西暦1806年は、ナポレオン・ボナパルトの席巻の中で、ロスチャイルド家が其の財の礎を築いた年である。6月頃、ヘッセンへ侵攻するナポレオン軍を前にヴィルヘルム9世はデンマークへ逃亡し、財産3,000,000ドルを安全に保管する様メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに命じた。此の財の多くは、西暦1776年1月15日にジョージ3世と結んだ傭兵条約に代表される、アメリカ独立戦争鎮圧の為の傭兵貸与で得られ、西暦1785年10月31日に父フリードリヒ2世から40,000,000ドルの遺産と共に受け継いだものである。託された商人は、西暦1764年に赤い盾の看板を掲げて古銭商を興し、西暦1769年にハーナウ宮殿の御用商人となり、西暦1789年に二人の息子を方伯家の金融機関へ送り、西暦1801年には資金運用そのものを託されていた。メイヤーは此れを、西暦1798年に20,000ポンドを携えて渡英し西暦1804年に「イギリス・ロスチャイルド商会」を創設したロンドンのネイサン・メイヤー・ロスチャイルドへ送って管理を任せ、ネイサンはヨーロッパ中からヴィルヘルム9世の債権を回収し、得た資金を許可を得て投資事業に転用して莫大な利益を得た上、秘密裏にライン同盟にも取り入って敵味方双方から利益を得ていた。7月12日、ナポレオン・ボナパルトやカール・ビュデルス等はバイエルン王国・ヴュルテンベルク・レーゲンスブルク侯国・バーデン選帝侯領を含む16のドイツ諸国を神聖ローマ帝国から離脱させ、フランス帝国と同盟させて「ライン同盟」を成立させた。首座大司教侯に就いたカール・テオドール・フォン・ダールベルクはネイサンと親交が有り、同盟の内側にも縁が通じていた事になる。10月14日にはナポレオン率いる軍とプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世率いる軍が現在のテューリンゲン州で交戦してフランス帝国が勝ち、11月1日、フランス軍はカッセルへ侵攻した。ヴィルヘルム9世はホルシュタイン地方へ逃れてイツェホーのプリンゼスホフに居住し最終的にプラハへ移ったが、収用の責任者である将軍ラグランジュとの密約により、カール・ビュデルスは金融資産47,000,000ギルダーの内27,000,000ギルダーを守り抜く事に成功して財政顧問となり、貴族の称号「フォン・カールスハウゼン」を授与された。ビュデルスは西暦1776年にヴィルヘルム9世の側室の子の家庭教師からハーナウ宮殿の財務官に任じられ、西暦1792年にカッセルへ移り、西暦1795年に陸軍枢密顧問官、西暦1802年に陸軍給仕長と昇進を重ねてきた人物であり、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに傭兵代金を割り引く業務を回した当人でもあった。翌年以降、ビュデルスとロスチャイルド家の関係も有り、ヴィルヘルム9世は大規模な金融取引を全てロスチャイルド家を通して行っている。11月21日、ナポレオンはベルリンにて大陸諸国に対英貿易の禁止・イギリス人の逮捕と財産没収・イギリス本国と植民地産商品の没収を命じる「大陸封鎖令」を発した。此れによりコーヒー・砂糖・煙草・綿製品等の価格が大陸で高騰し、イギリスでは市場の喪失で暴落したが、ネイサンは安く買った品を大陸へ密輸し、西暦1773年6月12日生まれのアムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドを始めとする兄弟達が確立した通商ルートと情報網で売り捌いて莫大な利益を得た。西暦1796年に家長と実の息子のみを経営に参画させると定めた規則が、此処で力を発揮している。海峡を跨いだ此の情報網は、西暦1804年にネイサンがドーバーとカレーへエージェントを置き至急便で手紙を運ばせて築いたものであり、西暦1787年に財政難のタシス家へ貸し付けて神聖ローマ帝国の外交通信をヴィルヘルム9世の手中に収めさせた同じ商人の家が、自前で敷き直した網であった。此の網が西暦1815年のワーテルローの報せを最も早く掴む素地となる。私生活では10月22日、ネイサンがモーゼズ・モンテフィオーレの義妹でありロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエンの娘ハナ・ベアレント・コーエンと結婚した。レヴィ・ベアレント・コーエンは、西暦1798年にネイサンの渡英資金16,000ポンドを父メイヤーから預かって送った当人であり、八年越しに縁が結ばれた事になる。ハナはカール・マルクスの祖母ナネッテ・コーエンと従姉妹関係に在り、此の婚姻によりロスチャイルドはイギリスの織物やインドの産物を大陸へ密輸するコーエン家の事業を引き継いだ。ハナは3,248.14.06ポンドを持参し、11月30日頃にはマンチェスターへ向かって通信・注文処理・小切手への署名等に従事し、戦略の提案や政治経済の報告を書簡で行う一方、ベッドから出る時はスリッパを履く様にとネイサンの身を案じてもいた。大西洋の向こうでは、デイヴィッド・パリッシュがベアリング商会とアムステルダムのホープ商会の代理人としてアメリカへ渡り、フィラデルフィアに居を構えた。両商会は西暦1803年のルイジアナ買収の資金を捌いた金融の担い手であり、パリッシュ自身も後に西暦1813年の戦時公債の引き受けへ関わってゆく。広東ではジョン・パーキンス・クッシングが「パーキンス商会」を設立した。此の地の交易は、やがて西暦1840年の阿片を巡る衝突へ流れ込む。日本では3月15日に江戸幕府が薪水給与令を発し、食料・薪水・燃料等が欠乏して帰国出来ない場合は其れ等を給与する様定めた。西暦1791年9月29日に定められた、拒めば打ち払い応じれば抑留するという外国船取扱の手順から、西暦1792年10月20日のアダム・ラクスマンの根室来航を経ての、宥和への転回である。此の宥和の姿勢は西暦1825年の異国船打払令で一度覆される事となる。又、間宮林蔵が択捉島を測量した。西暦1799年に東蝦夷地が天領とされた際に巡視の一行へ加わり、西暦1802年の蝦夷地奉行設置を経て、西暦1808年の樺太探査へ続く北方測量の始まりであった。

