、金融業で主要な役割を果たし、また医師などの知的専門職や職人となっている者も多いユダヤ人を追放する事は、ポルトガルの経済的損失である為彼らを国内に引き留める為に行った。しかし、マラーノと呼ばれ差別を受ける事となり、14歳未満の子は親許から引き離され、キリスト教徒の家庭に里子に出す事が義務付けられた。 | |
| ≈ | 1,497 | 4 | 三条西実隆が、文庫の破損に就いて後土御門天皇に奏聞する。後土御門天皇は、修繕の詳細や方法に就いて尋ねる様指示した。三条西は、内々に押小路師富経由で申し付けた。 | |
| ≈ | 1,497 | 4 | 大内義興率いる軍が、筑前国へ侵攻する。 | |
| 1,497 | 4 | 15 |
少弐政資の息子少弐高経が、大内義興率いる軍が博多に到着して陣を固めようとした隙を突いて奇襲し、先鋒の杉興正を討ち取る。しかし直ぐに、二陣の陶興房・熊谷膳直等が入れ替わり、聖福寺(現在の福岡県福岡市博多区御供所町)にて、以下3名率いる軍と大内率いる軍の間で戦闘となった。 ①少弐政資 ②大友政親 ③大友親治 大内側は、陶が先鋒となり、圧倒的な兵力で攻勢を掛け、少弐・大友父子率いる軍を撃破した。少弐・大友父子率いる軍は、太宰府方面へ敗走した。 |
|
| 1,497 | 4 | 17 |
退却中であった以下3名率いる軍が、追撃して来た大内義興率いる軍と、筑紫村(現在の福岡県筑紫野市)にて戦闘となる。 ①少弐政資 ②大友政親 ③大友親治 大内率いる軍は、2日前と同じく少弐・大友父子率いる軍を破り、少弐方国人・河津氏等が守備する高鳥居城を落城させた。少弐・大友父子率いる軍は、肥前国へ逃亡した。大内の軍勢は50,000騎余まで膨れ上がり、勢いに乗って筥崎宮(現在の福岡県福岡市東区箱崎)付近まで進軍した。 |
|
| ≈ | 1,497 | 4 | 18 |
以下2名が、相談の上、軍を二手に分ける。 ①少弐政資(岩門城(現在の福岡県那珂川市山田)) ②少弐高経(勝尾城(現在の佐賀県鳥栖市牛原町)) 政資は岩門城に籠城し、高経も勝尾城に入って大内義興勢を待ち構えた。 |
| ≈ | 1,497 | 4 | 19 |
大内義興が、太宰府を本陣とし、以下の軍を差し向ける。 ①陶弾正忠(岩門城、兵20,000名) ②陶興房・右田弘詮(勝尾城、兵20,000名) |
| ≈ | 1,497 | 4 | 20 | 陶弾正忠率いる軍が、岩門城を攻撃する。少弐家10名余が討死し、雑兵も大半が討たれ、落城した。少弐政資は密かに岩門城から出て、千葉胤資の居る晴気城(現在の佐賀県小城市小城町畑田)へ逃亡した。 |
| ≈ | 1,497 | 4 | 23 |
以下2名率いる軍が、勝尾城を攻撃する。 ①陶興房 ②右田弘詮 守備していた城兵は討ち負け、少弐高経は勢福寺城(現在の佐賀県神埼市神埼町城原)へ落ち延びた。 |
| 1,497 | 4 | 25 | 大内義興率いる軍が、朝日山城(現在の佐賀県鳥栖市村田町)を攻撃し、此れを攻略する。 | |
| ≈ | 1,497 | 5 | 5 |
第13代江上家当主で勢福寺城主の江上興種が、大内義興方と内通する。少弐高経は此れを把握すると、江上を勢福寺城から追放した。此の江上の裏切りにより、勢福寺城は、以下2名率いる軍によって容易く落とされた。 ①陶興房 ②右田弘詮 高経は、少弐政資の居る晴気城へ向かった。 |
| ≈ | 1,497 | 5 | 10 | 少弐高経が、晴気城へ入り、少弐政資と合流する。 |
| 1,497 | 5 | 15 | 千葉興常勢等の大内義興方が、晴気城を攻撃する。千葉胤資は防ぎ切れないと考え、少弐政資に、政資の側室の父である、梶峰城(現在の佐賀県多久市多久町)主多久宗時を頼る様申し出た。 | |
| 1,497 | 5 | 16 | 大内義興率いる軍が、少弐政資の居城である小城城を包囲する。 | |
| 1,497 | 5 | 18 |
一旦山口に戻っていた大内義興が、以下の周防国の一宮から五宮の神社に参詣して、戦勝祈願する。 ①一宮:玉祖神社(現在の山口県防府市切畑) ②二宮:出雲神社(現在の山口県山口市徳地堀) ③三宮:仁壁神社(現在の山口県山口市三の宮) ④四宮:赤田神社(現在の山口県山口市吉敷) ⑤五宮:朝田神社(現在の山口県山口市矢原) 神馬の寄進も行い、其の後小城城を包囲している自軍へ帰還した。 |
|
| 1,497 | 5 | 20 |
夜、千葉胤資が、以下3名を晴気城から逃す。 ①少弐政資 ②政資の嫡男少弐頼隆 ③少弐高経 |
|
| 1,497 | 5 | 20 | 小城城が落城する。 | |
| 1,497 | 5 | 21 | 少弐頼隆が、千葉興常勢に討たれる。 | |
| 1,497 | 5 | 21 | 千葉胤資が、晴気城から打って出るも、討死する。其の後晴気城は落城した。 | |
