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≈は「頃」を意味しています。
御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| ≈ | 1,190 | 1 |
大河兼任が、源義高と称して以下2名の息子と共に出羽国山北郡(現在の秋田県仙北郡)にて7,000騎で挙兵する。 ①大河の嫡男鶴太郎 ②大河の弐男於幾内次郎 そして、源義経と称して出羽国田川郡海辺荘(現在の山形県東田川郡庄内町余目沢田)に現れた後、以下を経由するルートで多賀城国府(現在の宮城県多賀城市市川)へと向かった。 ①河北 ②秋田城(現在の秋田県秋田市寺内大畑) ③笹谷峠(現在の宮城県柴田郡川崎町今宿仙人沢) しかし、八郎潟(現在の秋田県男鹿市・潟上市・南秋田郡井川町・五城目町・大潟村)を渡っている最中に氷が割れ、5,000名余りの激死者を出した。大河は進路を変え、小鹿島(現在の秋田県男鹿市)・秋田・津軽方面へと向かい、敵を破って10,000騎まで兵力を拡大した。 |
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| 1,190 | 1 | 10 | 九条兼実が源頼朝に対し、大内裏の修復した功績を讃える。 | |
| 1,190 | 1 | 12 | 後白河上皇の第6皇女覲子内親王が、内親王宣下を受ける。この際源通親は、勅別当として覲子内親王の後見人となった。これを切っ掛けに源通親は、覲子内親王の母高階栄子との結び付きを強めていく事となる。 | |
| 1,190 | 1 | 21 |
九条兼実が第31代太政大臣に就任する。これを祝う大饗にて、以下2名が自席が無い事を理由に退出した。 ①源通親 ②吉田経房 |
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| 1,190 | 1 | 31 |
大河兼任征伐の為、以下3名が先発隊として陸奥国へ出陣する。 ①由利維平 ②工藤行光 ③宮道国平 |
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| ≈ | 1,190 | 2 | 宇佐美実政が討ち取られる。 | |
| 1,190 | 2 | 1 | 源頼朝が、後白河上皇の上洛の求めに応じる。 | |
| 1,190 | 2 | 9 | 後鳥羽天皇の元服の儀が執り行われる。此の際九条兼実が加冠役を務めた。しかし、紛失していた天叢雲剣が見つからず、第16・18代関白を務めた近衛基通が豊後国の刀工紀新大夫行平に作らせ、近衛自身が拵えを付けて献上した日御座の御剣で代用し、三種の神器が揃わない儘での挙行となった。式次第は当日迄決まらず、八尺瓊勾玉が先、天叢雲剣が後となり、従来とは逆であった。 | |
| 1,190 | 2 | 12 | 大河兼任率いる軍が、大社山毛々左田付近(現在の秋田県秋田市浜田潟端・新屋町付近)にて由利維平を討ち取る。 | |
| 1,190 | 2 | 13 |
源頼朝が、以下2名から大河兼任征伐の戦況報告を聞き、軍勢の派遣を決定する。源は、相模国以西の御家人に出陣の命を下した。 ①大河兼任の弟で御家人となっていた二藤次忠季 ②新田入道 |
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| 1,190 | 2 | 14 |
以下2名が、大河兼任征伐の為軍を率い奥州へ向けて出発する。 ①千葉常胤(東海道軍) ②比企能員(東山道軍) |
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| 1,190 | 2 | 17 | 九条任子が入内する。 | |
| 1,190 | 2 | 19 |
