西暦1795年は、イギリスの王太子ジョージ4世と、その従妹キャロライン・オブ・ブランズウィックの政略結婚が行われた年である。放蕩により莫大な借金を抱えていたジョージ4世は、ジョージ3世が選んだブランズウィックと結婚すれば議会の予算で借金が帳消しになるという条件を受け入れ、肖像画だけを見て婚約した。4月5日にハノーファーから到着したブランズウィックと対面したジョージ4世は、その体臭に思わず顔を背け、ブランズウィックもまた王太子の体型に失望したと伝わる。4月8日、両者はセント・ジェームズ宮殿で式を挙げたが、ジョージ4世は式の最中に泥酔し、弟たちに支えられて立つ有様で、夫婦仲は初めから冷え切っていた。この年はまた、ピエール・サミュエル・デュポンがフランスの元老院議員に選出され、マリア・レイノルズがジェイコブ・クリングマンと再婚してバージニア州アレクサンドリアに居を構えた。カール・ビュデルスは陸軍枢密顧問官に昇進している。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,795 カール・ビュデルスが、陸軍枢密顧問官に昇進する。
1,795 マリア・レイノルズがジェイコブ・クリングマンと再婚する。アレクサンドリア(アメリカのバージニア州)に居を構えた。
1,795 ピエール・サミュエル・デュポンが、元老院のメンバーに選出される。
1,795 4 5 ジョージ4世との結婚式の為、ハノーファー(現在のドイツのニーダーザクセン州)から出発していたジョージ4世の従妹キャロライン・オブ・ブランズウィックが、ロンドンに到着する。浪費により220,000ポンドの借金を作っていたジョージ4世は、ジョージ3世が探してきたブランズウィックと結婚すれば、イギリス議会による予算で借金を棒引きにするという条件を提示し、ジョージ4世は、肖像画を見て此れを受け入れていた。此の頃、ジョージ4世の年収は約12,000,000ポンドであったのに対し、借金が約60,000,000ポンド有った。ブランズウィックと対面したジョージ4世は、風呂嫌いのブランズウィックの強烈な体臭に思わず顔を背けた。ブランズウィックも体重110kgのジョージ4世の体型を見て失望した。
1,795 4 8 夕方、セント・ジェームズ宮殿にて、以下2名が結婚式を挙げる。
①ジョージ4世
②キャロライン・オブ・ブランズウィック
版画家ウィリアム・ハミルトンは、式典の入場券と式典の版画を描く許可を与えられた。式典の版画は、ジョージ3世の参女エリーザベト・フォン・グロスブリタンニエンの発案であった。版画家トムキンスが、ハミルトンに3.6576mの幅の絵画を依頼し、油彩スケッチを基に作業を行なった。ジョージ4世は式中焼けに酔っ払い、弟達に左右を支えられて立っている有様であった。ジョージ4世とブランズウィックは不仲で、ジョージ4世は「初夜の時しか一緒に寝ていない」と豪語していた。
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