西暦1401〜1500年は、室町幕府の足利将軍家が日御座の御剣を新調し中山王国と交流を持った時代である。河野教通と河野通春の間で伊予国の内紛が激化し、応仁の乱が勃発した。コロンブスが新大陸に到達し先住民を虐殺、大航海時代が幕を開けた。

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コロンブスの先住民大量殺人に関する電子書籍 クリストファー・コロンブスは偉人では無い。
年月日 出来事
1,477 足利義政が、大友政親の家督継承を正式に認め、大友を以下2ヶ国の守護に任じる。
①豊後国
②筑後国
1,477 薬師寺長盛の嫡男薬師寺元一が生誕する。
1,477 1 5 足利義視が足利義政に対し、他意の無い事を伝える書簡を送る。斯うして、義視は義政に恭順を誓った。義政は、義視の罪を不問に付す、という主旨の返答をし、日野富子の仲介によって両軍は和睦した。
1,477 3 29 以下2名の間に大内義興が生誕する。
①大内政弘
②賀茂神社の社家である鳥居大路氏の娘で畠山義統の養女の今小路
1,477 5 9 室町幕府が、大友政親等に対し、大内政弘が先年の下知状を持って、大内教幸が周防国・長門国へ渡海するので協力せよとのお触れを出しているので、此れを止めて上洛させよとの命を下す。
1,477 5 31 河野通春が、東軍に内通していた大内政弘の仲介によって東軍に下り、足利義尚の安堵を取り付ける。
1,477 6 室町幕府が、伊勢国北半国守護職を一色義春に与える。同職は北畠政郷が補任されていたが、罷免しない儘一色に与えられた為、現地の代官同士が揉め、一色は奪還を意図し現地入りし、合戦に発展した。結果、北畠が勝利した。周囲は、北畠が畠山義就に味方するのではないかと警戒したが、杞憂に終わり、北畠は、伊勢国北半国守護職に再任された。
1,477 6 13 足利義視が、大内政弘経由で日野富子へ和睦の仲介料を支払う。
1,477 8 足利義視が、自身の娘を日野富子の下に送り、猶子にして貰う。
1,477 10 東条国氏の後継者の東条修理亮が、自身の京都の屋敷を一色義直に攻められ、一族郎党300名と共に、大和国へ逃亡する。
1,477 10 27 畠山義就が、河内国へ向けて京都を出発する。1ヶ月前くらいから畠山が京都を離れる噂は立っており、畠山は、以下の大和国人等と打ち合わせを行なっていた。
①越智氏
②古市氏
1,477 10 29 畠山義就が、以下を含む250騎・具足を装着した2,000名余を率い山城国から河内国牧(現在の大阪府枚方市牧野地区)に入る。
①甲斐庄氏19騎
②誉田氏42騎
其の後畠山は、河内国守護所で、河内国守護代遊佐長直の籠城する若江城(現在の大阪府東大阪市若江北町)を攻撃した。以下も河内国に入り、畠山に加勢した。
①越智氏
②古市氏
畠山率いる軍は、天王寺に移り、堺の占領を目指したが、和田助直によって阻まれ、河内国に引き返した。
1,477 11 高田為長が河内国・大和国の畠山政長方と共に、妻の実家である飯高城を攻撃する。境界争いが発端であった。古市氏の後詰めが遅く、飯高城主毛利吉信は自害し、高田は勝利した。
1,477 11 2 畠山義就率いる軍が、東軍の守備していた客坊城(現在の大阪府東大阪市客坊町の市杵嶋姫神社)を襲撃する。結果、畠山勢が客坊城を落城させた。
1,477 11 2 室町幕府が、畠山義就追討の綸旨を奏請する。結果、後土御門天皇から畠山政長や以下に対し、綸旨が発せられた。
①興福寺
②多武峰(現在の奈良県桜井市)
③高野山
④粉河寺(現在の和歌山県紀の川市粉河)
⑤根来寺(現在の和歌山県岩出市根来)
1,477 11 6 畠山義就率いる軍が八尾城(現在の大阪府八尾市本町)に入城する。
