西暦1502年は、薬師寺元一が摂津国守護代に就任し、足利義澄が金龍寺に逐電して、義忠が斬殺された年である。就任は1月25日、逐電は9月5日の事で、足利は細川政元との対立を理由に隠居を宣言し、翌6日には金龍寺を訪れた細川と伊勢貞宗との面会を拒んで要求を突き付けた。9月7日、細川は義忠を自身の屋敷に呼び出して捕縛させ、義忠は柳本家の家臣と香西元長等により斬殺された。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,502 赤沢朝経が、朝廷の撤退要求を無視し、再度大和国に侵攻する。古市澄胤も此れに協力した。筒井党は追い払われ、筒井順賢は堺に逃亡した。
1,502 1 25 薬師寺元長が死去する。薬師寺元一は家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。
1,502 8 14 足利義澄が従四位下に叙される。又足利は、参議兼左近衛中将に任じられた。足利は其の後、返礼として朝廷に拝賀を行おうとするも、細川政元が「参議兼左近衛中将に昇進する事は無益です。私は常に足利殿を征夷大将軍と理解しているので、官位は意味を持ちません。幾ら昇進しても、周囲が命令を聞かねば何の意味も無い。暫くは、今の官位の儘で良いでしょう」と言って反対し、実現しなかった。細川の周囲の公武の者も皆、細川に同意した。
1,502 8 23 足利義澄が、石清水八幡宮の籤によって改名を行う。
1,502 9 5 足利義澄が、細川政元との対立を理由に隠居を宣言する。足利は、金龍寺(現在の京都府京都市左京区岩倉地区)に逐電した。
1,502 9 6 以下2名が、金龍寺に居る足利義澄の下を訪れる。
①細川政元
②伊勢貞宗
しかし、足利は面会を拒否し、代わりに細川に5ヶ条、伊勢に7ヶ条の以下の要求を突き付けた。
①細川に対する5ヶ条
❶武田元信の相伴衆への登用
❷足利義稙の異母弟義忠の殺害
❸後柏原天皇の即位礼の費用を負担する
❹内裏の警護を強化する
❺足利家の財政支援
②伊勢に対する7ヶ条
❶政所の会計の透明化
❷家臣団の再編
❸所領争いの仲裁
❹軍事支援の強化
❺朝廷との連携
❻義稙派の監視
❼細川の行動監視
細川・伊勢は此れを部分的に受け入れた。
1,502 9 7 義忠が、足利義澄の見舞いの為、金龍寺を訪れる。しかし足利は義忠と会う事を拒否した。細川政元は、義忠を自身の屋敷に呼び出し、捕縛させた。そして、以下2名等により、義忠は斬殺された。
①柳本家の家臣
②香西元長
1,502 12 31 赤沢朝経が、東寺領上久世荘(現在の京都府京都市南区)の下司の件で、東寺年預に書簡を送る。