西暦1502年は、将軍足利義澄と管領細川政元の対立が深まった年である。1月25日に薬師寺元長が死去し、西暦1501年に其の養子となっていた薬師寺元一が家督を継いで摂津国守護代に就任した。西暦1477年に薬師寺長盛の嫡男として生まれた男が、遂に一家を背負った事になる。8月14日には足利義澄が従四位下に叙され、参議兼左近衛中将に任じられたが、細川政元は昇進を無益と断じ、足利を征夷大将軍と理解している以上官位は意味を持たず、幾ら昇進しても周囲が命令を聞かねば意味が無いと言い放って拝賀を阻み、周囲の公武の者も皆細川に同意した。西暦1501年7月1日に後柏原天皇の即位礼を無益であると諫めた男の理屈が、今度は自らの擁した将軍へ向いた形である。8月23日に足利義澄は石清水八幡宮の籤によって改名を行い、9月5日には細川政元との対立を理由に隠居を宣言して金龍寺へ逐電した。翌6日、細川政元と伊勢貞宗が金龍寺を訪れたが、足利は面会を拒み、細川へ五ヶ条、伊勢へ七ヶ条の要求を突き付けた。細川への五ヶ条には武田元信の相伴衆への登用、後柏原天皇の即位礼費用の負担、内裏の警護強化、足利家への財政支援と並んで、足利義稙の異母弟義忠の殺害が含まれており、細川・伊勢は此れを部分的に受け入れた。9月7日、義忠は見舞いの為に金龍寺を訪れたが足利義澄は面会を拒み、細川政元は義忠を自身の屋敷へ呼び出して捕縛させ、柳本家の家臣と香西元長等により斬殺させた。西暦1495年に幼い将軍を擁して政務を握った管領と、其の将軍との抜き差しならぬ関係が、後の政変の伏線となっていった。

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年月日 出来事
1,502 1 25 薬師寺元長が死去する。薬師寺元一は家督を継ぎ、摂津国守護代に就任した。
1,502 8 14 足利義澄が従四位下に叙される。又足利は、参議兼左近衛中将に任じられた。足利は其の後、返礼として朝廷に拝賀を行おうとするも、細川政元が「参議兼左近衛中将に昇進する事は無益です。私は常に足利殿を征夷大将軍と理解しているので、官位は意味を持ちません。幾ら昇進しても、周囲が命令を聞かねば何の意味も無い。暫くは、今の官位の儘で良いでしょう」と言って反対し、実現しなかった。細川の周囲の公武の者も皆、細川に同意した。
1,502 8 23 足利義澄が、石清水八幡宮の籤によって改名を行う。
1,502 9 5 足利義澄が、細川政元との対立を理由に隠居を宣言する。足利は、金龍寺(現在の京都府京都市左京区岩倉地区)に逐電した。
1,502 9 6 以下2名が、金龍寺に居る足利義澄の下を訪れる。
①細川政元
②伊勢貞宗
しかし、足利は面会を拒否し、代わりに細川に5ヶ条、伊勢に7ヶ条の以下の要求を突き付けた。
①細川に対する5ヶ条
❶武田元信の相伴衆への登用
❷足利義稙の異母弟義忠の殺害
❸後柏原天皇の即位礼の費用を負担する
❹内裏の警護を強化する
❺足利家の財政支援
②伊勢に対する7ヶ条
❶政所の会計の透明化
❷家臣団の再編
❸所領争いの仲裁
❹軍事支援の強化
❺朝廷との連携
❻義稙派の監視
❼細川の行動監視
細川・伊勢は此れを部分的に受け入れた。
1,502 9 7 義忠が、足利義澄の見舞いの為、金龍寺を訪れる。しかし足利は義忠と会う事を拒否した。細川政元は、義忠を自身の屋敷に呼び出し、捕縛させた。そして、以下2名等により、義忠は斬殺された。
①柳本家の家臣
②香西元長
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