以下2名が、大河兼任征伐の為軍を率い奥州へ向けて出発する。 ①足利義兼(追討使) ②千葉胤正(大将軍) 千葉は、葛西清重と共に奥州で合戦をしたいと願い出ていた。 |
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| 1,190 | 2 | 22 | 九条任子が女御宣下される。 | |
| 1,190 | 2 | 24 |
二所詣の為伊豆山に居た源頼朝が、葛西清重が遣わせた2名の使者の内1名から以下4点の報告を受ける。もう1名は病気の為到着が遅れていた。 ①宇佐美実政の戦死 ②大見家秀の戦死 ③橘公業の戦死 ④由利維平は大河兼任の攻撃を受け、城を放棄して逃亡 これを聞いた源は、由利は逃げる様な性格では無く、橘と由利が逆ではないかと推察した。 |
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| 1,190 | 2 | 25 |
源頼朝が、葛西清重が遣わせた2名の使者の内、到着が遅れていた人間から以下2点の報告を受ける。 ①由利維平の戦死 ②橘公業は大河兼任の攻撃を受け、城を放棄して逃亡 源の前日の推察が正しかった事から、周囲の人間は感嘆した。 |
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| 1,190 | 3 | 19 | 大河兼任率いる軍が、足利義兼軍と一迫(現在の宮城県栗原市)にて交戦する。大河の軍は大敗を喫し、敗走した。その後も大河は残った手勢500騎で衣川にて反撃するが及ばず、北上川を越え、有多宇末井の梯(現在の青森県青森市浅虫)周辺の山中に立て籠った。しかし、足利の急襲に遭い逃亡し、花山(現在の宮城県栗原市)等を転々とする事となった。 | |
| 1,190 | 4 | 16 | 大河兼任が、自身の信奉する源義経縁の栗原寺(現在の宮城県栗原市栗駒栗原西沢)にて、錦の脛巾を着て金作りの太刀を帯びた姿を地元の樵に怪しまれ、数十人に囲まれ斧で斬殺される。首実検は千葉胤正が実施した。 | |
| 1,190 | 4 | 21 | 源頼朝が、大河兼任に加担した多賀城国府の留守所を廃止し、伊沢家景を陸奥国留守職に任ずる。 | |
| 1,190 | 5 | 18 | 坊門姫が難産の為死去する。 | |
| 1,190 | 5 | 19 | 坊門姫が仁和寺付近に葬られる。 | |
| 1,190 | 5 | 25 | 佐々木定綱の伝令が鎌倉に到着し、坊門姫の死去を伝える。 | |
| 1,190 | 5 | 27 | 源頼朝が坊門姫の死去を受け、京都へお悔やみの使者を派遣する。 | |
| 1,190 | 5 | 31 | 九条任子が中宮に冊立し、第82代皇后となる。 | |
| 1,190 | 6 | 7 | 源頼朝が、勝長寿院にて坊門姫の追善供養を行う。 | |
| 1,190 | 6 | 9 | 坊門姫の死去を受け、端午の節句では菖蒲は飾られなかった。 | |
| 1,190 | 6 | 14 | 源頼朝が佐々木定綱に、坊門姫の四十九日法要を執り行う様命じる。 | |
| 1,190 | 6 | 23 | 葵祭であったこの日、山田重忠が、坊門姫は存命を願い出家までしたが亡くなってしまい、西暦1,190年5月19日に仁和寺付近に葬られた事を鎌倉に報告する。 | |
| 1,190 | 8 | 17 | 東大寺大仏殿の母屋柱2本の建設が開始される。 | |
| 1,190 | 11 | 2 | 源頼朝一行が、京都へ向けて鎌倉を出発する。 | |
| 1,190 | 11 | 18 | 東大寺大仏殿の上棟式が執り行われる。此の際後白河上皇が御幸した。 | |
| 1,190 | 11 | 26 | 源頼朝一行が、熱田神宮(現在の愛知県名古屋市熱田区神宮)を参詣する。 | |
