西暦1181年は、南都が焼き払われ、其の灰の中から東大寺再建の事業が立ち上がった年である。1月15日、平清盛の命を受けた平重衡率いる平氏が東大寺と興福寺を焼き討ちにし、興福寺は全焼、東大寺も二月堂・法華堂・転害門以外の大半が焼け落ちた。焼跡を見て勧進を決意した重源は、9月頃に後白河上皇から東大寺大勧進職に任じられ、11月14日には勅許を得て京都中を勧進して回り始めている。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,181 1 15 平清盛の命を受けた平重衡率いる平氏が、以下の寺院等を焼き討ちにする。
①東大寺(現在の奈良県奈良市雑司町)
②興福寺(現在の奈良県奈良市登大路町)
興福寺は全焼し、東大寺も、二月堂・法華堂・転害門以外は大半が焼け落ちた。後白河上皇は直ちに、大仏殿や伽藍が焼かれた東大寺の復興の意思を示した。
1,181 4 15 日御座の御剣の装具が犬に噛まれ、緒が噛み切られる。日御座の御剣の太刀緒は鹿革の為、犬は其の臭いに惹かれた。
1,181 5 23 重源が、藤原行隆の下を訪ね、東大寺の焼跡を見て回る。其の惨状を見た重源は、悲嘆に暮れ涙した。そして、復興への勧進を決意した。
≈ 1,181 9 後白河上皇が、東大寺大勧進職に重源を任命する宣旨を下す。重源を中心に、南宋出身の工人の陳和卿等が、大仏の鋳造を始めとする復興に当たった。
1,181 11 14 重源が、後白河上皇の勅許を得て、東大寺再建の為、京都中を勧進して回り始める。先ず後白河上皇・皇嘉門院別当、其の後は女院等から銅・銭・黄金等の奉加を受けた。