西暦1101〜1200年は、エルサレムにテンプル騎士団が設立され、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代である。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し天叢雲剣が行方不明となった。源義経が頼朝に追放され、源頼家が誕生した。堀河天皇の騎射会から始まり、日本の武家政権が確立された100年間の出来事を網羅する。

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源頼家に関する電子書籍 御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
年月日 出来事
1,191 1 1 源頼朝が以下の官職を辞任する。
①権大納言
②右近衛大将
1,191 1 8 御家人10名が以下の官職に任じられる。
①兵衛府
②衛門府
源頼朝は、後白河上皇から20名を推薦する様言われていたが辞退していた。しかし、何度も勅命が発せられた為、止むを得ず10名を推挙した。
1,191 1 9 鎌倉幕府が、伊賀国の以下の荘園の杣山での東大寺大仏殿向けの材木の切り出しに際し、現地の地頭を罷免し、陳和卿の所領とする。
①山田有丸荘(現在の三重県伊賀市)
②広瀬荘(現在の三重県伊賀市)
③阿波荘(現在の三重県伊賀市)
1,191 1 11 源頼朝一行が、鎌倉へ向けて京都を出発する。この京都滞在期間中、後白河上皇との会談は8回を数えた。
1,191 1 26 源頼朝一行が鎌倉に帰着する。
1,191 3 18 後白河上皇が女御の平滋子と共に過ごした法住寺殿(現在の京都府京都市東山区三十三間堂廻り町)の再建工事が着工される。
1,191 4 17 後白河上皇が、全17条から成る公家新制を宣下する。主に以下の内容で、統治権に纏わる内容が中心であった。
①新立荘園の停止
②神人僧侶の濫行停止
③寺社領の注進
④国司吏務の励行
1,191 4 23 後白河上皇が、全36条から成る公家新制を宣下する。主に以下の内容で、廷臣に纏わる内容が中心であった。
①仏神事の興行
②過差の停止
③朝廷公事の精勤
④京都の治安警衛
1,191 4 25 大江広元が検非違使に補任され、以下の官職に任じられる。
①明法博士
②左衛門大尉
1,191 4 29 九条兼実が、大姫が本年11月に入内するのではないかという噂を耳にする。
1,191 7 19 後白河上皇が覲子内親王に院号宣下を行い、院領の長講堂(現在の京都府京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町)領を覲子内親王に譲る。源通親は女院庁別当となり、覲子内親王の後見人となった。通親は院司に以下2名を登用した。
①通親の長男源通宗
②通親の弐男堀川通具
1,191 8 明菴栄西が、虚庵懐敞から臨済宗黄龍派の法を継ぎ、日本に帰国する。其の後明菴栄西は、鎮西にて布教活動を行った。
1,191 8 29 戸部侍郎清貫に招かれた明菴栄西が、冨春庵(現在の長崎県平戸市木引町)にて日本初の禅規を行う。多くの帰依者を集めた。
和田合戦に関する電子書籍 北条義時の挑発にまんまと乗ってしまった和田義盛。