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≈は「頃」を意味しています。
御家人の側室を奪って逆ギレしたり、僧侶の袈裟を勝手に燃やしたり、台風の被災者を救済せずに蹴鞠に興じたりした駄目将軍。
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 1,195 | 源頼朝公を開基、明菴栄西を開山として、日本初の禅宗寺院である聖福寺(現在の福岡県福岡市博多区御供所町)が創建される。明菴栄西は「興禅護国論」を執筆し、天台宗等の旧仏教や朝廷からの疑問や論難に答え、旧仏教を否定するつもりが無い事を弁明し、禅宗を広める必要性を説いた。 | |||
| 1,195 | 2 | 7 | 永福寺(現在の神奈川県鎌倉市二階堂)北堂の薬師堂が完成し、落慶供養が執り行われる。供養の導師は、第87世東大寺(現在の奈良県奈良市雑司町)座主勝賢が務めた。源頼朝等が参列し、佐々木経高も随行した。 | |
| 1,195 | 2 | 7 |
東大寺中門の二天の造像が開始される。大仏師には以下2名が任じられ、小仏師27名と共に造像に当たった。 ①快慶 ②定覚 |
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| 1,195 | 3 | 27 |
10時、源頼朝が、東大寺大仏殿の落慶供養参列と大姫を後鳥羽天皇の皇后として入内させる工作を行う為、以下の人間等を伴い京都へ向けて出発する。 ①北条政子 ②源頼家 ③大姫 ④畠山重忠(行列の先頭) ⑤稲毛重成 ⑥小山朝政 ⑦和田義盛 ⑧三浦義澄 ⑨梶原景時 ⑩佐々木定綱 ⑪北条義時 ⑫下河辺行平 ⑬武田信光 ⑭比企能員 ⑮大江広元 ⑯八田知家 |
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| 1,195 | 4 | 15 | 源頼朝一行が、瀬田の唐橋(現在の滋賀県大津市唐橋町-瀬田間)を渡り、六波羅の屋敷に入る。 | |
| 1,195 | 4 | 20 | 源頼朝一行が石清水八幡宮を参拝する。 | |
| 1,195 | 4 | 21 | 源頼朝一行が東大寺東南院に入る。 | |
| 1,195 | 4 | 22 |
源頼朝が、東大寺に以下を献上する。 ①馬1,000疋 ②米約1,500,000kg ③黄金1,000両 ④上絹1,000疋 |
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| 1,195 | 4 | 23 |
東大寺大仏殿の落慶供養が盛大に執り行われ、以下の人間等が参列する。 ①後鳥羽天皇 ②九条兼実 ③源頼朝(大檀越) ④北条政子 ⑤佐々木経高 8時、後鳥羽天皇の行幸により、乱声と笛が響き渡った。後鳥羽天皇を乗せた神輿は西の回廊から壇上に登った。後鳥羽天皇は下御し、大床子に着座した。続いて公卿と文武百官が着座した。東南院の寝殿に居た源も駆け付けた。乱声と振鉾の後、供養が開始された。殿上人が名香を大仏の前に立て、大仏殿上には彩幡・華曼を掛け、上下二層の四隅には宝幢を吊るし、南の庇の西3ヶ所の中央柱の南に天井を付けた仮屋を設けて、天皇の御座所と大宋の屏風を張り巡らし、蔵人達の休憩所も合わせて設置された。大仏殿の内では仏前に香華を供え、7つの大花瓶に造花を刺し、中央柱の北に八脚の供花机を設けて證誠の座を設けた。仏前中央には長床を置いて唄師の座と定め、南東西第3間より西に広筵を敷いて公卿の座を設けた。正面の左右には2脚の礼盤と高座を置いて、講読師の華厳経講讃の座とした。大仏殿前の庭上には、天平落慶の如く舞楽台を大燈篭の南に組み上げた。其の様な状況下で、和舞と東舞が舞われた。其の後、以下等の京都・南都の供養僧1,324名(内東大寺の僧457名)が入場した。重源は此の中には加わらなかった。重源は此の日の供養に向けて、僧侶達への布施等の経費の準備を行なっていた。 ①導師 ②呪願師 ③引導 ④散華 奈良時代の東大寺大仏開眼会に於ける華厳経講説に倣い、僧達は「金字華厳経」の題名を称揚した。導師と呪願師が舞台の礼盤に着座し、礼仏した。九条以下官人が起座する中、願文・呪願文を奉った。続いて金鼓が有り、背に鳥の羽を付けた4名の童が舞った。再度金鼓が有り、唄が歌われた。12時過ぎから大雨となり、春雷も発生した。14時には地震も発生した。南大門脇の隅の座敷で式を見守っていた重源は「大雨の法会も悪くはない。式が引き締まる」とした。