西暦1101〜1200年は、エルサレムにテンプル騎士団が設立され、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代である。壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し天叢雲剣が行方不明となった。源義経が頼朝に追放され、源頼家が誕生した。堀河天皇の騎射会から始まり、日本の武家政権が確立された100年間の出来事を網羅する。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。

源頼家に関する電子書籍 御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
年月日 出来事
1,190 1 大河兼任が、源義高と称して以下2名の息子と共に出羽国山北郡(現在の秋田県仙北郡)にて7,000騎で挙兵する。
①大河の嫡男鶴太郎
②大河の弐男於幾内次郎
そして、源義経と称して出羽国田川郡海辺荘(現在の山形県東田川郡庄内町余目沢田)に現れた後、以下を経由するルートで多賀城国府(現在の宮城県多賀城市市川)へと向かった。
①河北
②秋田城(現在の秋田県秋田市寺内大畑)
③笹谷峠(現在の宮城県柴田郡川崎町今宿仙人沢)
しかし、八郎潟(現在の秋田県男鹿市・潟上市・南秋田郡井川町・五城目町・大潟村)を渡っている最中に氷が割れ、5,000名余りの激死者を出した。大河は進路を変え、小鹿島(現在の秋田県男鹿市)・秋田・津軽方面へと向かい、敵を破って10,000騎まで兵力を拡大した。
1,190 1 10 九条兼実が源頼朝に対し、大内裏の修復した功績を讃える。
1,190 1 12 後白河上皇の第6皇女覲子内親王が、内親王宣下を受ける。この際源通親は、勅別当として覲子内親王の後見人となった。これを切っ掛けに源通親は、覲子内親王の母高階栄子との結び付きを強めていく事となる。
1,190 1 21 九条兼実が第31代太政大臣に就任する。これを祝う大饗にて、以下2名が自席が無い事を理由に退出した。
①源通親
②吉田経房
1,190 1 31 大河兼任征伐の為、以下3名が先発隊として陸奥国へ出陣する。
①由利維平
②工藤行光
③宮道国平
1,190 2 宇佐美実政が討ち取られる。
1,190 2 1 源頼朝が、後白河上皇の上洛の求めに応じる。
1,190 2 9 後鳥羽天皇の元服の儀が執り行われる。此の際九条兼実が加冠役を務めた。しかし、紛失していた天叢雲剣が見つからず、第16・18代関白を務めた近衛基通が豊後国の刀工紀新大夫行平に作らせ、近衛自身が拵えを付けて献上した日御座の御剣で代用し、三種の神器が揃わない儘での挙行となった。式次第は当日迄決まらず、八尺瓊勾玉が先、天叢雲剣が後となり、従来とは逆であった。
1,190 2 12 大河兼任率いる軍が、大社山毛々左田付近(現在の秋田県秋田市浜田潟端・新屋町付近)にて由利維平を討ち取る。
1,190 2 13 源頼朝が、以下2名から大河兼任征伐の戦況報告を聞き、軍勢の派遣を決定する。源は、相模国以西の御家人に出陣の命を下した。
①大河兼任の弟で御家人となっていた二藤次忠季
②新田入道
1,190 2 14 以下2名が、大河兼任征伐の為軍を率い奥州へ向けて出発する。
①千葉常胤(東海道軍)
②比企能員(東山道軍)
1,190 2 17 九条任子が入内する。
1,190 2 19 以下2名が、大河兼任征伐の為軍を率い奥州へ向けて出発する。
①足利義兼(追討使)
②千葉胤正(大将軍)
千葉は、葛西清重と共に奥州で合戦をしたいと願い出ていた。
1,190 2 22 九条任子が女御宣下される。
1,190 2 24 二所詣の為伊豆山に居た源頼朝が、葛西清重が遣わせた2名の使者の内1名から以下4点の報告を受ける。もう1名は病気の為到着が遅れていた。
①宇佐美実政の戦死
②大見家秀の戦死
③橘公業の戦死
④由利維平は大河兼任の攻撃を受け、城を放棄して逃亡
これを聞いた源は、由利は逃げる様な性格では無く、橘と由利が逆ではないかと推察した。
1,190 2 25 源頼朝が、葛西清重が遣わせた2名の使者の内、到着が遅れていた人間から以下2点の報告を受ける。
①由利維平の戦死
②橘公業は大河兼任の攻撃を受け、城を放棄して逃亡
源の前日の推察が正しかった事から、周囲の人間は感嘆した。
1,190 3 19 大河兼任率いる軍が、足利義兼軍と一迫(現在の宮城県栗原市)にて交戦する。大河の軍は大敗を喫し、敗走した。その後も大河は残った手勢500騎で衣川にて反撃するが及ばず、北上川を越え、有多宇末井の梯(現在の青森県青森市浅虫)周辺の山中に立て籠った。しかし、足利の急襲に遭い逃亡し、花山(現在の宮城県栗原市)等を転々とする事となった。
