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≈は「頃」を意味しています。
ロスチャイルド5兄弟で一番の商才の持ち主。
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 1,791 | ナポレオン・ボナパルトが征服時にユダヤ人に市民権を与え、各地でゲットーの壁が壊される。 | |||
| 1,791 | イタリアの医師、物理学者であるルイージ・ガルヴァーニが、死んだカエルの足を解剖する為に、金属を当てたところ、カエルの足が痙攣する事を発見する。ガルヴァーニはこの事より、カエルの体には電気を作る性質があると発表する。 | |||
| 1,791 | ジャン・フランソワ・ボットが最初の時計を製作する。 | |||
| 1,791 | 1 | ナポレオン・ボナパルトがフランス王国本土に戻る。 | ||
| 1,791 | 1 | 28 |
アレクサンダー・ハミルトンが、国立銀行からの借入れや公債利子支払いは統一貨幣制度を前提とするものであるから、植民地時代から統一貨幣制度を持たなかったアメリカには統一貨幣制度が必要であるとし、「鋳造所設立に関する報告書」をアメリカ議会に提出する。内容としては以下の通り。 ①複本位制の採用 ②貨幣単位をドルとし、10進法で扱う ③1ドル金貨・銀貨を以下の通り定め、自由鋳造制度を採用する ①1ドル金貨:約1.60g ②1ドル銀貨:約24.06g |
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| 1,791 | 2 | 15 |
トーマス・ジェファーソンが、前年のアレクサンダー・ハミルトンによる国立銀行に関する報告書に対する意見書である「国立銀行の合憲性に関する意見」をアメリカ議会に提出する。其の内容は主に以下で、国立銀行を法人とする事に対する批判であった。 ①法人の株主達が法人を形成する事になる。 ②国立銀行が法人形態を採用する事によって、土地の譲与を受ける事が可能になり、其の結果、死手法に反する事になる。 ③外国人が当該法人の株主となり、土地を保有し、其の結果、権原譲渡に関する法に反する事になる。 ④所有者の死亡により、特定の家系の相続人にのみ土地を相続させる事になり、物的財産法定相続の在り方を変えてしまう。 ⑤法人を通じて、財産の没収や不動産復帰を逃れる事が可能になり、財産の没収に関する法に反する事になる。 ⑥人的財産が特定の家系の相続人に譲渡される事になり、人的財産相続分配に関する法に反する事になる。 ⑦国家的権威の下で銀行業務を行う唯一にして排他的な権利を国立銀行の株主に付与する事は、独占を禁じる法に反する。 ⑧国立銀行の株主達が、州法に優越する法を作る権限を有する事になり、州の立法府のコントロールから当該法人を保護する様に法が解釈される事になる。 又、以下2名もジェファーソンに同調し、アメリカの中央銀行設立に反対した。 ①初代アメリカ司法長官エドムンド・ランドルフ ②アメリカ下院議員ジェームズ・マディソン そして、ジェファーソンとマディソンは、反対派を率い、以下を反対の理由として主張した。 ①金融システムの管理が民間銀行から中央集権的な国立銀行に移行する事で、健全な通貨制度を危険に晒す。 ②中央銀行が、南部の農業の利益で無く、毛皮貿易で財を成したジョン・ジェイコブ・アスターの様な、北部の商人や実業家の事業利益を優先する。 ③中央銀行や政府造幣局の設立は、アメリカ政府に認められた、明示的な権限に記載されていない為、憲法に違反する。 中央銀行設立に関し決めかねていたジョージ・ワシントンは、アレクサンダー・ハミルトンに助言を求めた。 |
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| 1,791 | 2 | 23 |