又、此の日の未明から以下2名を始めとする源の配下の御家人が平家残党の襲撃を警戒して、数万の兵を率いて警備に当たる姿に貴族達は圧倒された。 ①和田義盛 ②梶原景時 重源は「公家や寺家の時代は終わり、此れからは武家の時代になるのかのう」と独り言を言った。又、門内に入ろうとした見物の僧兵達が御家人と乱闘を起こした。梶原景時が其れを鎮めようとするが、其の態度が傲慢無礼だとして一触即発の事態となった。源は結城朝光を呼んで事態を収拾する様命じた。結城は僧兵達の前で跪き「前右大将家の使者である」と言った。続けて「此の東大寺は平清盛の為に炎上し、礎石ばかりを残して灰塵と化してしまいました。其れには僧兵達が最も悲嘆した事でしょう。源氏は偶々後援者となり、再建の始めから供養の今日に至るまで援助してきました。其ればかりか、仏道の修行を妨げる悪魔の障害を排除し、落慶法要の為に数百里の道程を越えて、此の大伽藍に詣でました。僧兵達は、此の事を何故喜ばないのでしょう。武士であっても、仏道への帰依を思い、大きな事業に携われた事に喜びを感じました。知恵の有る僧侶が何故秩序を乱し、自分達の寺の再興を妨げようとするのでしょう。其れは迚も不適当な考えですので、其の理由を承りましょう」という主旨の発言をすると、僧兵達は直ぐに自らの行為を恥じ、後悔し、数千の僧兵が一斉に静かになった。此の日無数の民衆が大仏殿に集まったが、前回の西暦752年5月26日の開眼供養で起きた混乱の反省から、九条は回廊の中には民衆を入れなかった。宵が迫る頃、四面の回廊に灯が灯され大仏を照らし、万灯会が催された。重源は合掌し「苦しかった勧進の日々、周防国の杣山での苦難を思い返し「大仏殿内に据える筈の脇侍二菩薩と四天王像は、間に合わなかった。回廊は仮設である。南大門・八幡宮社殿・七重塔・僧房は、まだ着工にも至っていない。多くの仏像も造らねばならない。まだまだ此れからだ。儂は生きるぞ」と気を引き締めた。 |
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| 1,195 | 4 | 24 |
源頼朝が、再建された東大寺大仏を初めて参拝する。其の後重源が、源の居る東南院の御所を訪ねると、源は「見事な大仏、そして稀有壮大な東大寺大仏殿。重源殿、良くぞやってくれた」と重源の手を両手で握った。重源は「いえ、此れも偏に源殿のお力添えの賜物、感謝致します」と返した。源は「此れだけのものを造った陳和卿なる者にも是非に会いたい」と、陳に面会を申し入れた。しかし陳は「平氏や源義経等多くの人々を殺した罪業の深い人間であるので会いたくない」とし、面会を断った。重源が源に其れを伝えると、源は怒る事無く、逆に以下の褒美を与えた。 ①奥州藤原氏征伐で着用した甲冑 ②鞍付きの馬3頭 ③金銀 しかし陳は「兜は鋳直して釘に使ってください。鞍は何かの役に立つでしょう」という主旨の発言をし、甲冑を造営の釘に加工し、鞍は東大寺の転害門で行われる祭典である「手掻会」の為に東大寺に納め、其れ以外の物は源に返した。貢物としてでは無く、大仏殿造営に対する礼として送られるのは南宋人としての誇りを傷付ける為である。南宋に渡った事の有る重源は、陳の考えを理解していた。其の後重源は「大和尚位」の称号の宣旨を受けた。 |
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| 1,195 | 4 | 27 | 東大寺中門の二天が完成する。 | |
| 1,195 | 5 | 10 |
源頼朝が高階栄子を六波羅に招き、以下2名と引き合わせる。 ①北条政子 ②大姫 砂金300両を始めとする大量の金品を贈り、莫大な荘園の安堵を行った。 |
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| 1,195 | 5 | 11 |
以下2名が会談する。 ①九条兼実 ②源頼朝 源は馬2頭を九条に贈った。 |
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| 1,195 | 5 | 21 |
以下2名が会談する。会談は長時間に及び深夜に終了した。 ①九条兼実 ②源頼朝 |
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| 1,195 | 5 | 26 |
