以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,193 | 1 | 4 | 慈円が第62代天台座主に就任する。 | |
| 1,193 | 1 | 24 | 源頼家が天然痘を発病する。 | |
| 1,193 | 2 | 17 |
文覚が、備前国を東大寺造営に給する事を鎌倉幕府に求める。重源は文覚に対し、東大寺大仏殿の屋根瓦の調達に難儀していた為、備前国を東大寺造営料国として賜りたい旨を訴えていた。重源は、周防国に出向いた際に必ず、瓦に適した土を有した備前国を何ヶ所か視察していた。以下の国は瓦の産地であったが、全て興福寺に押さえられていた。 ①大和国 ②山城国 ③河内国 |
|
| 1,193 | 3 | 29 | 定豪が、源頼朝から鶴岡八幡宮寺の供僧に補任される。御谷(現在の神奈川県鎌倉市雪ノ下)の二十五坊の内の1つである「永全坊」に住んだ。 | |
| ≈ | 1,193 | 4 |
源頼朝が、本月から2ヶ月程度の期間、以下2箇所で大規模な巻狩を実施する。 ①入間野(現在の埼玉県入間市・狭山市・川越市付近) ②那須野(現在の栃木県那須塩原市) 参加した主な御家人は以下の通り。 ①北条時政の弐男北条義時 ②足利義兼 ③山名義範 ④小山朝政 ⑤長沼宗政 ⑥結城朝光 ⑦里見義俊の息子里見義成 ⑧佐貫広綱 ⑨畠山重忠 ⑩三浦義澄 ⑪三浦義村 ⑫千葉胤正 ⑬佐原義連 ⑭下河辺行平 ⑮畠山重忠の従兄弟稲毛重成 ⑯和田義盛 ⑰稲毛の弟榛谷重朝 ⑱戸矢子有綱の四男阿曽沼広綱 ⑲工藤祐経 ⑳土屋義清 ㉑梶原景時 ㉒梶原景季 ㉓梶原景高 ㉔梶原景茂 ㉕梶原朝景 ㉖梶原朝景の息子梶原景定 ㉗糟屋有季 ㉘岡部三郎 ㉙源光長の参男土岐光衡 ㉚八田知家の四男宍戸家政 ㉛第7代相模波多野氏当主波多野義景 ㉜河村義秀 ㉝加藤景員の長男加藤光員 ㉞加藤景廉 ㉟愛甲季隆 ㊱海野幸氏 ㊲藤沢清親 ㊳望月重隆 ㊴小野寺道綱 ㊵市河行房 ㊶沼田太郎 ㊷工藤行光の父工藤景光 ㊸行光 ㊹根津宗直 ㊺中野助光 ㊻佐々木秀義の参男佐々木盛綱 ㊼佐々木秀義の五男佐々木義清 ㊽渋谷重国 ㊾加賀美遠光の弐男小笠原長清 ㊿第2代武田氏当主武田信光 |
|
| 1,193 | 5 | 11 | 文覚の下に、備前国を、西暦1,193年5月12日付で東大寺造営に寄進する旨の書かれた書簡が到着する。重源が鎌倉幕府に対し働き掛けていた。東大寺大仏殿造営期間に限り、重源が備前国司となった。瓦窯は万富(現在の岡山県岡山市東区瀬戸町)に築かれ、東大寺大仏殿等に使われる瓦を180,000枚焼いた。東大寺向けの瓦は、用水路・吉井川・瀬戸内海を経由して運ばれた。また、手向山八幡宮の前面にも、東・南・西に10基ずつの計30基の窯を築いた。東大寺大仏殿に使われる丸瓦には「東大寺大仏殿」と名が刻まれた。 | |
| ≈ | 1,193 | 6 | 朝廷が源頼朝に対し、東大寺造営の勧進を行う様宣旨を下す。 | |
| 1,193 | 6 | 2 | 北条時政が源頼朝の命により、巻狩の準備の為、駿河国藍沢(現在の静岡県御殿場市・裾野市)へ向けて出発する。北条は、駿河国の御家人を指揮し、狩野宗茂と共に屋形の設営等を行った。 | |
| 1,193 | 6 | 8 |