1,477 11 12 畠山義就率いる軍が、畠山政長方の以下の人間が守備する誉田城(現在の大阪府羽曳野市誉田)を攻撃する。
①誉田城主和田美作守
②恩智氏
③丹下氏
④越智氏
⑤古市氏
筒井順尊・箸尾為国や大和国箸尾(現在の奈良県北葛城郡広陵町)・宇智(現在の奈良県五條市)の国人である以下の人間は、政長方に付き、西軍と戦った。
①杉野氏
②宇野氏
③坂部氏
④野原氏
そして、越智氏・古市氏が、筒井・箸尾を破り、南都を占拠した。筒井・箸尾・箸尾の大和国人は追撃を躱し、福住(現在の奈良県天理市)に逃亡した。西軍は、以下を含む30名余を自害に追い込み、200名余を没落させて、誉田城を落城させた。
①和田
②杉野氏
③宇野氏
④坂部氏
⑤野原氏
和田を始めとする37名の首級は、京都に居る政長の下に送られた。筒井順尊は教興寺(現在の大阪府八尾市教興寺)から大和国へ追い返された。又、以下の人間が越智氏に付いた。
①十市氏
②龍田氏
③片岡氏
1,477 11 13 嶽山城(現在の大阪府富田林市龍泉)が、畠山義就方の大和国の吐田氏によって陥落する。又、往生院城(現在の大阪府東大阪市六万寺町)も落城し、焼失した。西軍の勢力拡大により、以下の人間と土地等が没落した。
①宝来祐尊
②筒井順尊(自焼没落)
③筒井の後継人成身院順宣(自焼没落)
④安楽坊順憲
⑤萩別所氏
⑥小林
⑦辻子
⑧木津
⑨金剛寺(現在の大阪府河内長野市天野町)
⑩曽部
⑪北院
⑫小南(現在の奈良県大和郡山市)
⑬今市新
⑭六条
⑮堀
嶽山城は、西暦1,471年に畠山政長方に占領されていたが、義就が奪回した形となった。
1,477 11 14 畠山義就率いる軍が、若江城を落城させる。遊佐長直は、天王寺から船を出し、大和川を渡って撤退した。島氏も、平群谷(現在の奈良県生駒郡平群町)の居館に自ら火を放ち、逃亡した。此れにより畠山は以下を略手中に収めた。
①河内国
②大和国
1,477 11 18 大内政弘が、畠山義就に呼応し、木津城(現在の京都府木津川市城山台)を攻撃する。東軍は敗れ、木津氏は自ら木津城に火を放った。
1,477 12 室町幕府が、大内政弘の以下4ヶ国の守護職を承認する。
①周防国
②長門国
③豊前国
④筑前国
此れは大内が、足利義政に遣明船の唐荷を納めた為、赦免された事によるものであった。又朝廷も、大内の官位を昇叙させた。此れ等は日野富子の仲裁によるものであった。
1,477 12 河野通春が、陣所を引き払って伊予国へ帰国する。又此の頃河野は、第18代室町幕府伊予国守護に任じられた。
1,477 12 日野富子が、大内政弘の帰国によって戦う意味が無くなった畠山義就に1,000貫文を貸し付け、撤退を促す。畠山は此れに応じ、河内国へ向けて京都を出発した。
1,477 12 壬生晴富が以下の主旨の内容を記す。
西暦1,471年12月頃、足利義政殿に命じられて文庫の屋根を葺き替えたが、既に数年が経ち、大きく損傷し、度重なる雨により壁が雪崩て、其の状態は言葉にならない程酷いものである。戦乱後も平穏無事であったが、今後は湿損するであろう。
1,477 12 足利義視・足利義稙が、以下2名の庇護の下、川手城(現在の岐阜県岐阜市正法寺町)へ下向する。
①土岐成頼
②斎藤妙椿
1,477 12 16 西軍の諸将が一斉に下国する。大内政弘は、陣所を引き払って伊予国へ向かった。足利義視も、自身の嫡男の足利義稙を伴い、美濃国の土岐成頼の下に亡命し、承隆寺(現在の岐阜県岐阜市茜部寺屋敷)に滞在した。
1,477 12 25 室町幕府が、天下静謐の祝宴を開催する。足利義政は、京都の東軍諸将と共に、応仁の乱の終結を祝った。しかし、河内国・大和国の大半は畠山義就が押さえており、火種が燻っていた。
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