| 1,497 | 5 | 21 | 少弐政資が、梶峰城に到着する。少弐は、多久宗時に匿って欲しい旨を伝えた。大内義興方の追撃を恐れた多久は此れを拒否し、自害を勧めた。そして少弐は、専称寺(現在の佐賀県多久市多久町)境内で切腹した。 | |
| 1,497 | 5 | 23 | 落ち延びる途上で追手に市の川(現在の佐賀県小城市牛津町地区)で追い付かれた少弐高経が、最早逃れ得ぬと考え、市の川の山中にて切腹する。 | |
| ≈ | 1,497 | 5 | 大内義興が、千葉興常を肥前国守護代に任じる。 | |
| ≈ | 1,497 | 5 |
以下2名等が、大内義興に降伏する。 ①筑紫満門 ②東尚盛 |
|
| ≈ | 1,497 | 5 |
大内義興が、以下3名に対し処置を行い、山口に帰陣する。 ①筑紫満門(三根郡(現在の佐賀県三養基郡上峰町・みやき町)と神埼郡(現在の佐賀県佐賀市・神埼市・神埼郡吉野ヶ里町)の守備を命じる) ②東尚盛(佐賀郡(現在の佐賀県佐賀市)を与える) ③陶弾正忠(博多に配置) |
|
| ≈ | 1,497 | 5 | 大内義興が、朝廷から太宰少弐に任じられる。 | |
| 1,497 | 5 | 30 | フェルナンド2世(アラゴン王)がルイス・デ・サンタンヘルを保護する。サンタンヘルがキリスト教に改宗したユダヤ人の孫であった為、スペイン異端審問によりサンタンヘルを排斥する動きがあった。 | |
| 1,497 | 7 | 8 | マヌエル1世の命により、ヴァスコ・ダ・ガマが、大勢の観衆が見守る中、聖母修道院の修道士が執り行うミサの後、サン・ガブリエル号という船で、リスボンを出港する。 | |
| ≈ | 1,497 | 7 | 29 |
以下2名の間で和平交渉が開始される。 ①足利義稙 ②細川政元 足利側は、神保長誠を中心に交渉を進め、神保の家臣倉川兵庫助が上洛して、工作費として、数千貫を各方面に散蒔いた。 |
| ≈ | 1,497 | 8 |
畠山義豊の家臣団である以下に内紛が発生する。 ①遊佐氏 ②誉田氏 畠山尚順は此れに乗じ、河内国に進軍し、筒井党の以下2名も尚順に呼応して、大和国に帰還した後に挙兵した。 ①成身院順盛 ②筒井順賢 |
|
| 1,497 | 8 | 12 | 倉川兵庫助が、細川政元の屋敷を訪れる。工作の甲斐有って倉川は、細川との和平交渉に漕ぎ着けた。其の後吉見義隆も、足利義稙方として交渉に当たった。しかし最終的に、細川政賢の反対に遭い、交渉は決裂した。 | |
| ≈ | 1,497 | 10 |
畠山尚順が、河内国奪回の為挙兵する。畠山は、以下が対立しているのを好機と捉え挙兵に踏み切った。 ①遊佐氏 ②誉田氏 此れを受けて細川政元は、赤沢朝経を南山城に派遣し、古市澄胤に代わる守護代とした。 |
|
| 1,497 | 11 | ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸南端の喜望峰を超える。 | ||
| ≈ | 1,497 | 11 |
各地で合戦に及んでいた以下が敗退する。 ①筒井党 ②古市氏 ③越智氏 今市(現在の奈良県奈良市)の越智氏代官や堤氏は敗走し、以下の越智党の主要国人達も自焼没落した。 ①小泉氏 ②竜田氏 此れにより筒井氏は、西暦1,477年に畠山義就によって奪われた大和国の本領を奪還した。 |
|
| 1,497 | 11 | 2 |
畠山尚順が、高屋城(現在の大阪府羽曳野市古市)を落城させる。此れにより尚順は、河内国の大半を奪回した。此れを受けて畠山義豊は山城国へ逃亡し、足利義澄は、以下の奉公衆に対して、尚順を攻撃する様御内書を発した。 ①湯河氏 ②玉置氏 ③山本氏 しかし湯河氏は、畠山方であった為御内書を無視した。 |
|
| 1,497 | 11 | 2 |
成身院順盛が、越智郷(現在の奈良県高市郡高取町)に侵攻する。以下2名は壷阪寺(現在の奈良県高市郡高取町壷阪)に逃れ、越智郷は戦火に包まれた。 ①越智家栄 ②家栄の嫡男越智家令 |
|
| ≈ | 1,497 | 12 |
十市遠治が壷阪寺を攻撃する。以下は此れに応戦し、退けた。 ①越智家栄 ②越智家令 十市は以下2名に援軍を要請した。 ①成身院順盛 ②畠山尚順 畠山は此の要請に応じ、河内国から万歳平城(現在の奈良県大和高田市市場)に入った。此れを受けて家栄・家令は吉野に逃亡した。万歳氏の所領を奪取した畠山は、其れを自身の馬廻衆に恩賞として与えた。大和国の荘園が他国の衆に与えられたのは此れが初めてで、興福寺は大変な衝撃を受けた。 |
|
| 1,497 | 12 | 7 |
古市澄胤が、300名余の兵を率いて白毫寺(現在の奈良県奈良市白毫寺町)付近に布陣し、以下の大和国人を率いる1,000名の筒井氏率いる軍を迎撃する。 ①超昇寺(現在の奈良県奈良市山陵町) ②秋篠(現在の奈良県奈良市) ③宝来(現在の奈良県奈良市) 結果、筒井氏は大勝し、古市は伊賀国へ逃亡した。斯うして、西暦1,477年以降続いた越智氏・古市氏と筒井党の力関係は逆転した。 |
|