西暦1101〜1200年は、エルサレムにテンプル騎士団が設立され、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代である。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し天叢雲剣が行方不明となった。源義経が頼朝に追放され、源頼家が誕生した。堀河天皇の騎射会から始まり、日本の武家政権が確立された100年間の出来事を網羅する。

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源頼家に関する電子書籍 御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
年月日 出来事
1,194 源頼朝が、三浦義明の菩提を弔う為に能蔵寺を建立する。
1,194 1 3 除目にて以下2名が参議を辞職する。九条兼実が辞任に追い込んだ。
①藤原家成の六男藤原実教
②藤原成親の嫡男藤原成経
1,194 2 平業房の弐男山科教成が左少将を辞職する。九条兼実が辞任に追い込んだ。山科の母である高階栄子は九条に憤慨した。
1,194 3 7 東大寺の造仏長官であった藤原行長が、東大寺大仏殿の落慶供養の日時の相談の為、九条兼実の屋敷を訪れる。結果、西暦1,195年2月と決まったが、鎌倉幕府の判断で西暦1,195年4月23日と決まった。
1,194 4 4 東大寺の大仏の光背が造られ始める。後山を撤去した事で可能となった。
1,194 4 14 源頼朝が、東大寺の大仏の光背料として砂金200両を寄進する。
1,194 5 31 源頼朝が、東大寺の大仏の光背料として砂金130両を寄進する。
1,194 7 17 源頼朝が、東大寺大仏殿の二菩薩と四天王の造像を、以下の御家人の負担とさせる。
①観音菩薩:宇都宮朝綱
②虚空蔵菩薩:中原親能
③増長天:畠山重忠
④持国天:武田信光
⑤毘沙門天:小笠原長清
⑥広目天:梶原景時
更に此の日源は、戒壇院の造営に関し、以下2名等の負担とした。
①小山朝政
②千葉常胤
1,194 7 24 後鳥羽天皇が、以下2名等の禅宗の布教を禁じる宣旨を下す。
①明菴栄西
②大日房能忍
天台宗の延暦寺の僧徒や筑前国筥崎(現在の福岡県福岡市東区箱崎)の僧良弁の訴えが背景として有った。斯うして浄土宗や臨済宗が弾圧された。此れに対し明菴栄西は、最澄は達磨の禅を紹介している。禅宗が非なるものなら最澄も天台宗も否定される筈だ」と抗弁した。明菴栄西は、延暦寺の弾圧から逃れる為、博多へと向かった。
1,194 8 17 夜、大姫が危篤状態となる。
1,194 8 25 大姫の体調が手を尽くしても快方に向かわない為、源頼朝が日向薬師(現在の神奈川県伊勢原市日向)を参詣する。佐々木経高も随行した。
1,194 9 16 源頼朝が一条高能を伴い、山荘を建てる為、三崎の津へ出掛ける。
和田合戦に関する電子書籍 北条義時の挑発にまんまと乗ってしまった和田義盛。