西暦1101〜1200年は、エルサレムにテンプル騎士団が設立され、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代である。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し天叢雲剣が行方不明となった。源義経が頼朝に追放され、源頼家が誕生した。堀河天皇の騎射会から始まり、日本の武家政権が確立された100年間の出来事を網羅する。

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≈は「頃」を意味しています。

源頼家に関する電子書籍 御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
年月日 出来事
1,176 11 工藤祐経が、自身の家臣である弓の名手の以下2名に伊東祐親の暗殺を命じる。
①大見成家
②八幡行氏
大見と八幡は伊豆高原で待ち伏せした。先に伊東の嫡男河津祐泰が馬に乗って現れた。伊東の館で三日三晩の宴会を催した帰りであった。八幡が矢を放ち河津の腰を貫いた。河津は応戦しようとしたが、力尽きて落馬し死亡した。後からやって来た伊東に対し大見が矢を射たが、僅かに外れて伊東は無傷であった。河津の妻となっていた満功御前は、曾我祐成・曾我時致に父の仇を討つ様言った。祐成と時致は、曾我祐信の曽我氏館に預けられ、養育された。
1,176 11 河津祐泰が死亡した5日後、満功御前が男児を出産する。満功御前は、産まれた赤子を伊東祐清に預けた。
和田合戦に関する電子書籍 北条義時の挑発にまんまと乗ってしまった和田義盛。