源頼朝一行が巻狩の為、駿河国藍沢へ向けて出発する。此の巻狩の参加者は以下の通り。 ①頼朝 ②源頼家 ③北条時政 ④北条義時 ⑤足利義兼 ⑥山名義範 ⑦小山朝政 ⑧長沼宗政 ⑨里見義成 ⑩佐貫広綱 ⑪畠山重忠 ⑫三浦義澄 ⑬三浦義村 ⑭佐原義連 ⑮千葉胤正の長男千葉成胤 ⑯稲毛重成 ⑰和田義盛 ⑱工藤祐経 ⑲工藤景光 ⑳工藤行光 ㉑土屋義清 ㉒梶原景時 ㉓梶原景季 ㉔梶原景高 ㉕梶原景茂 ㉖梶原朝景 ㉗梶原朝景の息子梶原景定 ㉘糟屋有季 ㉙土岐光衡 ㉚宍戸家政 ㉛波多野義景 ㉜愛甲季隆 ㉝海野幸氏 ㉞藤沢清親 ㉟望月重隆 ㊱小野寺道綱 ㊲市河行房 ㊳根津宗直 ㊴佐々木盛綱 ㊵佐々木義清 ㊶渋谷重国 ㊷小笠原長清 ㊸武田信光 ㊹狩野宗茂 ㊺大友能直 ㊻御所五郎丸 ㊼曾我祐成・祐成の弟曾我時致の養父曾我祐信 ㊽祐成 ㊾時致 ㊿平子有長 ❶第2代吉川氏当主吉川友兼 ❷仁田忠常 ❸毛呂季光 ❹加藤光員 ❺宇都宮頼綱 ❻結城朝光 ❼大森隆盛 ❽下河辺行平 ❾榛谷重朝 ❿土屋義清 ⓫岡部忠澄の孫岡部好澄 ⓬河村義秀 ⓭沼田高信 ⓮中野助光 ⓯岡部忠光 ⓰岡部清益 ⓱堀成景 ⓲臼杵維信 ⓳宇田國宗 ⓴大見小平次 Ⅰ土肥実平の弐男新開実重 Ⅱ工藤祐経の息子伊東祐時 |
|
| 1,193 | 6 | 10 | 東大寺に30本余りの大柱が到着する。その後重源は、上人に東大寺大仏後方の約18.18mの築山を除去させた。 | |
| 1,193 | 6 | 15 | 源頼朝が富士野の旅館に入る。 | |
| 1,193 | 6 | 16 | 源頼朝が富士野で巻狩を挙行する。此の日源頼家が初めて鹿を射止めた。此れを受け頼朝は、頼家の世話をしていた愛甲季隆を誉めた。 | |
| 1,193 | 6 | 16 |
夜、矢開きが行われる。北条義時が赤・黒・白の三色の餅を献上した。又、狩野宗茂は勢子餅を寄進し、海野幸氏が勢子餅の陪膳を担当した。武運を祈り、山神・矢口神に手向け、其の三色の餅を以下3名が食した。 ①一の口:工藤景光 ②二の口:愛甲季隆 ③三の口:曾我祐成・曾我時致の養父曾我祐成 更に、其の餅を他の郎党に分け与える矢口餅の陪膳は以下3名が担当した。 ①梶原景季 ②工藤祐経 ③海野 矢口餅を山神に供える儀式を終えた梶原・工藤・海野は、馬・直垂等を賜った。其の後、其の返礼品を源頼家に献上した。源頼朝は、頼家が初めて鹿を射止めた事を北条政子に知らせる為に梶原景高を派遣した。 |
|
| 1,193 | 6 | 22 | 北条政子が、梶原景高から源頼家が初めて鹿を射止めたという報告を受ける。 | |
| 1,193 | 6 | 28 |
夜、西暦1,176年11月頃に父河津祐泰を殺害した工藤祐経に仇討ちを行う為、以下2名が工藤の滞在する神野(現在の静岡県富士宮市上井出付近)の旅館に押し掛ける。2名は箱根権現で祈願してから襲撃に臨んだ。此の日は富士野の巻狩の最終日であった。 ①曾我祐成 ②祐成の弟曾我時致 宴席を催していたが、工藤は酔って手越宿(現在の静岡県静岡市)と黄瀬川宿(現在の静岡県沼津市大岡)の遊女と寝所で寝ていたが、祐成が工藤の肩を刺し「此れ程の大事の敵を持ちながら、汚くも寝入るものかな。起きよ」と工藤を起こした上で殺害した。続いて時致も工藤を斬った。宴席に同座し、工藤の近くで寝ていた大森隆盛も太刀の音を聞いて起き上がり、祐成・時致を諭すも、祐成は「沙汰に及ばず」と大森を殺害した。祐成と時致は、騒ぎを聞き駆け付けた以下10名と斬り合いとなった。 ①愛甲季隆 ②海野幸氏 ③平子有長 ④吉川友兼 ⑤加藤光員 ⑥岡部忠光 ⑦岡部清益 ⑧堀成景 ⑨臼杵維信 ⑩宇田國宗 此の10名は返り討ちに遭い宇田が死亡、他の者も負傷した。最終的に祐成は、現在の神奈川県小田原市曽我谷津付近で仁田忠常に討ち取られた。時致は頼朝も暗殺しようと宿所に入ったが、大友能直が此れを押し止め、女装していた御所五郎丸に捕縛され、大見小平次に身柄が引き渡された。其の後源頼朝の命により、以下2名が祐成の検死を行った。 ①和田義盛 ②梶原景時 |