1,190 4 16 大河兼任が、自身の信奉する源義経縁の栗原寺(現在の宮城県栗原市栗駒栗原西沢)にて、錦の脛巾を着て金作りの太刀を帯びた姿を地元の樵に怪しまれ、数十人に囲まれ斧で斬殺される。首実検は千葉胤正が実施した。
1,190 4 21 源頼朝が、大河兼任に加担した多賀城国府の留守所を廃止し、伊沢家景を陸奥国留守職に任ずる。
1,190 5 18 坊門姫が難産の為死去する。
1,190 5 19 坊門姫が仁和寺付近に葬られる。
1,190 5 25 佐々木定綱の伝令が鎌倉に到着し、坊門姫の死去を伝える。
1,190 5 27 源頼朝が坊門姫の死去を受け、京都へお悔やみの使者を派遣する。
1,190 5 31 九条任子が中宮に冊立し、第82代皇后となる。
1,190 6 7 源頼朝が、勝長寿院にて坊門姫の追善供養を行う。
1,190 6 9 坊門姫の死去を受け、端午の節句では菖蒲は飾られなかった。
1,190 6 14 源頼朝が佐々木定綱に、坊門姫の四十九日法要を執り行う様命じる。
1,190 6 23 葵祭であったこの日、山田重忠が、坊門姫は存命を願い出家までしたが亡くなってしまい、西暦1,190年5月19日に仁和寺付近に葬られた事を鎌倉に報告する。
1,190 8 17 東大寺大仏殿の母屋柱2本の建設が開始される。
1,190 11 2 源頼朝一行が、京都へ向けて鎌倉を出発する。
1,190 11 18 東大寺大仏殿の上棟式が執り行われる。此の際後白河上皇が御幸した。
1,190 11 26 源頼朝一行が、熱田神宮(現在の愛知県名古屋市熱田区神宮)を参詣する。
1,190 12 5 源頼朝一行が1,000騎を率いて上洛する。この日一行は平家一門の邸宅があった六波羅に入った。
1,190 12 6 以下2名が翌日の参内について、段取りの打ち合わせを行う。
①源頼朝
②一条能保
1,190 12 7 16時、源頼朝が以下の行列で仙洞御所に入る。
①先頭
❶三浦義澄
❷小山朝政
❸小山田重義
②神輿
❶長沼宗政
❷佐々木盛綱
❸加藤景廉
③調度懸
④布衣侍
⑤随兵
❶千葉常胤の嫡男千葉胤正
❷梶原景季
❸下河辺行平
❹佐々木定綱
❺和田義盛
❻葛西清重
❼初代武田氏当主武田信義
源は後白河上皇に謁見し、1対1で長時間話し合う。源は征夷大将軍への就任を望んだが叶えられず、権大納言を任じられた。更に、次代右近衛大将への就任も決定された。源は院から仰せ事が有るから待つ様言われるが、次の予定が有るので後日来る事を告げ、退出した。その後源は後鳥羽天皇と接触し、夜、九条兼実と閑院内裏の鬼間で初めて対面した。源は「今は後白河上皇が政務を担い、後鳥羽天皇は皇太子と大差無い状態です。後白河上皇崩御後は後鳥羽天皇が政務を執るべきです。勿論現在も後鳥羽天皇を軽んじるつもりはございません。九条殿に対して、一見疎遠な様に見えても、内実はそうではありません。深謀遠慮し、院中の風評を恐れ、敢えて疎遠な様に見せています。天下は何れ立て直す事が出来るでしょう。後鳥羽天皇も九条殿もまだお若い。私に運があれば、政治は真っ当なものになるでしょう。今は後白河上皇にお任せするしかありませんので、万事は思う様には行きません」という主旨の発言を行った。23時、源は六波羅に戻った。
1,190 12 9 源頼朝が、以下の陣容で若宮八幡宮社(現在の京都府京都市東山区五条橋東)と石清水八幡宮(現在の京都府八幡市八幡高坊)に参詣する。
①先陣随兵
❶小山朝政
❷稲毛重成
❸安田義資
❹小笠原長清
❺土肥実平
❻梶原景季
❼村上頼時
❽武田有義
❾千葉胤正
❿葛西清重
②歩行
❶仁田忠常
❷糟屋有季
❸佐々木経高
❹佐々木盛綱
❺大井実春
❻小諸光兼
❼金子家忠
❽河匂政頼
❾本間義忠
❿猪俣範綱
③調度懸
❶武藤資頼
④後騎(浄衣)
❶源範頼
❷源広綱
❸大内惟義
❹山名義範
❺村上経業
❻北条義時
❼三浦義澄
❽宇都宮朝綱
❾八田知家
❿足立遠元
⓫比企能員
⓬千葉常胤
⑤後陣随兵
❶畠山重忠
❷小田知重
❸源頼隆
❹村山義直
❺結城朝光
❻相馬師常
❼佐々木定綱
❽加藤景廉
❾南部光行
❿佐原義連
⓫和田義盛
⓬梶原景時
1,190 12 11 源頼朝が後白河上皇に以下を献上する。
①砂金800両
②鷲羽2櫃
③御馬100疋
1,190 12 17 後白河上皇と源頼朝が会談を行う。
1,190 12 21 後白河上皇と源頼朝が会談を行う。
1,190 12 21 源頼朝の下に、右近衛大将叙任の院宣が届く。
1,190 12 22 後白河上皇が、藤原兼雅の右近衛大将職を罷免する。夜、藤原経房は、後白河上皇から奉じられた院宣を下し、源頼朝を第62代右近衛大将に任じ、除目が執り行われた。
1,190 12 29 源頼朝の右近衛大将拝賀の儀式が、後白河上皇が車と装束を調達し、前駆10名の内8名が北面武士から遣わされて執り行われる。
和田合戦に関する電子書籍 北条義時の挑発にまんまと乗ってしまった和田義盛。