西暦1815年は、ナポレオン戦争の終結とロスチャイルド家の飛躍が交差した年である。2月、ナポレオン・ボナパルトが流刑地エルバ島を脱出し、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは戦争の長期化を見越して大量の金塊を購入した。3月にはナポレオンがカンヌ近郊に上陸して百日天下が始まり、6月18日、ワーテルローの戦いでフランス軍はアーサー・ウェルズリー率いる連合軍に敗れた。ネイサンは急使ロスワースを快速艇「ロスチャイルド号」で先行させて勝報をいち早く掴み、敗戦と見せかけてコンソル公債を暴落させた後に密かに買い占め、イギリス政府最大の債権者となってイングランド銀行を実質的な支配下に置いた。同年6月のウィーン議定書ではスイスが永世中立国として承認され、4月にはインドネシアのタンボラ山が噴火、11月のパリ条約でフランスには領土縮小と巨額の賠償金が課された。

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年月日 出来事
1,815 2 24 アメリカ議会が、25,000,000ドルの5.4%利付きのアメリカ財務省証券の発行を承認する。西暦1,814年12月26日承認のアメリカ財務省証券が全額消化されなかった事から、アメリカ下院歳入委員長ジョン・W・エップスは、100ドル未満の小額面で、無記名式・譲渡自由・公的支払に使用可能な流通紙幣を主張した事が背景として有った。此の主張は通り、3ドル券・5ドル券・10ドル券・20ドル券・50ドル券といった小額面の無利息・無記名券が発行された。米英戦争の終結により大量発行する必要な無くなっていた為、100ドル券が4,969,400ドル、3ドル券・5ドル券・10ドル券・20ドル券・50ドル券が3,392,994ドルの発行に留まった。
1,815 2 26 ナポレオン・ボナパルトが流刑地のイタリアのエルバ島を脱出する。これを知ったネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは、ナポレオン戦争が長期化すると考え、イギリスから大陸への資金送金ニーズを見越し、アーサー・ウェルズリーに送る為の金塊を大量に購入し、ジョン・チャールズ・ヘリーズに売却した。この時のヘリーズの勘定残高は9,789,778ポンドであった。ロスチャイルドは、ウェルズリーに金塊を送る際の手数料で390,000ポンドを稼ぐ皮算用をしていた。
1,815 3 1 ナポレオン・ボナパルトがフランスのカンヌ近郊に上陸する。ピエール・サミュエル・デュポンはこれを機に、再度アメリカに亡命した。
1,815 4 10 インドネシアのタンボラ山が噴火する。
1,815 6 9 ウィーン議定書が締結され、スイスが永世中立国として承認される。スイスに銀行を持つ事で戦争に際し、両陣営に資金を貸し付けたり、戦争で攻め込まれる事が無い為安全に資産を保管出来る事から、国際金融資本が推し進めた。
1,815 6 18 夕方、ワーテルロー(現在のベルギーのブラバン・ワロン州)にてナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、イギリス貴族院議員アーサー・ウェルズリー率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に敗れる事が決定的となった事を目の当たりにしたネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの急使ロスワースが、ブリュッセル(現在のベルギー)を経由してオーステンデ(現在のベルギーのウェスト・フランデレン州)へ馬を走らせる。此の日フランス軍は、8時間に及ぶ激戦の末、1/3の兵士を失いイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に敗れた。此れにより金価格が暴落し、ロスチャイルドが、ジョン・チャールズ・ヘリーズに売却した金塊の資産が大きく目減りした。又、カール・メイヤー・フォン・ロスチャイルドは此のワーテルローの戦いに先立った資金調達で、アムステルダムにて国債を売り捌いていた。
1,815 6 19 未明、ロスワースが、アーサー・ウェルズリーが勝利した事を伝える為、特別航行証のある快速艇「ロスチャイルド号」に乗船し、船員に2,000フランを渡し、オーステンデからフォークストン(現在のイギリスのケント州シェプウェー)に向けて出港する。
1,815 6 20 未明、ロスワースがフォークストンに到着し、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドにワーテルローの戦況の書かれた報告書を渡す。ロスチャイルドは報告書に目を通し、ロンドン証券取引所へ向けて馬を走らせた。其の後ロスチャイルドは、アーサー・ウェルズリー敗戦と見せかけ金利が約8%のコンソル公債を売却し、西暦1,815年6月16日のカトル・ブラの戦いでアーサー・ウェルズリーが敗れたという情報によって下落していたコンソル公債価格を額面の5%まで暴落させた所で密かに買い集め、オムニアム債450,000ポンド、年利3%のコンソル公債650,000ポンドを購入する等して、全体の6割近くを買い占めた。此れにより資産が3,000,000ドルから7,400,000,000ドルとなる。又ロスチャイルドは、イギリス政府最大の債権者となった事で、コンソル公債の価格や通貨供給量の操作が可能になった。更に西暦1,807年の奴隷貿易法を切っ掛けとした、イギリス国内の恐慌も相まって、機に乗じてイングランド銀行を実質的支配下に置き、イングランド銀行の通貨発行権と管理権を手中に収めた。ロスチャイルドは此の購入した債券を西暦1,817年にかけて売却し、金価格の暴落により目減りしたジョン・チャールズ・ヘリーズに売却した金塊の損失を補填した。
1,815 6 21 23時、アーサー・ウェルズリーの使者ヘンリー・パーシーがロンドンに到着し、フランス軍の敗北を知らせる。
1,815 9 30 アメリカの公的債務は192,000,000ドルであった。
1,815 11 20 連合国とフランスの間で以下のパリ条約が締結される。
①フランス領土を西暦1,790年1月1日当時の領土へ縮小する。
②フランスに700,000,000フランの賠償金を課す。
③最長5年間の、連合国軍のフランス駐留経費の負担。
以降ロスチャイルド家は、オーストリア政府の財政安定化を支援した。
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