アレクサンダー・ハミルトンが、同月にトーマス・ジェファーソンがアメリカ議会に提出した、国立銀行設立は法を犯していると指摘する意見書に対して反論する、約15,000語に及ぶ意見書「国立銀行の合憲性に関する意見」を示す。以下2名の意見に反論する様ジョージ・ワシントンから求められたハミルトンは、此の意見書を一晩で書き上げた。 ①ジェファーソン ②エドムンド・ランドルフ |
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| 1,791 | 2 | 25 |
ジョージ・ワシントンの署名により、アメリカ議会に於いて「合衆国銀行特許法」が成立する。此れにより、以下3名の思惑通り、アメリカ初の銀行である第一合衆国銀行が、此の日から西暦1,811年1月24日迄の公認期間20年間で承認された。 ①アレクサンダー・ハミルトン ②マクシミリアン・ロベスピエール ③メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド 此れによりロスチャイルドは、アメリカ国家の資金管理を手中に収めた。同行は、連邦税の支払いを受け付ける唯一の銀行であり、納税は同行が発行する紙幣で行う必要が有った。 |
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| 1,791 | 2 | 27 | 老中松平定信が江戸市中の湯屋の混浴を禁止する「男女入込禁止令」を発する。 | |
| 1,791 | 3 | 3 | アメリカ議会が「蒸留酒税法」を制定する。アレクサンダー・ハミルトンが前年12月13日に提出した蒸留酒に関する報告書が受け入れられた形となった。 | |
| 1,791 | 5 | 6 | アメリカの商人で帆船「レディ・ワシントン号」船長のジョン・ケンドリックがニューヨーク船籍の「グレイス号」を引き連れボストンから紀伊大島の雷公浜(現在の和歌山県東牟婁郡串本町)に上陸し、カナダ産の毛皮を持ち込み通商を求める。ケンドリック達は雷公浜の住民を船内に招き持て成したが、毛皮には興味を持たれず、通商は叶わなかった。 | |
| 1,791 | 6 | 20 | マリー・アントワネットの実家であるオーストリアのハプスブルク家に援助を求める為、ルイ16世一家はテュイルリー宮殿を脱出する。0時に脱出する予定であったが、ラファイエット侯爵が宮殿に長居した為、1時過ぎにロシア貴族のコルフ侯爵夫人に成り済まし、近衛士官マルデンの手引きで幌付き2頭立ての馬車で出発した。 | |
| 1,791 | 6 | 21 | 6時、テュイルリー宮殿にて侍女達がルイ16世一家がいなくなっている事に気付く。ラファイエット侯爵は憲法制定国民議会と市役所に大砲を3発放たせて警報を発し、パリに厳戒態勢を敷いた。竜騎兵大佐ショワズールはシャロン・アン・シャンパーニュ(フランスのマルヌ県)近くのポン・ド・ソルヴェールの橋でルイ16世を待っていたが、なかなか現れず、何事かと訝る住民の目に晒された為部隊を街道から隠した。その為ルイ16世一行が16時にシャロン・アン・シャンパーニュに到着した際ショワズールと行き違いになった。ルイ16世一行は次の目的地サント・ムヌーへ向かった。しかしサント・ムヌーでも不審な部隊を警戒した地元の国民衛兵隊300名が武装して集まってきた為、ルイ16世と合流する予定であった指揮官の大尉ダンドワンは衝突を恐れ解散を命じ、護衛の竜騎兵達の多くは市民と一緒に酔っぱらっていた。よってルイ16世は20時にサント・ムヌーに到着したものの、ここでも竜騎兵と合流出来なかった。しかしダンドワンは何とかルイ16世の馬車を見つけ近寄って会釈をした。ところがこれを夕涼みに出ていた宿駅長宿駅長のジャン・バプティスト・ドルーエが見ていた。大尉や竜騎兵たちが馬車の中の従僕や侍女に恭しく挨拶するのを怪訝に思っていた所へ、シャロン・アン・シャンパーニュからルイ16世一家が通過したとの噂を聞き、アッシニア紙幣の肖像画から一行の中にルイ16世がいた事を確信、21時にラファイエット侯爵からルイ16世逃亡の報告を受け、ドルーエは友人のギヨームと共にヴァレンヌ・アン・アルゴンヌ(現在のフランスのムーズ県)を目指した。