西暦1101〜1200年は、エルサレムにテンプル騎士団が設立され、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代である。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し天叢雲剣が行方不明となった。源義経が頼朝に追放され、源頼家が誕生した。堀河天皇の騎射会から始まり、日本の武家政権が確立された100年間の出来事を網羅する。

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源頼家に関する電子書籍 御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
年月日 出来事
1,181 1 15 平清盛の命を受けた平重衡率いる平氏が、以下の寺院等を焼き討ちにする。
①東大寺(現在の奈良県奈良市雑司町)
②興福寺(現在の奈良県奈良市登大路町)
興福寺は全焼し、東大寺も、二月堂・法華堂・転害門以外は大半が焼け落ちた。後白河上皇は直ちに、大仏殿や伽藍が焼かれた東大寺の復興の意思を示した。
1,181 4 15 日御座の御剣の装具が犬に噛まれ、緒が噛み切られる。日御座の御剣の太刀緒は鹿革の為、犬は其の臭いに惹かれた。
1,181 5 23 重源が、藤原行隆の下を訪ね、東大寺の焼跡を見て回る。其の惨状を見た重源は、悲嘆に暮れ涙した。そして、復興への勧進を決意した。
1,181 9 後白河上皇が、東大寺大勧進職に重源を任命する宣旨を下す。重源を中心に、南宋出身の工人の陳和卿等が、大仏の鋳造を始めとする復興に当たった。
1,181 11 14 重源が、後白河上皇の勅許を得て、東大寺再建の為、京都中を勧進して回り始める。先ず後白河上皇・皇嘉門院別当、其の後は女院等から銅・銭・黄金等の奉加を受けた。
和田合戦に関する電子書籍 北条義時の挑発にまんまと乗ってしまった和田義盛。