| 1,190 | 12 | 5 | 源頼朝一行が1,000騎を率いて上洛する。この日一行は平家一門の邸宅があった六波羅に入った。 | |
| 1,190 | 12 | 6 |
以下2名が翌日の参内について、段取りの打ち合わせを行う。 ①源頼朝 ②一条能保 |
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| 1,190 | 12 | 7 |
16時、源頼朝が以下の行列で仙洞御所に入る。 ①先頭 ❶三浦義澄 ❷小山朝政 ❸小山田重義 ②神輿 ❶長沼宗政 ❷佐々木盛綱 ❸加藤景廉 ③調度懸 ④布衣侍 ⑤随兵 ❶千葉常胤の嫡男千葉胤正 ❷梶原景季 ❸下河辺行平 ❹佐々木定綱 ❺和田義盛 ❻葛西清重 ❼初代武田氏当主武田信義 源は後白河上皇に謁見し、1対1で長時間話し合う。源は征夷大将軍への就任を望んだが叶えられず、権大納言を任じられた。更に、次代右近衛大将への就任も決定された。源は院から仰せ事が有るから待つ様言われるが、次の予定が有るので後日来る事を告げ、退出した。その後源は後鳥羽天皇と接触し、夜、九条兼実と閑院内裏の鬼間で初めて対面した。源は「今は後白河上皇が政務を担い、後鳥羽天皇は皇太子と大差無い状態です。後白河上皇崩御後は後鳥羽天皇が政務を執るべきです。勿論現在も後鳥羽天皇を軽んじるつもりはございません。九条殿に対して、一見疎遠な様に見えても、内実はそうではありません。深謀遠慮し、院中の風評を恐れ、敢えて疎遠な様に見せています。天下は何れ立て直す事が出来るでしょう。後鳥羽天皇も九条殿もまだお若い。私に運があれば、政治は真っ当なものになるでしょう。今は後白河上皇にお任せするしかありませんので、万事は思う様には行きません」という主旨の発言を行った。23時、源は六波羅に戻った。 |
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| 1,190 | 12 | 9 |
源頼朝が、以下の陣容で若宮八幡宮社(現在の京都府京都市東山区五条橋東)と石清水八幡宮(現在の京都府八幡市八幡高坊)に参詣する。 ①先陣随兵 ❶小山朝政 ❷稲毛重成 ❸安田義資 ❹小笠原長清 ❺土肥実平 ❻梶原景季 ❼村上頼時 ❽武田有義 ❾千葉胤正 ❿葛西清重 ②歩行 ❶仁田忠常 ❷糟屋有季 ❸佐々木経高 ❹佐々木盛綱 ❺大井実春 ❻小諸光兼 ❼金子家忠 ❽河匂政頼 ❾本間義忠 ❿猪俣範綱 ③調度懸 ❶武藤資頼 ④後騎(浄衣) ❶源範頼 ❷源広綱 ❸大内惟義 ❹山名義範 ❺村上経業 ❻北条義時 ❼三浦義澄 ❽宇都宮朝綱 ❾八田知家 ❿足立遠元 ⓫比企能員 ⓬千葉常胤 ⑤後陣随兵 ❶畠山重忠 ❷小田知重 ❸源頼隆 ❹村山義直 ❺結城朝光 ❻相馬師常 ❼佐々木定綱 ❽加藤景廉 ❾南部光行 ❿佐原義連 ⓫和田義盛 ⓬梶原景時 |
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| 1,190 | 12 | 11 |
源頼朝が後白河上皇に以下を献上する。 ①砂金800両 ②鷲羽2櫃 ③御馬100疋 |
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| 1,190 | 12 | 17 | 後白河上皇と源頼朝が会談を行う。 | |
| 1,190 | 12 | 21 | 後白河上皇と源頼朝が会談を行う。 | |
| 1,190 | 12 | 21 | 源頼朝の下に、右近衛大将叙任の院宣が届く。 | |
| 1,190 | 12 | 22 | 後白河上皇が、藤原兼雅の右近衛大将職を罷免する。夜、藤原経房は、後白河上皇から奉じられた院宣を下し、源頼朝を第62代右近衛大将に任じ、除目が執り行われた。 | |
| 1,190 | 12 | 29 | 源頼朝の右近衛大将拝賀の儀式が、後白河上皇が車と装束を調達し、前駆10名の内8名が北面武士から遣わされて執り行われる。 | |