ドルーエはクレルモン・フェラン(フランスのピュイ・ド・ドーム県)経由で、ギヨームはアルゴンヌ森(フランスのムーズ県)経由で向かった。ルイ16世一行は10分程度サント・ムヌーに滞在した後、クレルモン・アン・アルゴンヌ(フランスのムーズ県)に到着した。ここでようやく竜騎兵と合流できたが、国王の逃亡はすでにこの町ではニュースになって騒ぎになっていた。町の当局者は、一行を怪しんだものの、コルフ侯爵夫人に成り済ました人間の旅券を持つ馬車を止める権限がなかったので、行かせる事にした。しかし明らかに不審な竜騎兵部隊の随行は禁止した。次にルイ16世一行ヴァレンヌ・アン・アルゴンヌ(フランスのムーズ県)に到着するが、ドルーエ等が先回りし大勢の群衆と共に待ち構えていた。直様地元当局に通報、警護騎兵エティエンヌ・ラデ率いる国民衛兵の協力によりエール川に架かる橋を封鎖し、23時10分、ヴェルサイユに滞在していた裁判官ジャック・デステスによって正式に王族である事が確認され逮捕された。亡命を画策していたと喧伝された事から国王への信頼と権威は失墜し、革命の敵だと見做された事が処刑の原因となった。 | |
| 1,791 | 6 | 25 |
19時、ルイ16世一家がテュイルリー宮殿に連れ戻される。国民議会を代表する護衛として主に以下の議員が加わっていた。 ①アントワーヌ・バルナーヴ ②ジェローム・ペティヨン・ド・ヴィユヌーヴ |
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| ≈ | 1,791 | 7 | フィラデルフィア在住のマリア・レイノルズが、アレクサンダー・ハミルトンのフィラデルフィアの自宅を訪れる。マリアは、アメリカ独立戦争で兵站部に属していた夫のジェームズ・レイノルズから虐待を受けたと主張し、助けを求めた。ハミルトンはマリアが故郷のニューヨークに戻る為の金銭を渡すべく、其の夜にマリアと会談する事にした。ハミルトンがマリアの下宿先に出向いて30ドルを渡すと、マリアはハミルトンを2階の寝室に案内した。以降ハミルトンとマリアは不倫関係となった。此の頃から本年10月頃にかけて、ハミルトンの妻エリザベス・スカイラーとその子供達が、スカイラーの両親の居るオールバニー(アメリカのニューヨーク州)に滞在していた間、ハミルトンとマリアは不倫関係を続けた。暫くするとマリアは、ジェームズが復縁を求めている事をハミルトンに伝えた。ハミルトンは復縁を認めたが、不倫関係は続いた。その後マリアは、ジェームズがハミルトンの面接を受ける機会を取り付け、ハミルトンにアメリカ財務省の職を求めたが、ハミルトンは拒否した。 | |
| 1,791 | 9 | ナポレオン・ボナパルトがコルシカ島に戻る。この時島内では反フランス派が多くなっていた。 | ||
| 1,791 | 9 | 3 |
フランス国民議会が、フランスで最初の憲法を制定する。主な内容は以下の通り。 ①フランス王国は単一にして不可分である。 ②政体を立憲君主政に移行させる。 ③絶対王政を否定し、フランス国王を憲法と法の下に置く。また、フランス国王を国民の代表者として歳費を貰う一官吏として規定する。しかし、フランス国王は行政権を持ち、内閣の閣僚を議会外から任免することが出来、議会の立法権に対し拒否権を有していた。立法権を持つ議会は任期2年の一院制を採る代議制であるが、内閣は国王が議会外から任命され、国王は立法に対する拒否権を持つ。 ④議員を選ぶ選挙は、選挙権は直接国税を一定額納めた「能動的市民(25歳以上の男子の約70%)」が有しているが直接議員を選ぶのでは無く、その中から裕福な者およそ50,000名を選挙人として選び、選挙人が議員・県議会議員・郡議会議員・裁判官を選挙する2段階の制限選挙とする。また財産を有しない者は「受動的市民」とされ、選挙権は認められない。 ⑤司法権は裁判所が有し、裁判官の売官制は廃止され公選となり、陪審制を導入する。 ⑥地方行政制度に関し、全国を83の県に分け、更に地区・カントン・市町村に区分する。 此のフランス革命により、カトリック教会が税金を課すのを阻止し、新国家の憲法を通じて、ロスチャイルド家に有利な新しい銀行法を制定する事に成功した。 |