源頼朝一行が石清水八幡宮を参詣する。源頼家も牛車に同乗した。此の日は晴れたが、16時から雨となった。 ①先払い ❶田村仲教 ❷大内惟義 ❸毛呂季光 ②前衛 ❶北条義時 ❷小山朝政 ❸三浦義村 ❹葛西清重 ❺大友能直 ❻仁田忠常 ❼後藤基清 ❽小田知重 ❾里見義成 ➓武田信光 ③後衛 ❶千葉胤正 ❷土屋義清 ❸稲毛重成 ❹梶原景季 ❺佐々木定綱 ❻土肥実平の息子土肥惟光 ❼足立遠元 ❽比企能員 ❾小山朝光 ➓南部光行 |
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| 1,195 | 5 | 28 | 源頼朝が、高階栄子を六波羅に招き、大姫を後鳥羽天皇の中宮としたい旨を伝える。 | |
| 1,195 | 6 | 4 |
源頼朝の申し入れにより、九条兼実が以下の一派の力を削ぐ為に停廃していた覲子内親王の所領である長講堂領7箇所の再興が決定される。 ①高階栄子 ②覲子内親王 ③源通親 源は、大姫を入内させる為にこの一派に恩を売った。 |
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| 1,195 | 6 | 29 |
6時、源頼朝が、以下の人間を伴いに京都を出発する。 ①先陣隋兵 ❶畠山重忠 ❷相馬師常 ❸源為国の息子村上基国 ❹新田義兼 ❺能勢高行の息子能勢高重 ❻平繁賢の息子平基繁 ❼武藤頼平 ❽小野成綱 ❾加藤景廉 ❿土肥惟平 ⓫武石胤盛の息子武石胤重 ⓬小野寺道綱 ⓭梶原朝景 ⓮糟屋有季 ⓯宇佐美祐茂 ⓰和田義盛の弟和田義長 ⓱狩野宗茂 ⓲佐々木経高 ⓳千葉常秀 ⓴土屋義清 Ⅰ後藤基清 Ⅱ葛西清重 Ⅲ佐原義連 Ⅳ比企能員 Ⅴ下河辺行平 Ⅵ榛谷重朝 ②御後(水干) ❶源頼兼 ❷藤原頼房 ❸大内惟義 ❹足利義兼 ❺山名義範 ❻中原親能 ❼小山朝政 ❽八田知家 ❾毛呂季光 ❿大江広元 ⓫大友能直 ⓬中原季時 ⓭三浦義澄 ⓮梶原景時 ③後陣隋兵 ❶北条義時 ❷結城朝光 ❸開瀬義盛 ❹奈胡義行 ❺里見義成 ❻浅利義遠 ❼武田有義 ❽南部光行 ❾武田信光 ❿村山義直 ⓫北条時房 ⓬小笠原長清 ⓭八田知重 ⓮梶原景季 ⓯阿曽沼親綱 ⓰和田宗実 ⓱佐々木盛綱 ⓲大井実春 ⓳長沼宗政 ⓴伊賀朝光 Ⅰ氏家公頼 Ⅱ伊東成親 Ⅲ稲毛重成 Ⅳ宇都宮信房 Ⅴ千葉胤正 Ⅵ足立遠元 ④最末 ❶和田義盛 洛中は牛車で、鳥羽(現在の京都府京都市伏見区)からは高階栄子から借りた船で進んだ。渡辺津(現在の大阪府大阪市北区天満、現在の大阪府大阪市中央区天満橋京町・北浜東)に到着した後は再び牛車に乗り、四天王寺へ向かった。北条政子の牛車が並び、女官の牛車が続いた。12時、四天王寺に到着した源は、寺門の外の念仏所に入り、本尊を参拝した。そして、灌頂堂で待っていた、後白河上皇の第五皇子で第50世四天王寺別当の定恵法親王に挨拶をした。その後源は、重宝を拝見して、宿所に入った。その後、銀製で蒔絵が施された御剣を聖霊院に奉納し、定恵法親王にも、銀製の鞍を置いて組み緒を掛けた、灰色に少し白い毛が混じった馬1頭を贈った。 |
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| 1,195 | 7 | 11 |
以下2名が参内し、後鳥羽天皇に謁見する。 ①源頼朝 ②源頼家 頼朝の後継者である頼家を貴族にお披露目した。 |
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| 1,195 | 8 | 1 | 源頼家が参内する。 | |
| 1,195 | 8 | 2 | 源頼朝一行が京都を出発する。 | |
| 1,195 | 8 | 7 | 源頼朝一行が熱田神宮を参詣する。馬や剣を奉納した。熱田神宮大宮司は藤原範経であった。またこの日稲毛重成が武蔵国へ駆け付けた。 | |
| 1,195 | 8 | 14 | 源頼朝一行が鎌倉に帰着する。源は、直様善光寺(現在の長野県長野市長野元善町)への参詣を計画したが、翌春に延期された。 | |
| 1,195 | 9 | 7 | 源頼朝が、善光寺(現在の長野県長野市長野元善町)への参詣を計画する。しかし翌春に延期された。 | |
| 1,195 | 9 | 18 | 九条任子が、後鳥羽天皇の第1皇女昇子内親王を出産する。九条兼実は男児が産まれる様祈祷を繰り返し実施していたが、実らなかった。 | |
| 1,195 | 9 | 24 | 源頼朝の歯痛が再発する。 | |
| 1,195 | 10 | 1 | 源頼朝の歯痛が快方に向かった為、舟を出して三崎(現在の神奈川県三浦市)まで遊覧する。佐々木経高も随行した。 | |