西暦1,194年は、東大寺再建が大仏の光背と諸像へ及び、翌年の落慶供養に向けて鎌倉と京都が動いた年である。源頼朝は三浦義明の菩提を弔う為に能蔵寺を建立している。朝廷では1月3日の除目にて藤原実教と藤原成経が参議を辞職し、2月頃には平業房の弐男山科教成が左少将を辞職した。何れも九条兼実が辞任に追い込んだもので、山科教成の母である高階栄子は九条兼実に憤慨した。3月7日、東大寺の造仏長官であった藤原行長が東大寺大仏殿の落慶供養の日時の相談の為に九条兼実の屋敷を訪れ、西暦1195年2月と決まったものの、鎌倉幕府の判断で同年4月23日と改められた。4月4日には後山を撤去した事で可能となった東大寺の大仏の光背が造られ始め、源頼朝は4月14日に砂金200両、5月31日に砂金130両を光背料として寄進している。7月17日、源頼朝は東大寺大仏殿の二菩薩と四天王の造像を御家人の負担とし、観音菩薩を宇都宮朝綱、虚空蔵菩薩を中原親能、増長天を畠山重忠、持国天を武田信光、毘沙門天を小笠原長清、広目天を梶原景時に割り当て、戒壇院の造営は小山朝政や千葉常胤等の負担とした。7月24日には後鳥羽天皇が、西暦1191年に帰国して冨春庵で日本初の禅規を行った明菴栄西と、大日房能忍等の禅宗の布教を禁じる宣旨を下している。背景には天台宗の延暦寺の僧徒や筑前国筥崎の僧良弁の訴えが有り、斯うして浄土宗や臨済宗が弾圧された。之に対し明菴栄西は、最澄は達磨の禅を紹介しており、禅宗が非なるものなら最澄も天台宗も否定される筈だと抗弁し、延暦寺の弾圧から逃れる為に博多へと向かった。此の年から翌年に掛けて明菴栄西は聖福寺の創建と興禅護国論の執筆に向かう事となる。8月17日夜には大姫が危篤状態となり、8月25日、手を尽くしても快方に向かわない為に源頼朝は佐々木経高を随行させて日向薬師を参詣している。9月16日には一条高能を伴い、山荘を建てる為に三崎の津へ出掛けた。

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年月日 出来事
1,194 源頼朝が、三浦義明の菩提を弔う為に能蔵寺を建立する。
1,194 1 3 除目にて以下2名が参議を辞職する。九条兼実が辞任に追い込んだ。
①藤原家成の六男藤原実教
②藤原成親の嫡男藤原成経
1,194 2 平業房の弐男山科教成が左少将を辞職する。九条兼実が辞任に追い込んだ。山科の母である高階栄子は九条に憤慨した。
1,194 3 7 東大寺の造仏長官であった藤原行長が、東大寺大仏殿の落慶供養の日時の相談の為、九条兼実の屋敷を訪れる。結果、西暦1,195年2月と決まったが、鎌倉幕府の判断で西暦1,195年4月23日と決まった。
1,194 4 4 東大寺の大仏の光背が造られ始める。後山を撤去した事で可能となった。
1,194 4 14 源頼朝が、東大寺の大仏の光背料として砂金200両を寄進する。
1,194 5 31 源頼朝が、東大寺の大仏の光背料として砂金130両を寄進する。
1,194 7 17 源頼朝が、東大寺大仏殿の二菩薩と四天王の造像を、以下の御家人の負担とさせる。
①観音菩薩:宇都宮朝綱
②虚空蔵菩薩:中原親能
③増長天:畠山重忠
④持国天:武田信光
⑤毘沙門天:小笠原長清
⑥広目天:梶原景時
更に此の日源は、戒壇院の造営に関し、以下2名等の負担とした。
①小山朝政
②千葉常胤
1,194 7 24 後鳥羽天皇が、以下2名等の禅宗の布教を禁じる宣旨を下す。
①明菴栄西
②大日房能忍
天台宗の延暦寺の僧徒や筑前国筥崎(現在の福岡県福岡市東区箱崎)の僧良弁の訴えが背景として有った。斯うして浄土宗や臨済宗が弾圧された。此れに対し明菴栄西は、最澄は達磨の禅を紹介している。禅宗が非なるものなら最澄も天台宗も否定される筈だ」と抗弁した。明菴栄西は、延暦寺の弾圧から逃れる為、博多へと向かった。
1,194 8 17 夜、大姫が危篤状態となる。
1,194 8 25 大姫の体調が手を尽くしても快方に向かわない為、源頼朝が日向薬師(現在の神奈川県伊勢原市日向)を参詣する。佐々木経高も随行した。
1,194 9 16 源頼朝が一条高能を伴い、山荘を建てる為、三崎の津へ出掛ける。
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