西暦1,616年は、日本の対外的な窓口が九州の二港へ絞り込まれた年である。江戸幕府は、明船以外の入港地を平戸と長崎に限定した。之迄ヨーロッパ船は各地の港に寄港でき、西国の大名が独自に交易する余地も残されていたが、此の措置により外国船との接触は幕府の目の届く場所へ集められ、貿易の利益と情報が幕府の手中に収められる事となった。背景には、貿易の利を重んじた徳川家康が此の年に没し、大御所の抑えが外れた事が有る。第2代将軍徳川秀忠は禁教を優先し、宣教師の潜入を貿易船が運ぶという構造其のものを断つ方向へ舵を切った。明船が例外とされたのは、キリスト教の布教と結び付かない交易相手であった為である。以後、統制は段階的に強まり、西暦1,624年のスペイン船来航禁止、西暦1,639年のポルトガル船来航禁止、西暦1,641年のオランダ商館の平戸から出島への移転を経て、ヨーロッパへの窓口は長崎の出島一箇所に集約されてゆく。明船も西暦1,635年には長崎一港に限られる事となった。

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年月日 出来事
1,616 江戸幕府が明船以外の入港を平戸と長崎に限定する。
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