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| 1,791 | 9 | 29 | 江戸幕府は外国船の取扱に関し、外国船が海岸に近づいた際には厳しい臨検を行い、拒否した場合には打ち払う事、応じた場合には穏健に扱うが、船・船員もろとも抑留して幕府からの指令を待つ事とする法令を発する。 | |
| 1,791 | 12 | 5 | アレクサンダー・ハミルトンが「製造業に関する報告書」をアメリカ議会に提出する。真の独立国と成る為の、製造業の発展と保護政策の重要性を説いた内容であった。 | |
| 1,791 | 12 | 10 | ヤコブ・フランクが死去し、イヴ・フランクがシャブタイ派の指導者となる。 | |
| 1,791 | 12 | 12 |
第一合衆国銀行が、アメリカ政府の財政代理機関として、20年の特許期限の下に、カーペンターズ・ホール(アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィア)にて設立される。資本金は10,000,000ドルで、内2,000,000ドルがアメリカ政府の出資で、残り8,000,000ドルは民間出資であった。又、35,000,000ドルの融資を受けたが、内28,000,000ドルはロスチャイルド家が支配するヨーロッパの銀行家からのものであった。初代第一合衆国銀行頭取には初代北アメリカ銀行頭取トーマス・ウィリングが就いた。同行は民間の投資家が所有していたものの、アメリカ政府は同行の株を20%保有し、取締役会に2議席を持っており、いつでも同行の帳簿を検査する権利を有していた。アメリカ国外の人間が同行の株主となる事は認められていたものの、経営に関する投票権は与えられていなかった。同行の株の70%はアメリカ国外が所有し、其の大半はイギリス資本であった。イギリスの銀行はロスチャイルド家によって支配されていた為、同家は、第一合衆国銀行に大きな影響力を持った。同行は以下の業務を担った。 ①税金の徴収 ②送金 ③政府資金の安全確保 ④政府への融資 ⑤個人向け預金受け入れ・融資 ⑥アメリカ政府の請求書の支払い ⑦ヨーロッパの投資家への利息の支払い 又、融資の金利上限は6%であった。 |
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| 1,791 | 12 | 15 | アレクサンダー・ハミルトンが、マリア・レイノルズに対し不倫関係を終わらせたいという意思を示す。その直後からマリアは、「ジェームズ・レイノルズが、ハミルトンと私が不倫関係にあった事に対して怒っている。ジェームズは今日貴方に書簡を送った。もし貴方が返信しなかったり、今日貴方と対面しなければ、エリザベス・スカイラーに書簡を送ると誓った。ジェームズは出掛けたばかりで私は一人です。原因が分かるかも知れないので一度此処に来た方が良いでしょう。嗚呼、何て事だ。私は自分自身よりも、貴方の事を想っていて、貴方に此れ程不幸を与えるのであれば、生まれて来なければ良かったと思っています」といった主旨の脅迫状を同月19日迄送り続けた。当時の慣習に倣えば、ジェームズが決闘による報復を求める状況であったが、ハミルトンの様な社会的地位の高い人間の不倫が公になった場合、ハミルトンの被る損失が甚大である事を理解していたジェームズは、代わりに金銭的補償1,000ドルを求めた。ハミルトンは此れに応じたが、其の後もジェームズは、ハミルトンに友人としてマリアを訪問する様誘った。ハミルトンは、訪問する度に金銭30ドル若しくは50ドルを要求され、其れを支払い、総額は最初の1,000ドルも含め、1,300ドル以上であった。 | |