西暦657年は、イスラム共同体の分裂を決定付ける対立が武力衝突として表面化した年である。5月にアリー・イブン・アビー・ターリブが90,000名の兵を率いてクーファを出発し、6月26日にはスィッフィーンでムアーウィヤ1世との交戦が始まった。7月30日、ムアーウィヤ1世がクルアーンに裁定を委ねる事を提案し、アリーが此れを呑んで戦闘は中止された。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / 韓国の旧暦 / 日本の旧暦 / ヒジュラ暦 / フランス革命暦 / ソビエト連邦暦

≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
657 5 アリー・イブン・アビー・ターリブが、イラクとヒジャーズ地方(サウジアラビア西部、紅海沿岸)から招集した90,000名の兵を率い、クーファを出発する。
657 6 26 ムアーウィヤ1世とアリー・イブン・アビー・ターリブの交戦がスィッフィーン(現在のシリア)で始まる。
657 7 30 ムアーウィヤ1世がイスラム教の聖典「クルアーン」に裁定を委ねる事を提案し、アリー・イブン・アビー・ターリブがこれを呑み、戦闘が中止される。