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年月日 出来事
1,806 ジョン・パーキンス・クッシングが、広東に「パーキンス商会」を設立する。
1,806 間宮林蔵が択捉島を測量。
1,806 デイヴィッド・パリッシュが、以下の代理人としてアメリカに渡る。
①ベアリング商会
②アムステルダムのホープ商会
パリッシュは、フィラデルフィアに居を構えた。
1,806 3 15 江戸幕府が薪水給与令を発し、食料・薪水・燃料等が欠乏して帰国出来ない場合はそれらを給与する様定める。
1,806 6 ナポレオン・ボナパルト率いる軍のヘッセン侵攻に伴い、ヴィルヘルム9世がデンマークに逃亡する。其の際ヴィルヘルム9世は、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに財産3,000,000ドルを安全に保管する様命じた。其処でメイヤーは此のヴィルヘルム9世の財産をロンドンにいるネイサン・メイヤー・ロスチャイルドに送り、財産管理を任せた。ネイサンはヨーロッパ中からヴィルヘルム9世の債権を回収し、得た資金をヴィルヘルム9世の許可を得て投資事業に転用し、莫大な利益を得る。又、秘密裏にボナパルトが成立させたライン同盟にも取り入り、敵味方双方から利益を得ていた。
1,806 7 12 ナポレオン・ボナパルトやカール・ビュデルス等が、神聖ローマ帝国内の以下の16のドイツ諸国を帝国から離脱させ、フランス帝国と同盟させて「ライン同盟」を成立させる。
①バイエルン王国
②ヴュルテンベルク
③レーゲンスブルク侯国
④バーデン選帝侯領
首座大司教侯にはレーゲンスブルク侯国大司教カール・テオドール・フォン・ダールベルクが就いた。ダールベルクはネイサン・メイヤー・ロスチャイルドと親交が有った。
1,806 10 14 ナポレオン・ボナパルト率いる軍とプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世率いるプロイセン王国軍が、現在のドイツのテューリンゲン州で交戦し、フランス帝国が勝利する。
1,806 10 22 ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが、モーゼズ・モンテフィオーレの義妹且つロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエンの娘で、カール・マルクスの祖母ナネッテ・コーエンと従姉妹関係にあるハナ・ベアレント・コーエンと結婚する。此れによってロスチャイルドは、イギリスの織物やインドの産物等をヨーロッパ大陸へ密輸するコーエン家の事業を引き継ぐ事となる。ハナは嫁入りの際、レヴィから与えられた3,248.14.06ポンドを生活扶助料受領権を得る目的で持参した。
1,806 11 1 ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、カッセルに侵攻する。その後ヴィルヘルム9世は、以下の順ホルシュタイン地方に逃亡し、イツェホーのプリンゼスホフ(現在のドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州)に居住し、最終的にプラハに移った。カール・ビュデルスは、収用の責任者である将軍ラグランジュとの密約によってヴィルヘルム9世の金融資産47,000,000ギルダーの内27,000,000ギルダーを守り抜く事に成功した。これによりビュデルスは財政顧問となり、貴族の称号である「フォン・カールスハウゼン」を授与された。また、翌年以降ビュデルスとロスチャイルド家の関係もあり、ヴィルヘルム9世は、大規模な金融取引は全てロスチャイルド家を通して行った。
1,806 11 21 ナポレオン・ボナパルトがベルリン(現在のドイツ)で、大陸諸国に対して、対英貿易の禁止、イギリス人の逮捕と財産没収、イギリス本国・植民地産商品の没収を命じる「大陸封鎖令」を発した。此れにより、以下の品目等の大陸諸国がイギリスやその植民地からの輸入に頼っている商品の価格が高騰した。
①コーヒー
②砂糖
③煙草
④綿製品
一方イギリスでも、其れ等の商品の価格が市場の喪失で暴落した。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは此れを利用し、イギリスで安く買って大陸へ密輸し、アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドを始めとする、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドや兄弟達が大陸内で確立しているロスチャイルド家の通商ルートや情報網を使って各地で売り捌き、莫大な利益を得た。
≈ 1,806 11 30 ハナ・ベアレント・コーエンが、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの家に移住する為、マンチェスターへと向かう。ロスチャイルドは、商人・繊維製造業者・ロスチャイルド自身のスタッフで構成されるコミュニティで地位を確立していた。コーエンは、ロスチャイルド達の業務を手伝う様になり、通信・注文処理・小切手への署名等に従事した。コーエンはロスチャイルドに対し、戦略の提案や政治的・経済的発展に関する報告を書簡で行っていたが「ベッドから出る時はスリッパを履く様にお願いしなければなりません。季節は変わり易いので、風邪を引かない様気を付けて下さい」等とロスチャイルドを気遣う記載も行っていた。
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