西暦1,475年は、安芸国高山城を巡る攻防が決着し、近江国では六角高頼と京極政経の抗争が始まった年である。1月25日頃、高山城が小早川弘景率いる西軍の攻撃により落城寸前となると、足利義政は領主の小早川元平を急ぎ帰国させ、再度毛利豊元を呼び寄せ、小早川敬平も京都から戻り、御教書を発して近隣の豪族に敬平を助ける様命じた事で東軍は盛り返した。2月18日には室町幕府が再度毛利豊元を招き、4月7日には備後国で両軍が交戦して毛利豊元は家臣国司有純を遣わせて情勢を報告させ、4月10日には沼田荘真良(現在の広島県三原市高坂町)・沼田荘本郷(現在の広島県三原市)でも交戦した。4月26日頃の時点で西軍は高山城の包囲を続けており、5月3日に室町幕府は重ねて山名是豊に小早川元平への合力を命じ、5月6日には細川政国が幕命により備前国・備中国の被官等に合力を命じ、5月9日には高山城の麓で両軍が交戦した。5月15日、小早川元平は西軍が提示した包囲解除の条件である沼田荘熊井田本郷・沼田荘安直本郷・沼田荘梨子羽郷の割譲案を呑み、5月23日には宮元信・宮盛忠の調停により西軍が包囲を解き始め、庄元資以下の東軍も撤退し、5月26日に西軍は高山城から撤退した。近江国では、9月6日に六角高頼に山門領を押領された延暦寺の衆徒が室町幕府に六角征伐を願い出、10月頃には出雲国に落ち延びていた京極政経と多賀高忠が出雲国の国人衆を率いて上洛し、東軍に付いていた京極は第19代室町幕府出雲国守護に補任されて六角氏からの近江国奪還を命じられたが、11月26日に六角高頼は佐々木荘(現在の滋賀県近江八幡市安土町地区)にて京極政経と延暦寺山門衆徒を破った。同じ11月26日、仁保盛安の息子で少弐政資の被官の仁保弘名が、津隈荘(現在の福岡県行橋市上津熊・中津熊・下津熊)40町を下毛郡(現在の大分県中津市)の池永彦次郎へ打ち渡している。京都では此の年、洪水・暴風雨等の自然災害が頻発し、2月6日には応仁の乱の勃発以降休止されていた朝廷儀式が再開された。高山城を巡る攻防は西暦1468年に小早川弘景が沼田荘高山城を攻撃した事に始まり、西暦1473年1月1日の小早川煕平の死去を受けて足利義視が煕平の所領を弘景へ与える御内書を発した事で激しさを増し、此の年、城を守った元平が三つの郷を割譲する形で決着した。同じ一族の内で東西に分かれた争いが所領の分割で収まった点は、応仁の乱が中央の名分を離れて在地の取り分の遣り取りへ移りつつあった事を示している。朝廷儀式の再開は西暦1467年6月27日の花の御所占拠以来、八年に渡って途絶えていたものである。京極政経は西暦1473年10月21日に第24代室町幕府近江国守護へ就いた人物であり、西暦1469年以来六角高頼と観音寺城を争って来た多賀高忠と共に、此の年は出雲国から兵を率いて上洛した。翌西暦1476年3月1日には今川義忠が凱旋の途上、塩買坂にて一揆勢の流れ矢を受けて討死する。

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年月日 出来事
1,475 此の年、京都で洪水・暴風雨等の自然災害が頻発する。
1,475 1 25 高山城が、小早川弘景率いる西軍の攻撃により、落城寸前となる。此れを受けて足利義政は、領主の小早川元平を急ぎ帰国させた。又足利は、再度毛利豊元を呼び寄せた。小早川敬平も京都から戻って来た。足利は御教書を発し、近隣の豪族に敬平を助ける様命じた。此れによって東軍は盛り返した。
1,475 2 6 応仁の乱の勃発以降休止されていた朝廷儀式が再開される。
1,475 2 18 室町幕府が、再度毛利豊元を招く。
1,475 4 7 両軍が備後国で交戦する。毛利豊元は、自身の家臣である国司有純を遣わせ、情勢を報告させた。
1,475 4 10 両軍が以下にて交戦する。
①沼田荘真良(現在の広島県三原市高坂町)
②沼田荘本郷(現在の広島県三原市)
1,475 4 26 此の時点で西軍は、高山城の包囲を続けていた。
1,475 5 3 室町幕府が、重ねて山名是豊に小早川元平への合力を命じる。
1,475 5 6 細川政国が、室町幕府の命により、以下の国の被官等に、小早川元平への合力を命じる。
①備前国
②備中国
1,475 5 9 両軍が、高山城の麓で交戦する。
1,475 5 15 小早川元平が、西軍が提示した高山城の包囲を解く条件である、以下の割譲案を呑む。
①沼田荘熊井田本郷(現在の広島県三原市沼田西町松江)
②沼田荘安直本郷(現在の広島県三原市沼田西町納所・小原・松江・惣定一帯)
③沼田荘梨子羽郷(現在の広島県三原市本郷地区)
1,475 5 23 西軍が、以下の調停により、高山城の包囲を解き始める。
①宮元信
②宮盛忠
又、庄元資以下の東軍も撤退した。
1,475 5 26 西軍が高山城から撤退する。
1,475 9 6 六角高頼に山門領を押領された延暦寺の衆徒が、室町幕府に六角征伐を願い出る。
1,475 10 出雲国に落ち延びていた以下2名が、出雲国の国人衆を率いて上洛する。
①京極政経
②多賀高忠
東軍に付いていた京極は、第19代室町幕府出雲国守護に補任され、六角氏から近江国を奪還する様命じられた。
1,475 11 26 六角高頼が、佐々木荘(現在の滋賀県近江八幡市安土町地区)にて以下を破る。
①京極政経
②延暦寺山門衆徒
1,475 11 26 仁保盛安の息子で少弐政資の被官の仁保弘名が、津隈荘(現在の福岡県行橋市上津熊・中津熊・下津熊)40町を下毛郡(現在の大分県中津市)の池永彦次郎へ打ち渡す。
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