西暦1,183年は、平氏一門が安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、京都に三種の神器を欠いた新帝が立った年である。西暦1182年4月24日の日御座の御剣の盗難を受け、平宗盛が日御座の御剣を新造して献上した。後に此の剣は、平家滅亡後に八咫鏡・八尺瓊勾玉と共に京都へ還っている。西暦1181年の焼き討ちから始まった東大寺の再建では、3月頃に大仏の御首の土の原型が出来上がり、3月6日には陳和卿・陳仏寿を含む南宋人鋳物師7名と草部是助・草部助延を含む日本人鋳物師14名の計21名が右手の鋳造を完了させた。5月12日に仏頭の鋳造へ着手して5月22日に頭部の鋳造を完了、6月10日には目や鼻等の仏顔が完成し、以降は表面の研磨と荘厳へ作業が移った。用いられた木炭は10,823.4kg程度、熟銅は6,000kg程度で、荘厳には鍍金と箔押しの2つの技法が併用されている。第83世東大寺別当禎喜は陳和卿を労って騎馬1疋と上絹10疋を贈り、同日、九条兼実は身骨舎利1粒を水晶小塔に納めて鋳造の終わった大仏頭部内に納入した。6月19日には御顔が完成している。7月頃、伊勢神宮祭主大中臣親俊が後白河上皇に対して神宮御剣を贈った。そして7月16日に三種の神器が持ち出され、8月14日午前、平氏一門は安徳天皇と三種の神器を奉じて西海へ向けて京都を出発した。9月8日、後鳥羽天皇が第82代天皇として践祚したが、三種の神器の無い儘での践祚であり、安徳天皇が即位した儘であった為、2名の天皇が存在する状況となった。神器は西暦960年の内裏火災で八咫鏡が一時行方知れずとなり、西暦1005年西暦1040年には焼損を被りながらも、其の都度宮中に据え直されてきた器物である。其れが都から持ち去られ、新帝が神器を欠いた儘立つという事態は、西暦1180年に松殿基房が御剣の献上を拒んだ一件と併せ、皇位を支える器物と其の授受の慣例が平氏の興亡の中で揺らいだ事を示している。翌西暦1184年9月4日の後鳥羽天皇の即位式では、天叢雲剣が無い儘、日御座の御剣を以て代用される事となる。

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年月日 出来事
1,183 西暦1,182年4月24日の日御座の御剣の盗難を受けて、平宗盛が、日御座の御剣を新造して献上する。後に此の剣は、平家滅亡後に、八咫鏡・八尺瓊勾玉と共に京都に還った。
1,183 3 東大寺大仏の御首の土の原型が出来上がる。
1,183 3 6 陳和卿を含む以下21名が、東大寺大仏の右手の鋳造を完了させる。
①以下の人間を含む南宋人鋳物師7名
❶和卿
❷和卿の弟陳仏寿
②以下の人間を含む日本人鋳物師14名
❶草部是助
❷草部助延
1,183 5 12 陳和卿等が、東大寺大仏の仏頭の鋳造に着手する。
1,183 5 22 陳和卿等が、東大寺大仏の頭部の鋳造を完了させる。
1,183 6 10 陳和卿等が、東大寺大仏の目や鼻等の仏顔を完成させる。以降は表面の研磨と荘厳に作業は移った。用いられた木炭は10,823.4kg程度、熟銅は6,000kg程度であった。荘厳には鍍金と箔押しの2つの技法が併用された。第83世東大寺別当禎喜は、陳を労い、以下を贈った。
①騎馬1疋
②上絹10疋
又此の日九条兼実は、身骨舎利1粒を水晶小塔に納め、鋳造の終わった大仏頭部内に納入した。
1,183 6 19 陳和卿等が、東大寺大仏の御顔を完成させる。
1,183 7 伊勢神宮祭主大中臣親俊が、後白河上皇に対し「神宮御剣」を贈る。
1,183 7 16 三種の神器が持ち出される。
1,183 8 14 午前、平氏一門が、安徳天皇と三種の神器を奉じて、西海へ向けて京都を出発する。
1,183 9 8 後鳥羽天皇が第82代天皇として践祚する。三種の神器の無い儘での践祚となった。安徳天皇が即位した儘であったので、2名の天皇が存在する状況となった。
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