西暦1101〜1200年は、エルサレムにテンプル騎士団が設立され、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代である。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し天叢雲剣が行方不明となった。源義経が頼朝に追放され、源頼家が誕生した。堀河天皇の騎射会から始まり、日本の武家政権が確立された100年間の出来事を網羅する。

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≈は「頃」を意味しています。

源頼家に関する電子書籍 御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
年月日 出来事
1,182 4 24 清涼殿の夜御殿に安置されていた日御座の御剣が盗まれる。安徳天皇は閑院に居て、宮中は留守が続いていた。
1,182 8 23 重源が陳和卿と共に、焼け落ちた東大寺大仏を前にして、再建計画を立てる。
1,182 9 11 北条政子が、源頼朝の参男源頼家を、比企能員の屋敷(現在の神奈川県鎌倉市大町の妙本寺)で出産する。
1,182 11 14 以下2名が、比企能員の屋敷から大倉御所に入る。
①北条政子
②源頼家
其の際、頼家の御輿を以下4名が担いだ。
①佐々木定綱
②佐々木経高
③佐々木盛綱
④佐々木高綱
弓矢は長沼宗政、刀は小山朝光が持った。乳母夫の比企能員は贈物をした。比企が乳母夫に選任されたのは、源頼朝が西暦1,160年に蛭ヶ小島(現在の静岡県伊豆の国市)に配流されてから、西暦1,180年に至るまで、頼朝に仕送りをしていた比企尼の恩に報いようとした際、甥の比企を猶子にして乳母夫に推挙した為である。
和田合戦に関する電子書籍 北条義時の挑発にまんまと乗ってしまった和田義盛。