西暦1176年は、伊豆の所領争いが流血に至り、曾我兄弟の仇討ちの発端が生まれた時期に当たる。11月頃、工藤祐経の命を受けた大見成家と八幡行氏が伊豆高原で伊東祐親を待ち伏せ、先に現れた嫡男河津祐泰が八幡の矢に腰を貫かれて落馬し死亡した。河津の妻となっていた満功御前は曾我祐成・曾我時致に父の仇を討つ様言い、5日後には男児を出産して伊東祐清に預けている。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
≈ 1,176 11 工藤祐経が、自身の家臣である弓の名手の以下2名に伊東祐親の暗殺を命じる。
①大見成家
②八幡行氏
大見と八幡は伊豆高原で待ち伏せした。先に伊東の嫡男河津祐泰が馬に乗って現れた。伊東の館で三日三晩の宴会を催した帰りであった。八幡が矢を放ち河津の腰を貫いた。河津は応戦しようとしたが、力尽きて落馬し死亡した。後からやって来た伊東に対し大見が矢を射たが、僅かに外れて伊東は無傷であった。河津の妻となっていた満功御前は、曾我祐成・曾我時致に父の仇を討つ様言った。祐成と時致は、曾我祐信の曽我氏館に預けられ、養育された。
≈ 1,176 11 河津祐泰が死亡した5日後、満功御前が男児を出産する。満功御前は、産まれた赤子を伊東祐清に預けた。