|
| 1,193 | 6 | 29 | 曾我時致が、源頼朝の面前で工藤祐経殺害に至った経緯について述べる。源は曾我を助命しようとしたが、伊東祐時が泣いて訴えた為、曾我の身柄は工藤家に引き渡され、その後曾我は斬首・梟首された。 | |
| 1,193 | 6 | 29 | 源頼朝が、諸国の守護に対し東大寺供養料を勧進する様命じる。 | |
| ≈ | 1,193 | 6 | 29 | 北条政子の下に、源頼朝が討たれたという誤報が入る。北条はこれを真実と思い込み、狼狽し嘆いた。これを受けて源範頼は「兄の後には私が控えているので、心配御無用です」という主旨の発言を行った。後にこれを聞いた源頼朝は、範頼が謀反を企てているのではないかと疑った。 |
| 1,193 | 6 | 30 | 北条政子の下に飛脚が到着し、工藤祐経が仇討ちされた件について報告される。 | |
| 1,193 | 6 | 30 |
源頼朝が、以下2名が母に宛てた書簡を受け取る。これを読んだ源は感涙し、書簡の保存を命じた。 ①曾我祐成 ②曾我時致 |
|
| 1,193 | 7 | 1 | 曾我祐成の妾虎御前を始めとする多くの人間に対して、工藤祐経の仇討ちに対する聴取が行われる。虎御前は放免となった。 | |
| 1,193 | 7 | 7 | 源頼朝一行が、駿河国から鎌倉へ向けて出発する。源は曽我荘(現在の神奈川県小田原市)の年貢を免除する事を決定し、曾我祐成・曾我時致の菩提を弔う様命じた。 | |
| 1,193 | 7 | 31 | 河津祐泰が死亡した5日後に満功御前が産んだ男児で、曾我祐成・曾我時致の異母弟が甘縄(現在の神奈川県鎌倉市長谷)で自害する。 | |
| 1,193 | 8 | 30 | 源範頼が源頼朝への忠誠を誓う起請文を頼朝に送る。しかし、受け取った頼朝は、範頼が源姓を名乗ったことを過分として責め「源家の一族と思っているのだろうが、すこぶる思い上がりである」と怒った。範頼は狼狽した。 | |
| 1,193 | 9 | 7 | 源範頼の家人当麻太郎が、源頼朝の本心を確かめるべく、頼朝の寝室の床下に忍び込む。気配を感じた頼朝は、結城朝光等に当麻を捕らえさせた。 | |
| 1,193 | 9 | 8 | 朝、当麻太郎に対する尋問が行われる。当麻は「源範頼が起請文を提出した後、音沙汰が無かった為、源頼朝の本心を確かめようとし忍び込んだ。陰謀では無い」という主旨の弁明をした。当麻は陳謝したが、最終的に範頼は伊豆国へ、当麻は、大姫が病気であった為に処刑を免れ、薩摩国へ配流された。 | |
| 1,193 | 9 | 14 |
源範頼が、以下2名等に預けられ、信功院(現在の静岡県伊豆市修善寺)に幽閉される。 ①狩野宗茂 ②宇佐美祐茂 その日の内に源は、梶原景時の不意打ちに遭い、防戦の末自刃した。 |
|
| 1,193 | 9 | 15 |
源範頼の家人等が武器を手入れして浜の宿館に立て籠ったとして、以下3名等が征伐する。 ①結城朝光 ②梶原景時 ③仁田忠常 |
|
| 1,193 | 9 | 17 | 曾我祐成・曾我時致の異母兄弟で母が満功御前の京小次郎が、源範頼の連座として処刑される。 | |
| 1,193 | 10 | 3 | 佐々木経高が、京都御所の宿直を命じられる。 | |